ブログ引っ越しました。
内容も改訂して、下記のアドレスに引っ越すことにしました。
そして、内容ももっと充実させようと現在モチベアップ中!!
新しい、アドレスは下記のとおりです。
ヒッチコック作品で墓場に持っていきたいものの一つがこの『PSYCHO』だ。
次の動画はその「名シーン」の一つ。
https://www.youtube.com/watch?v=0WtDmbr9xyY
サウンド、カメラワーク、ストーリー全てが今見ても色褪せない。
1960年の作というからヒッチコックの才能がいかに桁外れているかということがわかる。
このTシャツはお気に入りでよく着ているので色褪せているがw
アンソニー・パーキンス演じるノーマンベイツは、解離性同一性障害いわゆる多重人格だ。
自分の人格と、死んだ母親の人格を持っている。
別人格が生まれるのは、成長過程において心理的に耐えられないほどの虐待や出来事を経験した時に発生する。
その状態から逃げるために別人格を作り、自分とその体験を切り離したり、その記憶を思い出せなくすることで心にダメージを与えないための防衛機制と言われる反応だ。
例えば、ひどい虐待を受けたとしよう。
すると「こんな辛い思いをするのは自分の体験であるはずでない」という逃避願望からその体験を別人の体験に置き換えようとするのだ。
その時、こころの中に別の人格が現れる。
それはまるで、一台のコンピューターを家族で使う時に、使用者ごとにパテーションで区切るのと同じ現象が起こっている。
一つの体を複数の人格が使い、脳の中に複数のパテーションで区切られた人格が生まれる。
だから、お互いの存在をまったく知らないという例もあったり、お互いの行動や思考を干渉することができない。
この別の人格はどこから現れるのだろうか。
それは、心の中にある「パート」と言われる「価値観」と「信念」の「ネットワーク」が人格化すると言われている。
この「パート」という「ネットワーク」はどのようなものかというと、例えば、ダイエットをしている時などに、「食べたい」自分と「痩せたい」自分の葛藤に苦しんだことはないだろうか。
この時に心の中では「痩せたいパート」と「食べたいパート」が戦っている。
「痩せたいパート」は痩せることで得られる自分にとって手に入れたい「価値」があって、その周りに「痩せる」ということに対する無数の「信念」がぶどうの実のようにぶら下がっていると考えればいい。
例えばその「価値観」が「美貌」というものだったとしたら。
「痩せれば綺麗になれる」「痩せるにはダイエットが必要だ」「綺麗な人は痩せている」「痩せた理想の体型とはこうだ」と言った数々の「信念」とのネットワークが形成される。
一方の「食べたいパート」は「おいしいものが好き」とか「好きなものを食べている時は幸せ」といった、まったく別の「価値観」と「信念」のネットワークを構成するのだ。
このような「価値観」と「信念」のネットワークが「パート」と呼ばれるものだ。
この「パート」はそれぞれが連携することもあるが、それぞれが反発することもある。
その時私たちの心の中では葛藤が生まれるのだ。
別の人格が生まれる時、その中の強い「パート」が人格化していくと言われているのだ。
この主人公のノーマンは、最後に母親の人格に全てを奪われてしまうが、ダイエットに成功した時は「痩せたいパート」が「食べたいパート」を凌駕したか、もしくは共通の目的を見つけて連携したと見ることができる。
ただいまダイエット真っ最中だが、この二つのパートが激しく戦っているのは言うまでもない。
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先日沖縄にて、ある企業の研修旅行を担当させていただきました。

この会社は映像のコンテンツを制作しているクリエイティブな会社で、社長さんから頂いたお題は「社員全員に自信を持たせたい」ということでした。
そもそも「自信」とはなんぞや。
「自信がない」という人がいるけど、「自信」というのは「ある」とか「ない」で表現するものではないのです。
「自信」とは、「持つ」か「持たないか」ということです。
それではどうしたら、自信を「持つ」ことができるのか....。
「自信」とはカタチのあるものではありません。
自らの「こころ」の中で生成するもの。
つまり、「自らを信じる」ことが「自信」を生み出すのです。
「自信がない」という人は、「自分を信じていない」「こころ」の状態を表しているのです。
それではどうやって、「自分」を「信じる」ことができるのでしょう?
その前に「自分」とはなにか、自分は何をする人なのか?
これを知る必要があるのです。
「自分とは何か」とは、「自分の人生におけるミッションは何か?」ということを探求することに他なりません。
つまり「自分の人生におけるミッション」を知り、そして達成できると「信じる」気持ちを持つことが目標となりました。
題して「自分探しの旅」が今回のテーマです。
企業研修というと、ビジネスに必要なスキルの習得が中心であることが多いのですが、身につけたスキルは研修の次の日から忘却曲線を描き、しばらくすれば全く忘れてしまうようなことが多いと思われてます。
ところが人は、「人生の目標を再確認」することで、そのために必要なスキルを自ら学んでいくことが可能になります。
押し付けられた知識は身に付かないけど、自分で欲した知識はいつまでも自分のリソースになるものです。
だからこそ、ここで「自分のミッション」を確認し、それを達成するための「能力」を手にいれるというモチべーションさえあれば、どんなスキルでも簡単に身につくのです。
さて、沖縄という非日常的な空間で得られる学びは大きい、しかし、やるからにはもうひと工夫したい….。
ということで、ゲストメンターをお願いすることにしました。
ちなみに、メンターとはその人の「こころ」の支えになるような「師匠」「先生」の役割を果たします。
たとえばスターウォーズのヨーダとか、マトリックスのモーゼス、ハリーポッターのランブルドア、カラテキッドのミヤギさんとか。
映画に出てくる主人公の成長を助け、知恵や力を授ける人のことです。
みなさんの人生にも、メンターとなる人はいるはずです。
学校の先生や先輩、親や家族、テレビや物語の登場人物、歴史上の人物など、誰しも自分の人生に影響を与えた人はいるでしょう...。
さて、今回のゲストメンターとは私の尊敬する人のひとり.........元K-1ファイターで格闘家の武蔵氏にお願いしました。
武蔵氏が選手時代に、自分より身体の大きい選手達を相手に、どのように恐怖を克服し、困難に立ち向かったのか...どのように「自信」を手にいれたのか...ということを話してもらい、セミナー参加者の励みやヒントになればと思いました。
やっぱり、本物の話は力がありますね….みなさん真剣にその話に耳を傾けてました。
この日は武蔵氏のオープニングトークから始まり、各人の無意識の中にある「価値」を導出したり、「belief:信念」を探るワークを行い、少しずつ自分の「こころ」の奥深いところに接近して行きました。
そして、研修二日目、この日は船に乗って、慶良間諸島でのマリンメニューです。
ダイビング、釣り、シュノーケリング、各自好きなことをやって、そのフィールドで出会ったものから自分の人生に関わるメッセージを感じ取るというもの。
ダイビングにはリラクゼーション効果もあって、沖縄の美しい海の中でリラックスして自分の内面に向かい合うという効果も狙いました。
この日は武蔵氏の実弟のTomoちゃんも参加してくれて、切り込み隊長として雰囲気作りに貢献してくれました。


朝から、雨交じりのあいにくの天気だったのですが、途中で奇跡的に晴れ間が見えたり、ポイントについたら波もなく非常に泳ぎやすい状態だったりと恵まれた環境で課題をこなすことができたと思います。
そして、私たちが海からホテルに戻ると、突風と嵐が…。
なんと、運がいいのだろう!
