★元治1年12月16日、「払暁、萩藩士高杉和助、藩論を恢復せんと欲し、藩遊撃隊総督石川小五郎「河瀬安四郎」・力士隊総督伊藤俊輔等と共に下関新地会所「萩藩支配」を襲うて之を占拠す。和助、同志十余人を率いて三田尻に至り、癸亥・丙辰の二藩船を奪ひ下関に帰航す」。 
★元治1年12月17日、「常陸太守晃親王「山階宮」、鹿児島藩主茂久生父島津久光・前福井藩主松平慶永に各書を与へ、時事所見を告げ、依頼の意を示す」。この時期、中川宮が久光から一橋慶喜に鞍替えしたため、薩摩藩は中川宮から晃親王に乗り換え。