今日の海というフィールドから得たヒントを元に、自分の「人生のミッション」を知るというテーマに各自向き合いました。
そして再びメンター武蔵氏の登場!
デビュー戦のクライマックスの映像とともに、「自信」を持つということがどれだけ人生を変えるかという話で二日間に渡る研修は幕を閉じました。
さて、研修の成果はいかがなものでしょう?
沖縄の美しい自然、ゲストメンターの武蔵さん、Tomoちゃん、アイランドメッセージのスタッフのみなさん、ホテルのスタッフのみなさん、アシスタントの諸見里さん、カメラマンの興毅君、みなさんのご協力のおかげで、ものすごいパワフルな研修になったのではないかと思ってます。
こんな恵まれたコンディションで研修旅行ができる会社って素晴らしいですね、間違いなくいい結果に繋がるんじゃないかな~と思います。
みなさんのこれからのご活躍と、事業のますますのご発展を期待します!
《今回の研修プログラムに関するお問い合わせ》株式会社Creative Communication Management

アーティストマネジメントの現場において、「悩み」の相談、「クレーム」処理の対応はつきものだ。
それをおろそかにしたり、ないがしろにすることは、お互いの信用を損ねる原因となる。
ただのアーティストの「わがまま」「気まぐれ」「エゴ」といった簡単な言葉では片付けられない。
それこそアーティストが、マネジメントに求めたい仕事である。
ところが、ときに私たちはその問題を置き去りにしたり、迂回することで計画を先に進めようとしてしまう。
問題の解決よりも、言葉のトリックやごまかしで、その場を切り抜けようとする。
ときにアーティストを騙すように、もしくはその「問題」に触れないように論点をすり替えて話を進めていく。
しかし、置き去りにされた問題はたとえ小さなことであっても、いずれ積み重なって「大きな問題」に発展する。
アーティストとマネジメント、各メンバー間の不和、それらは本質的な問題を放置することによって発生する金属疲労のようなもなのである。
彼らが何を求め、どのような結果を望んでいるのか、我々マネジメントはあらゆる問題を整理する能力が求められているのだ。
一つの問題がときに幾重にも絡まり、もはやその悩みの本質が見えなくなるほど様々なものがまとわりつき複雑化することがある。
その絡み合い、硬く固まった問題を紐解き、整理することが必要なのだ。
そのような作業において、その問題が生じたプロセスを、機能的に整理することができたら、どれほど心強いだろうか?
ニューロロジカル・レベルという考え方が、問題を整理するときに役に立つ。
ニューロロジカル・レベルとは、人間の意識を以下の6つの階層に分けて分類する考え方だ。
「環境」「行動」「能力」「信念・価値観」「自己認識(自己一致)」「スピリチュアル」の6つの階層に分類され、最も上位の概念が「スピリチュアル」で最も下位の概念が「環境」に位置する。
下位概念は意識的であるのに対し、上位概念にいくほど無意識化され心の中に保存されている。
そして、上位の概念が下位の概念に影響を与える。
つまり、「環境」レベルの問題は「行動」という上位概念のによって変化を与えることができる。
たとえば「掃除」という行動をとることで、部屋が綺麗になり「環境」が整い気分良い空間が手に入る。
それでは6つのレベルについてそれぞれ説明をしよう。
①環境レベル
五感を通して知ることができる、周囲の状況。
つまり、「見る」もの、「聞く」もの、「感じる」ものすべて、自分が収集している外界の情報そのもので、100%意識的なものである。
その名の通り、私たちの周囲の状況のことに関する認識である。
人や時間といった概念もこのレベルに入る。
「今日は◯月◯日月曜日◯◯さんと◯◯にいる」という状況はこの環境レベルである。
たとえば、「スタジオの設備が悪い」「ギターの音が悪い」「時間に余裕がない」「お金が足りない」という状況はこの「環境」レベルの問題である。
「いつ~」「どこで~」「誰が~」に関する問題はこの「環境」レベルの問題である。
②行動レベル
「~をする」「~をしない」私たちが何をするか、何を考えるか、行動だけでなく思考もこのレベルに入る。
自分から起こす行動以外に、外からの刺激に対する反応も含む。
「環境」レベルの問題の解決は、この「行動」を変えることで影響を与えることができる。
「自宅にいる」という「環境」は、「移動する」という「行動」によって「スタジオにいる」という「環境」に変化を与えることができる。
「曲作りをしない」「コミュニケーションをとらない」「ライブをしない」という、「行動」レベルの問題の解決には、この上位概念である「能力」もしくは「信念・価値観」レベルでの変化が影響する。
「曲作りをしない」という問題は、「曲作りができない」という「能力」レベルに問題があるのか、「曲作りをしたくない」という「信念・価値観」のレベルに問題があるのかを確認する必要がある。
③能力レベル
「~できない」「~できる」という発言、「どのように」にあたる問題。
特定の「行動」を行うためのスキル、技術、資質に関する問題。
たとえば、ギターを弾くためには「ギターが弾ける」という「能力」が必要になる。
この「能力」レベルの質「どのように」が、「行動」の質を左右し、「環境」のあり方にも影響を及ぼす。
楽器を弾ける「能力」の差が、楽曲の難度や表現力に影響をあたえる。
「能力」は、その人の内部にあるため、行動の結果として外部にあらわれ評価される。
④信念・価値観レベル
「なぜそれを行うのか?」という基本原則。
私たちが信じていることではなく、その人の行動の原則になっていること。
人間の「行動」には必ず理由があるが、今までの経験や学習によって無意識レベルで判断される行動原則のプログラムである。
「信念」は、人間の行動に意味を付け、「価値観」は「なぜ」の答えにあたる重要な要素となる。
「信念」と「価値観」は、ほとんど無意識レベルでその人の人生の方向性を示し、その人の判断基準となっている。
その「信念・価値観」は本人の力付けになることもあれば、時にそれが足枷となって本人の人生に制限をあたえることもある。
⑤自己認識(自己一致)レベル
個人のアイデンティティー、自分はなにものか、役割、使命をあらわす。
「自分は○○である。」と認識している部分。
「私はギタリストである。」「私はいいマネジャーである。」「わたしは優れたディレクターである。」など、自分のことをどのように認識しているかという、自己存在感覚であり、人生の使命を定義する中心的信念である。
経験によって築かれ、変化に適応する柔軟性がある。
「信念」を生み出し、「価値観」を変え、「能力」を身につけ、「行動」を起こし、「環境」を変える。
つまり、その人の個人に内胞されるすべての要素に影響を与える、最も重要なレベルである。
人間の悩みの多くは、なりたい自分になれないジレンマから起こる。
人間は、今の自分となりたい自分の自己一致を目指して生きる生き物である。
⑥スピリチュアル・レベル
個人を超越した存在。
個人としてのレベルを超えて、自分は自分を超えた大きなシステムの一部であるという感覚。
社会の一員であるという感覚、バンドの一員であるという感覚、会社の一員であるという感覚、家族の一員であるという感覚。
アドラーの言うところの共同体感覚である。
このような共同体感覚は、自分は社会や組織、環境の中において重要な役割を担っているという幸福感を得ることができる。
自己の存在が「For Whom? (誰のために)」「For What?(何のために)」あるのかの回答となる。
スピリチュアルレベルが変わると、「自己認識」レベルが変わる。
たとえば、バンドと自己を切り離すのではなく、自分はバンドの重要なメンバーだと感じることにより、自己認識が「ドラマー」から「他のメンバーはもちろん、他のバンドやファンにまで良い影響をあたえるドラマー」に変容する。
たとえば、あるメンバーから「メンバーとうまくいかないからバンドをやめたい」という相談があったとしよう。
「バンドをやめたい」理由は、「メンバーとうまくいかない」という状況から生じた彼の気持ちの表れだ。
この時、我々は「なんでうまくいかないのか?」という問題に焦点を当てがちだ。
そして、「今度一緒にみんなでゆっくり飲みに行って話をしよう」などといってその問題点について話し合う。
そこでは、責任の転化、問題のすり替え、ごまかし、権力闘争の駆け引きが行われた後、「とりあえずこれからもがんばろう」などというところに落ち着く。
一見問題は解決したかのように思われるが、根本的な問題の解決には至っていない。
なぜなら「メンバーとうまくいかない」というのは、「環境」に対する認識の問題であるが、「人間関係」という「環境」レベルだけに焦点をあてても本質は改善されないからだ。
そこで、このニューロロジカル・レベルによって以下のように整理することがでできる。
人間関係という「環境」を改善しようとするならば、お互いの「行動」レベルに対しての問題点にも目を向ける。
そこでお互いを思いやるような「行動」を「とるかとらないか」ということになる。
そしてその「行動」をとるためには、そのための「能力」が備わっているかどうかということも問題になる。
相手を尊重することができるかということだ。
そのためには、お互いをメンバーとして「信念・価値観」レベルではどのように思っているかということのチェックも必要だ。
お互いの「価値観」にずれはないのか、それにまつわる「信念」はどうか。
この領域は、日頃意識して認識していない部分である。
それを、意識化することが重要となる。
そして、その人自身が「自己認識」レベルでどのように思っているかの検証も必要である。
もし「私はメンバーとうまくいかない人間だ」という「自己認識」レベルの問題があったとしたら、その人の上位概念である「スピリチュアルレベル」における変化が必要となる。
つまり、バンドにおける「共同体感覚」をその人が感じていないことに問題がある。
細かい不満が積み重なったり、日頃の行動の積み重ねで、この「共同体感覚」が損なわれたことが原因である。
「私はこのバンドにおいて重要な役割を果たしている」という「共同体感覚」は、「わたしはバンドの重要メンバーだ」という自己認識を生み出し、「自分にとってメンバーは重要だ」という「信念・価値観」を生みだす。
そして、メンバーを理解し尊重するという「能力」が身につき、他のメンバーを気遣う「行動」をとるようになる。
すると「人間関係」という「環境」は大きく変容する。
日頃から、ひとりひとりの細かい声に気を配って、大切に思う「こころ」配りが、おたがいの「自己重要感」を育て、「共同体感覚」を育むことになる。
だから、我々マネジメントは、アーティストひとりひとりを重要なメンバーであると認識し、細かいクレームや相談の一つ一つの対応に気を配らなければいけない。
エンタテインメント・ビジネス成功のセオリー⑱ちいさなことからコツコツと…
蛇足であるが、同じような構造で、我々をとりまく社会を見てみよう。
福島第一原発からは今でも、放射性物質が放出されている。
そして、多くの人が未だに避難先で不自由な暮らしを続けている。
「環境」が大きく汚されてしまった。
除染という「行動」により、この汚染を除去しようとしているが、我々は線量を下げることも、事故を収束させる能力もない。
なぜなら、この国の指導的立場にある人にとって、「原発」は「価値」のあるものだから。
自分たちには、「原発を推進する立場の人」という「自己認識」があるからである。
もし我々の指導的立場にある人物が、個人の損得や存在を超えて、地球の一部であるという意識を持つことができたとしたら、「原子力」などというデメリットだらけの過去の遺物を手放すことができるようになるはずだ。
確かに、科学は人間に大きな一歩を与えたが、それは使い方によっては破滅への一歩でもあるのだ。
科学や経済に支配されるのではなく、それを正しくコントロールするには、自分もこの世界のシステムの一つであるという意識のなかで、環境に配慮するという「共同体感覚」を身につけることが不可欠だ。
そして、「自分たちは、自然の一部である」という進歩的な「自己認識」が生まれれば、「原発」は生命を脅かす不要なものであるという「信念・価値観」が手に入る。
それにより、我々は原子力を封じ込めるための「能力」を手に入れようと初めて前向きに考える。
そして過去の遺物であり、負の遺産である「原子力」を廃絶するための「行動」を一丸となって起こすであろう。
そして、その時本当の意味で私たちに必要な「環境」が手に入る。
戦争が無くならないのも、貧困が無くならないのも、指導的立場の人間が個人の利益を優先しているからである。
成功する人と、成功しない人。
人生を意のままに楽しんで生きることのできる人と、
残念な人生を送る人。
夢をカタチにできる人と、
まったく夢のままで終わらせる人。
そこにはどのような違いがあるのだろう。
同じ人間なのに、
なぜこのように結果は違うのか…。
アーティストの中にも楽曲作りの才能やルックスに恵まれていながらも、
望んだような結果を得られない人も多い。
運が悪い、
チャンスに恵まれなかった
…本当にそうだろうか?
物事には原因と結果がある。
原因の積み重ねによって、
ある一つの結果が生まれると考える人は多い。
たとえば、成功者に対して
「努力をしたから成功したんだ。」
と考える人。
このような人は、
ものごとには原因があって結果があると考える。
たとえば、
「私は子供のころ勉強ができなかったから、今も苦労しているんだ。」
と思う人はこのパターンだ。
「あのバンドは、フェスに出たから有名になったんだ。」
「あのアーティストは、アニメのタイアップがあったから売れたんだ。」
果たしてそうだろうか?
アインシュタインは子供のころ、
学校の勉強は苦手だったといわれている。
フェスに出ているバンドは、
すべて人気がでているだろうか?
アニメ番組のテーマ曲を演奏したアーティストは、
すべて売れているだろうか?
すべての物事には原因があり、
その原因が積み重なってその結果を生んだと信じている。
このような人は、
過去の出来事との因果関係に縛られている。
そして、
過ぎ去った過去は変えることはできないので、
自分の欲しいものは永久に手に入らないと思っている。
過去に原因があるから、
今の結果があると信じ込むタイプ。
これを「原因論」という。
一方で
「成功するために努力をした」
と考える人。
「成功という目的のために努力をしてきた」
と考える人は、
自分の人生を未来にフォーカスすることができる。
なりたい自分の未来の姿を先に作り上げ、
それに向かって自分の人生を組み立てていくタイプ。
つまり、人生は
目的に向かって生きていく
ことが重要で、
すべては偶然の積み重ねの結果ではなく、
必然的な行動の結果であると考える。
これを「目的論」と言う。
彼らは常に、
「自分の未来は思い通り」
「自分の意思でなんでもできる」
と信じている。
自分を信じると書いて、
「自信」となる。
よく、「根拠のない自信」というが、
自信というのは自分で自分を信じることができれば、
それが立派な根拠になるのだ。
「自信がない」という人がいるが、
自信というのは「ある」か「ない」で示すものではない。
「自信」というのは
「持つ」か
「持たない」かなのだ!
現在の延長線上に未来があるのは誰しも同じことだが。
現在が過去の積み重ねだととらえるか、
未来のために現在があるととらえるか、
考え方は180度違う。
どちらの考え方が、
成功している人の思考パターンかは言うまでもない。
「未来」のために今やるべきことを為す人が、
望んでいる姿を手にいれることができる。
ミュージシャンなら誰しも、
音楽で成功したい、
多くの人に聴いてもらいたい
…と考えるのはあたりまえのことである。
しかし、すべての人が望んだようになるわけではない
…なぜか?
NLPの前提の一つに
「誰かができることは、自分にもできる」
というのがある。
どんな偉業であっても、
達成できた人がいたならば、
それは誰にでも可能性があるというものだ。
達成した人を知っているならば、
あとはそのやりかたを同じように真似ればいいというものだ。
ここからが、本当に今回言いたかったこと。
男性であれば一度や二度ぐらいは、
プラモデルを作った経験があるだろう…。
プラモデル店のショウウインドウには、
プロやマニアが作った完成品が飾ってある。
ピッカピカのスーパーカーや、
兵士の表情まで再現された戦争のジオラマ、
そして今にも動き出しそうなガンプラ。
それはそれは細部にわたって見事に作り上げ、
「ああ、こんなの作れるんだ~」と子供の心に火をつける。
バンドを始めたきっかけもそうだと思う。
誰にだって影響を受けたアーティストがいたはずだ。
「ああ、かっこいい!こんな風になれたら…。」
本気でその人みたいになりたいと
「夢」を持ってバンドを組んだに違いない。
ところが、バンドを始めると
練習、ライブ、曲作り、バイトに振り回され、
いつしか年月が過ぎていく。
「ああ、フェスに出れれば、
俺たちも売れるのに~」
「ああ、タイアップが決まれば、
俺たちも売れるのに~」
「ああ、メジャーから出すことができれば、
俺たちもチャンスがあるのに~」
きっかけがないことが、
売れない理由だと思っている人は多い。
プラモデルだって設計図通りに組み立てるだけでは、
ショウウインドウで見たものとは程遠いものになる。
ウインドウに飾られるような作品に仕上げるには、
どうしたらリアルに仕上がるかということを考え、
本物に少しでも近づけていくという作業が重要なのだ。
重要なのは「こうなりたい」から、
今は「こうやりたい」と主体的に考えることだ。
自分に選択肢があるということだ。
未来の「こうなりたい」にむけて、
そのために何をやったらいいかを考えることだ。
もう一度
憧れのミュージシャンが
どうやってその地位を築いたか、
それを知ってそれを真似てみる。
「こうなりたい」という欲求は、
成功するための大切な資源なのだ。
「学ぶ」という言葉は「真似る」と同じ語源で、
「真に似せる」や「誠に習う」という意味から
「まなぶ」や「まね」という言葉が生まれた。
なりたい相手を徹底的に真似ることが、
その人の成功を学ぶということである。
NLPではこれをモデリングという。
問題点を発見してそれを修正していくよりも、
自分が目標とする完成形を真似ることで、
なりたい自分になる近道を得るというプロセスだ。
明確な目標がないということは、
目指すべき目的地への地図を持たずに冒険をすることに等しい。
モデルという目標を得ることで、
その行動、振る舞い、思考、
イメージできることすべてを自分のリソースにすることができる。
それは「未来」をみて、
「今」を生きることになる。
目標がない場合、
多くの人は問題にフォーカスする。
自分のできていないことばかりフォーカスしても、
すこしは良くなるかもしれないが目指すものには程遠い。
自分の憧れのアーティストがいたとしたら、
その人の価値観、振る舞い、プレイ、すべてを徹底的に真似する。
あたかも自分がその人になったように振舞う。
あたかも自分のなかにその人のすべてをインストールしたようになりきる。
そうすることで、その人にあって、いまの自分に足りないリソースに気づく。
あとはそれを身につければいい。
そう、憧れのアーティストにあって今の自分に足りないものを発見することができれば、あとはそれを手にいれるだけだ。
成功するために、身につけることができるリソースがそこにある!
エンタテインメント・ビジネス成功のセオリー⑰ 憧れろ!そしてすべてを真似るべし!

しかも、「お金」がかからないとしたら、試してみても損はないのではないだろうか?
人間は行動する際に、脳のなかでその行動を事前にイメージする。
イメージできないことは、意識して行動にうつすことはできない。
もし、あなたが将来叶えたい「夢」があったとしたら、その「夢」がどのように叶っていくのかということをイメージしよう。
それは、脳にとって目標を成し遂げるためのリハーサルとなる。
アーティスト・マネジメントにおいて、この「夢」を共有することは非常に重要な手段となる。
一緒に共通の「夢」を追っているということが、お互いの信頼関係につながるからだ。
さて、その「夢」を実現するにあたって、どのようにそれを設定するかということも重要なポイントである。
やみくもに「夢」を打ち立てても、それが叶う可能性は皆無だ。
叶う「夢」には、その構造に重要なポイントがある。
実現可能な「夢」の設定における重要な8つのポイントは以下の通り。
① 肯定的(ポジティブ)な表現になっている。
「夢」の実現に向けて、脳の力すべてを使うことは非常に重要なポイントとなる。
なぜなら、我々の行動は脳の指令で動き、我々の人生は脳のすべての領域を使って創造されるからだ。
脳には意識と無意識の領域がある。
意識とはあなたの思考であり、認識できている領域である。
無意識はあなたが認識していないすべての領域である。
人間は同時に2つのことに意識を向けることはできない。
つまり、意識はつねに一つのことしかおこなえない。
一方、無意識の領域はマルチタスクでさまざまなコマンドを同時におこなっている。
たとえば、あなたは意識することなしに心臓を動かし、体温や呼吸をコントロールしている。
意識しないと心臓を動かせないとしたら、考え事をしている間に死んでしまうからだ。
無意識は感情をコントロールし、記憶を保存し、生命を維持する、しかも休むことはない。
ところが、無意識は複雑な言語体系を理解することはできない。
否定語さえ、うまく理解することができないのだ。
「汚さないでください」という貼紙のあるトイレより、「いつも奇麗に使ってくれてありがとうございます」という貼紙のトイレの方が汚れが少ないという有名な話は、この人間の無意識の特性に由来している。
「汚さない」という言葉は、無意識にとっては「汚す」と同義語なのだ。
「ピンクの像を想像しないでください」という命令で、「ピンクの像」をイメージしない人はいない。
だから、無意識にコマンドを入力するとしたら、肯定的な文章である必要がある。
たとえば、「失敗しない人生を獲得する」という目標は、「成功する」という言葉に置き換える。
「貧乏から抜け出す」という目標は「金持ちになる」という肯定的な表現に言い換えなければ、あなたの無意識は「貧乏」というイメージに向かって行く。
「夢」は避けたいものをイメージするのではなく、向かって行きたい、手に入れたい状態をイメージすることが重要になるのだ。
②その「夢」は自分自身で達成可能なものであって、 自分の力でコントロールできるものであること。
「夢」はあなたのものでなければいけない。
自分の脳で行動するのだから、他人に自分の「夢」を委ねることは不可能である。
特定の芸能人や有名人が自分の恋人になる「○○が私の恋人になりますように」…などといった「夢」は、自分でコントロールできるものではない達成不可能なものである。
つまり、あなたの叶えるための「夢」としては不適切である。
あえて、それを「夢」にするなら「私は○○の恋人になる」という表現だろうが、相手にも事情があることは変わらない。
自分が主語となる表現で、なおかつ自分でコントロールできることが、叶えるための「夢」の必須条件である。
たとえば、マネジメントがアーティストの成功を「夢」とするのであれば、自分がマネジメントしてそのバンドを成功させるという表現が必要なのである。
「OOというアーティストが成功する」という表現ではなく「私は、OOというアーティストをマネジメントして成功する」という表現が正しい。
他人の「夢」を自分の「夢」にしてはいけないし、自分の「夢」を他人におしつけることも意味がない。
「ウチの子どもを将来一流大学に入れることが、私の夢です」という「夢」はあくまで親の「夢」であり、必ずしも子どもの「夢」とはいえない。
たとえそれが叶ったとしても、子どもが「親の夢」を実現させたに過ぎず、本人の幸福と一致するとは限らない。
もし、その子どもがミュージシャンになるのが「夢」だったとしたら、彼の「夢」はさらに遠のくことになるからだ。
結局は本人が本気で見た「夢」を叶える以外に満足感を得ることはできない。
ここで設定するのは、他の人の「夢」ではない、あなた自身が自分で叶えるものでなければいけない。
③具体的に詳細にわたって表現する。
「夢」を獲得するための設定は、より詳細にすることで現実感を増す。
無意識は、想像と現実の区別を明確につけることができない。
「嘘からでた誠」という言葉がある通り、イメージを抱き続けることで、その人の中で記憶が入れ替わってしまうこともある。
その特性を利用して、より詳細に表現しイメージすることで「夢」を実現可能の目標に変える。
その際に「いつ」「どこで」「誰と」「何を」「どのように」という表現をいれることで、実現までの距離感が縮まる。
無意識は時間の観念がないので、「締め切り」を明確に設定しないといつまでたってもその目標に向けての行動を完了させることはできない。
これは意識して時間的なスケジュールをコントロールするように、かならず「いつ」というフレーズを入れ込むことが重要になる。
④目標達成の証拠を、視覚、聴覚、体感覚を使って確認する。
その「夢」が達成されたということをどのように知ることができるか?
そのとき何が見えて、何が聞こえ、そして何を感じるか?
人間の持つ感覚器官を利用して、その「夢」を獲得したという証拠をインプットする。
そして、その「夢」を達成することで得られるものが、抵抗しがたいほどに魅力的で、どうしてもそれを手に入れたいと思えれば思えるほど、実現欲求が高まりモチベーションもあがる。
その「夢」を叶える気持ちを奮い立たせるような、刺激的な感覚を想像することが重要なのだ。
⑤目標達成に必要なリソースの特定。
リソースというのはその人が「夢」を実現化するために、あなたが持っている資源のことをいう。
それは能力、思考、技能、コネクション、お金、時間、などあなたが持っているすべてである。
もしあなたが、叶えるべく「夢」を設定したとしたら、あなたはすでに必要なリソースを持っていると考えることができる。
もし、足りないリソースがあったとしたら、あとはそれを手に入れればいいだけである。
⑥目標の大きさを適切にする。
もし、あなたの「夢」が限りなく大きかったとしたら、それを段階的に小分けにして「夢」を積み重ねることもできる。
それはパンをちぎって口の中に入れるように、噛みやすいサイズにすればいいだけのことである。
「世界チャンピオン」になる前に「全日本チャンピオン」を目指すように、大きな目標には段階をつけて「夢」を積み上げることで現実化させていくのである。
⑦その「夢」は周囲に悪影響を与えないか?
たとえば、「夢のエネルギー」とかつて言われた「原子力発電」も環境を汚染したり、人体に悪影響を与えるとしたら、それはいくら経済的に潤ったとしても、それは「夢のエネルギー」ではない。
金儲けのための「嘘とごまかしのエネルギー」である。
もし、あなたの「夢」が周囲に悪影響を与えるとしたら、それは考えを改める必要がある。
その「夢」が実現したとしても、あなたは幸せになることはできないしトラブルに巻き込まれるかもしれないからだ。
あなたの無意識は、あなたの命を守るために24時間働いている。
無意識は、あなたが本気で望んでいないことに力を貸してくれることはない。
⑧その「夢」が叶ったあとのことをイメージする。
売れることを目指してたバンドが「夢」が叶ったあとに、解散や仲違いをするのは、「夢」の先に何があるかということをイメージしてなかったからだ。
たとえば、「武道館を満杯にする」という「夢」にひたすら邁進して来たとしよう。
努力が実り、晴れて武道館のステージに立つことになった。
オープニングのSEがかかると、興奮したオーディエンスの歓声が聞こえてきた。
華やかなライティング越しに、満員の観客の姿が見える!
この時間が永遠に続けば…と思うほどの感動に包まれたが、残念なことにあっという間にに最後の曲になってしまった。
ステージを終了したあとに残るのは…喪失感かもしれない。
「夢」を手に入れたあとも、あなたの人生は終わりではない。
だから、そこで燃え尽きたり、「こころ」のエネルギーを使い果たさないためにも、「夢」が叶ったあとのことを想像することも重要なのである。
この8つのポイントを考慮して、「夢」を想像しよう。
そして、この「夢」を叶えるためのリハーサルを脳にすることで、行動力が格段にアップする。
我々は、想像できないことを行動にうつすことはできない、だから「夢」を獲得するプロセスを脳のなかでイメージすることが必要なのだ。
NLPのワークで「チェインプロセス」というのがある、脳にあなたの「夢」が実現可能なものであると認識させる方法だ。
このワークによって、「夢」が実現可能な目標へと変化し、脳が実現化に向けてすべての領域で活動を始めるようになる。
自宅でためす分には、「お金」もかからないので、騙されたと思って試してみることをお勧めする。
そして、本当にあなたの「夢」が実現したとしたら、私のスイス銀行の口座に多額の謝礼を振り込んでいただければすべて完了!
エンタテインメント・ビジネス成功のセオリー⑯実現しない「夢」は、ただの妄想でしかない…すべての「夢」は実現可能なのだ!

多くの人の思いが、Face book等からも伝わって来た。
YOKOちゃんの心霊写真も確認できた。
やっぱり本人が一番観たかったんだね(SIGE無断掲載ごめん)w
いいイベントだった。
YOKOちゃんが逝ってから4ヶ月、すべてが嵐のように吹き荒れて、嵐のように過ぎ去った。
2014年9月10日は、YOKOちゃんの50回目の誕生日だった。
それから遅れること2日の9月12日、俺たちとYOKOちゃんの最後のパーティーだった。
始まったと思ったら、あっという間に終わっちゃったよ。
ステージの上も、ステージの裏も、モッシュピットも名場面の連続だった。
40バンド近くが出演したっていうのに、ほとんどがタイムテーブル通りという素晴らしさ…シンゴのMCで少し押したけど。
10時間の長丁場というのに、常にフロアがパンパンで、朝の6時にサークルピットができあがる脅威のエネルギー…。
たった15分の演奏のために駆けつけてくれて、熱い思いをプレイしてくれたバンドのみんな。
すげぇーな、YOKOちゃん。
世間の多くの人はYOKOちゃんのこと知らないけど、この日集まった1000人以上の人はYOKOちゃんのことを忘れないよ。
俺の体験したフェスの中で、一番最高のフェスだったね。
だって、みんなの気持ちが一つだったからね。
こんなフェスが誰かの追悼じゃなくて、定期的にできるといいよね。
フェスっていうのは、演者、客、スタッフ、参加者全員の「こころ」が同じ方向を向いているとこんなにも素晴らしい空間ができるんだね。
「思い」を共有しているとが大切なんだね。
金儲けだけが目的のフェスは、本当のフェスじゃない…「祭り」は、「何を」祭っているかに意味があるんだね。
たくさん書きたかったことがあったけど…いざ書こうと思ったら「YOKOちゃん、すげーな」って言葉しか出てこなかった。
最後に…ステージに立ってくれた出演者のみなさん、スタッフ関係者のみなさん、最後までおつきあいいただいたご家族の方々、そして10時間という長い間、最後まで楽しんでくれたファンのみなさん…本当にありがとうございました!
横山 明裕も、写真の通りご満悦です。
このフェスのせいで、故人の魂はますますこの世に対しての執着が強くなったようです。
今日も誰かのライブに顔を出しているかもしれません。
それもYOKOちゃんらしくていいじゃないですか…成仏するかしないかは本人の好き勝手にやらせましょう…どうせ言っても言うことなんて聞かない人だから。
業務連絡です…終了後、必至の形相で這うようにして品川駅の階段を登って行く内野(ex-UNITED)を見かけましたが、おっかなくて声をかけれませんでした…彼は生きているのでしょうか?
どなたか安否確認をお願いします。
同じ出来事や、経験をしても人それぞれ受け取り方が違うのはなぜだろうか?
同じ趣味や、同じ嗜好を持つようなバンドメンバーでも、違う世界観を持つのはなぜなのだろうか?
サウンドにこだわる人も入れば、見え方にこだわる人もいる、さらにはフィーリングを大切にする人もいる。
我々はどのように、それぞれの世界を構築し、それぞれの世界に生きるのだろうか?
同じライブを見ても、
「照明とか衣装が美しい、見た目が派手で良かった!!」
「ギターの音が迫力あった、ボーカルの声も良かった!」
「ファンの人たちの興奮を、肌で感じた!」
などと違う感想をもつのはなぜなのだろうか?
同じ人間に対しての評価でも、
「外見も清楚で、信用できる人のように見える」
「理論的な説明で、あの人の意見は正しく聞こえる」
「雰囲気が優しく、とても真面目な人のように感じる」
などと評価するポイントはひとそれぞれ違うのはなぜだろうか。
そして、どんなに一生懸命になって説明をしても、なかなか話が伝わらない人がいるのはなぜなのだろうか?
コミュニケーションによるズレっていうのは、いったいどうしておこるのだろう?
そんな感覚のズレがなければ、コミュニケーションはもっと簡単になるのに…。
我々は、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚といった、いわゆる五感という入力器官を通して、外の情報を自分の中に取り込む。
そして、取り込んだ情報に言葉で意味付けをして、記憶の中に保管する。
この情報の処理の仕方に、腕に利き腕があるように、情報を処理する時に使う感覚にも優位に働くものと、苦手なものがあり、それは人それぞれ異なる。
この五感による情報処理の方法は、大きくわけて次の3つに分類される。
Visual = 視覚による情報処理、映像やビジュアルを伴うイメージ
Auditory = 聴覚による情報処理、音や言葉
Kinesthetic = 体感覚による情報処理、触覚、嗅覚、味覚による情報
このV.A.Kの3つの情報を使って我々は脳の中で、記憶にアクセスしたり、何かを考えたりしている。
そして、この3つの情報処理の仕方の違いが、コミュニケーションにおけるミスマッチの原因になっていると言われている。
視覚的な情報処理が得意な人は、情報を映像として処理するためたくさんの情報を素早く処理することができる。
彼らは、視覚的なイメージを使って情報にアクセスするため、「雨あがりの路面に光が反射する中を、赤くて平べったいスポーツカーが地を這うように走ってくる様子は、とても神秘的で美しかったよ」などのように、あたかもその情景が目の前に浮かんでいるかのように表現することができる。
彼らに、何かを説明する時は、絵や図、写真など具体的にイメージできるビジュアルを使ったり、表やグラフのようなもので説明することで理解度が深まる。
または、外見やデザインにこだわりを見せるのも彼らの特徴だ。
聴覚的な情報処理が得意な人は、情報を言葉や音で処理する。
論理的に物事を考え、文章も自分の頭の中で音読するように音に置き換えて処理をすると言われている。
読む速度はそのためあまり早くはないが、理解度や記憶力は高い。
難解な話や、理論的な話も聞いて理解することができる。
講義を聞いてノートをまとめたり、長時間の電話も苦にならないが、うるさい場所では集中するのが苦手、といった特徴がある。
体感覚による情報処理が得意な人は、手や体を動かしたり、自分の体験を追体験するように感じ取ることでことで情報にアクセスする。
彼らは洋服を買う時は試着をし、その気心地や肌触りを体感する。
試食をしたり、試飲をしたり、とにかく自分の体で体験してから納得する。
情報を処理するときもじっくりと感じ、返答する時も一度自分のなかで腑に落ちる間を取ってから返事をする。
彼らとコミュニケーションをとる時は、一度に大量の情報を伝えるのは避け、話しかけるときはゆっくりと、間をとりながらコミュニケーションをとる。
このように、相手がどのような情報処理の仕方を得意としているかによって、有効なアプローチの方法は変わってくる。
コミュニケーションというのは、自分が何を伝えたかということではない、相手がどのように受け取ったかということがすべてである。
つまり、コミュニケーション能力の高い人というのは、相手の得意な情報処理に合わせて自分の考えを伝える能力を持っている人ということになる。
我々に求められるのは、相手がどのような情報処理の方法を得意としているのかということを知り、相手に合わせたアプローチでコミュニケーションをとるということである。
では、どのように相手の得意な情報処理のパターンを理解するのだろうか?
彼らの特徴を見極める方法は2つ。
ひとつには使う言葉に注意する。
もうひとつには眼球の動きに注意する。
「言葉使い」に関しては、それぞれ得意な情報処理に準じた言葉を使う傾向がある。
視覚的な情報処理が得意な人は、前述したようにビジュアル的イメージを喚起しやすい言葉を使う。
色、カタチ、明暗、見る、注目する、描く、見晴らし、空白、場面といった単語や、「お先真っ暗」「先が見えない」「見通しが明るい」「希望の光が…」などの表現をする。
彼らはビジュアル的イメージを使って情報にアクセスするので、視覚的要素の含まれた表現を多用する。
聴覚的な情報処理が得意な人は、聴覚的要素を表す言葉を使う。
たとえば、言う、聴く、叫ぶ、静かな、単調な、響き、噂、声、沈黙などの単語や、「噂になる」「評判になる」「話題になっている」といった表現を使う。
彼らは、会話の中に音感を刺激する言葉の使い方を好むので、「サクっと仕事を終わらせて、スカっとビールでも飲みに行こうよ!」のように擬音語やオノマトペを使うのが好きだ。
触る、押す、握る、苦しむ、接する、暖かい、冷たい、滑らか、固いなどの単語や、「表情が固い」「緩やかなカーブ」「暖かいこころ」といった表現を使うのが好きだ。
次に眼球の動きに関しては、会話の時に以下のような動きに注意するといいだろう。
視覚的な情報処理をおこなっている人は、眼球が上の方を左右に行き来することが多い。
聴覚的な情報処理をおこなっているひとは、眼球が水平に左右に行き来することが多い。
体感覚にアクセスしている時は、眼球は下の方を向くことが多い。
NLP(神経言語プログラミング)にはという、眼球の動きで相手がどのような情報にアクセスしているかを知る方法がある。アイ・パターン(アイ・アクセシングキュー)
これは今日のテーマではないので、詳しく知りたい人はまたの機会に説明します。
さて、我々、音楽業界の仕事はコミュニケーションの連続である。
優れたマネジメントは、優れたコミュニケーターである。
数々のミスコミュニケーションは、さまざまな悲劇を産み、取り返しのつかない事態を招く。
質の高いコミュニケーションは、相手の世界観を尊重することからはじまる。
相手が理解しやすい話し方を心がけるということは…
「話の通じる人」になるということである。
エンタテインメント・ビジネス成功のセオリー⑮できる男はわかる男!
エンタテインメント・ビジネスに使える心理学を学ぶなら!
「こころ」の問題を解決するなら!!
長いバンド活動において、メンバー間で意見が衝突し解決困難な状況に陥ることもある。
同じメンバーであるにもかかわらず、ことあるごとに意見が衝突するのはなぜだろうか?
それは、人間の行動や思考のパターンが、何によって動機づけられ、良し悪しの判断をどのようにしているか…ということに関係がある。
人間は、どのようにそれを正しいことだと思ったり、それを間違っていると判断するのか…?
ある人にとっては「正しい」行動が、ある人にとっては「好ましくない」行動になるのか…?
同じ人間なのに、何故私たちは違う思考や行動パターンをもっているのか?
ある人はそれをカッコいいと言い、ある人はそれをダサいと言う。
ある人はそれを好きだと言い、ある人はそれが気に食わないと言う。
「トップ・バリュー」というと、あなたは何を想像するだろうか?
スーパーの「お値打ち価格」の格安製品を想像するだろうか?、
「バリュー」とは、人間各人が持つこころの中の「価値」のことを言う。
「価値(バリュー)」は限りなく無意識に近いもので、行動を起すための重要なモチベーションになったり、判断の基準になったりする。
「価値(バリュー)」はその人にとって重要なものから、それほど重要ではないものまで、順番づけられて保管されている。
この重要な「価値(バリュー)」から、それほど重要でないものまでの階層を「価値基準」という。
さらにこの「価値(バリュー)」の周りに、無数の「信念(ビリーフ)」というものがブドウの房のようにぶら下がっている。
「信念(ビリーフ)」とはその人にとって真実であると信じられているもので、それはその人の経験や学習によって定義づけられたものであり、「価値(バリュー)」よりも意識に近いところにある。
「信念(ビリーフ)」は、我々の行動や思考の素となり、ものごとに対してどのように反応するかというプログラムになる。
たとえば、ある人にとって重要な「価値(バリュー)」のひとつに「安全」というものがあったとすると、それを意識的な思考や具体的な行動に移すのには少なくとも以下のような4つの「信念(ビリーフ)」が必要になる。
①定義 その価値は具体的にどのように定義するか?
「安全とは、私の生命に危害のない穏やかな状態のことをいう」
②原因 なにがこの性質や実態を引き起こすか?
「安全とは、平和によってもたらされるもの」
③結果 それはどのような結果を導くのか?
「安全とは、安らぎと永遠の愛をあたえてくれるもの」
④証拠 ある特定の行動や経験が特定の価値と結びついているということをどのように知るのか?
「安全とは、こころが穏やかなときに感じることができるもの」
よく私たちが言う「価値観」というものは、このように「価値(バリュー)」の周りにある「信念(ビリーフ)」のシステムを経由して、意識にあらわれるのである。
我々人間は「価値観」が合う人と居ると、満足感、調和感、親密感を覚えるが、これがあわないと不信感や不満感を抱くのである。
たとえば、同じ「価値(バリュー)」である「安全」をもった人であっても、
「安全とは、敵がいない状態である」と定義付けている人がいたとしたら、答えはまったく真逆のものになる。
この人にとっての「安全」は「闘うことによって得られるもの」もしくは「逃げることによって」得られるものになるのだ。
国民の「安全」を守るために、武力が必要だという人もいれば、
武力を放棄すれば「安全」な世の中が来るという人もいるのは、「価値(バリュー)」にまつわる認知システムの違いなのだ。
このように、人間の思考における大きな要素となる「価値(バリュー)」は、私たちのなかで、いつ生まれてどのように変化をするのであろう。
人間は21歳(人によってはプラスマイナス3年ともいわれている)までに脳のなかにこのような「価値(バリュー)」と「信念(ビリーフ)」のシステムを構築する。
これが、人それぞれの認知と行動を制御するプログラミングとなる。
社会学者であるモリス・マッセイは、それが形成される段階は次の3つに区切られると述べている。
①刷り込み期(インプリンティング期)
生まれてから7歳ぐらいまで、われわれは身近な人からの情報を疑うことなく、まるでスポンジが水を吸収するように、自分の中に取り入れる。
これは人間としての基本プログラムが構築されて行く時期である。なかでも最も重要なプログラムは2~4歳ぐらいまでのあいだに、親や家族からの影響によって構築されていくと言われている。
②モデリング期(8歳~13歳まで)
この時期は、意識・無意識の両面で周囲の人たち(もしくはテレビやアニメのヒーロー)の行動を模倣しながら、そのシステムを構築して行く時期といわれている。
ほとんどの場合、7歳以下の子どもは両親と自分が一体で、その違いを区別するということを認識していないが、この頃になると自分の存在が、両親とは別のものだということを理解できるようになる。
そして、周囲の人たちの行動や態度を手本にするようになる。ヒーローに影響を受け、それを手本にし、重要な「価値(バリュー)」を身につける時期だと言われている。
③社会化期(14歳~21歳まで)
自分と社会とのつながりを感じ、外の社会における自分の役割と存在のあり方に対する「価値(バリュー)」を身につけていく時期。
ここで学んだ多くのことは、その後の人生に役立つものが多く、21歳をすぎると、余程大きな感情体験を積まない限り、中核的な価値は変わることはないと言われている。
人間は常に影響を与え合いながら、変化していく生き物だが、「価値(バリュー)」というものはその考え方の中核にある存在で、私たちの思考や行動を生みだす「信念(ビリーフ)」の根源にあるものなのだ。
だから、我々は相手の「価値観」を尊重し、それをつねに確認しながら共同作業をすることが必要となる。
「価値(バリュー)」というものは、そのコンテクスト(文脈、状況や背景)によって変わるとも言われている。
たとえば、人によっては人生における「価値(バリュー)」と、遊びというコンテクストにおける「価値(バリュー)」は違う。
だから、われわれはその都度ごとに「価値(バリュー)」を確認し、共有するという作業を行うことで、より一層重要な体験を共有することができるのである。
たとえば、アーティストが新しい作品を作るとき、バンドメンバーとそれに関わるスタッフでその作品の「価値(バリュー)」を共有することは、アルバムのコンセプトを作りあげ、それを共通認識とすることになる。
バンド活動に対しても、どのような「価値(バリュー)」と「信念(ビリーフ)」をそれぞれが抱いているのかということを認識しておくのは、バンドの解散や、仲間割れといった不毛な状態を生まない便利な作業である。
エンタテインメント・ビジネス成功のセオリー⑭トップ・バリューで吹き飛ばせ!解散危機一発!
エンタテインメント・ビジネスに使える心理学を学ぶなら!
「こころ」の問題を解決するなら!!
アーティスト・マネジメントの悩ましい仕事のひとつに、「相談」という名の下の「クレーム処理」がある。
アーティストの口から、彼らが今抱えている「問題」が発せられる瞬間である。
この時、話の聴き方、会話の処理の仕方を誤ると、アーティストとの間に深淵な溝ができてしまう。
私は若い頃、この「クレーム処理」を幾度となく誤って、深い溝をアーティストとの間に造ってしまったことがある。
「えっ!そんなつもりで言ったわけじゃなかったのに!」一度傷ついた信頼関係を修復するのは難しい。
表面上の関係性は修復されても、ある日突然、まるで道路が陥没するように、ガラガラと音をたてて「過去の溝」の中に今まで築いてきたものがすべて飲み込まれてしまうようなこともあるのだ。
こちらに悪気がなかったとしても、「相手がどのようにこちらの言葉を受け取るか」「相手にどのようにこちらの意図が伝わるか」ということで事態は180度変わってしまうのである。
あなたが「何を言ったか」ではなく、「相手がどのようにあなたのメッセージを受け取ったか」ということだけがコミュニケーションの結果なのである。
「相談」という名の「問題提起」において、スムーズな解決を見出すためにトマス・ゴードンの「親業」が十分に参考になる。
ここには親子関係におけるメッセージの交わし方が書かれているのであるが、これはアーティストとマネジメントの関係性に置いても大いに役立つ見解である。
たとえば以下のような「相談」があったとしよう。
相談者はリーダーでボーカルのA。
A:「ベースのBが言っていることが、最近ムカツク。なんでも反対意見を言ってみんなを困らせるんだ。」
まずは、やってはいけない「禁じ手パターン」は以下の通り。
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「Bがそんなことを言わないように、リーダーなんだから頭をつかいなよ」中傷 「Bがそんなことを言うなんて、お前の行動にも問題があるんだと思う」分析 このような表現は、相手がどれくらい悪いかというあなたの考えを披露しているに過ぎない。
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この「禁断の話し方」相談を受けた多くの人が、普通におこなっている行為ではないだろうか?
それでは、これらの話し方が、まったくNGだとしたら、我々はどのように「相談」相手と会話をすればいいのだろうか?
相手がこのように問題を抱えていて、「相談」を持ちかけてくる場合、 正しいのは、本人が行動にうつす解決策を自分で選ぶように力添えをすることだと言われている。
つまり、解決策を提示せず、相手が「どうしたらいいか」と自分で解決策に気づくように話につきあうことである。
人は何かを言い渡されるより、尊重され、理解されているときにうまく解決策を見つけると言われている。
「相談」に来る場合の多くは、相手はすでに問題に対する解決策を自らの「こころ」の中に持っているということを前提に話をすることが重要だ。
「相談」とは相手の問題解決のプロセスであり、こちらの考えを伝えることではなく、相手の答えを引き出すことである。
それでは具体的にどのようにすればいいのだろうか?
リフレクティブ・リスニングというテクニックがある。
それは、相手の話を自分の言葉に置き換えて返すという方法である。
A:「ベースのBが言っていることが、最近おかしい。なんでも反対意見を言ってみんなを困らせるんだ。」
マネジャー:「そうなんだ…Bのあらゆる発言で、メンバー全員が嫌な気分になってるんだね?」
相手の言葉を自分の言葉に翻訳して、投げ返す。
ここで言いかえたのは「何でも反対意見⇒あらゆる発言」「みんな⇒メンバー全員」「困らせる⇒嫌な気分」
このように相手の言葉を変換しながら、会話を聞いて行くことは相手に自分の意見を押し付けたり、判断をしたり、非難をしたり、否定したり、尋問をするということにはならない。
この聴き方を繰り返すうちに、相談者自らが問題の解決を見出すことができるとトマス・ゴードンは語っている。
A:「ベースのBが言っていることが、最近おかしい。なんでも反対意見を言ってみんなを困らせるんだ。」
マネジャー:「そうなんだ…Bのあらゆる発言で、メンバー全員が嫌な気分になってるんだね?」
A:「いや、メンバー全員ではないな…俺とドラムのDのモチベーションがさがるようなことを言われたんだ」
マネジャー:「AとDに対してやる気をなくすようなことを言うんだね?」
A:「やる気をなくすというか、頭に来て曲作りとか手につかないというか…」
マネジャー:「怒りで何もやる気にならない?」
A:「まぁ、確かにいつまでも怒っていてもしょうがないから、Bが納得するものをつくらないとしょうがないんだけどね」
会話の進行の中で、Bの発言で「嫌な気分」になってるのは「みんな」ではなくAとDの二人だけであるということがわかり、「嫌な気分」というのがBに対する「怒り」であることに気づく、そして「Bが納得するものをつくらないと」という自分がするべき行動に気づくというようなプロセスである。
実際にはこの例のように、すんなりといくとは限らないが、重要なことは自分の意見や判断を脇にやり、相手の話を理解しようとするマネージャーサイドの姿勢である。
リフレクティブ・リスニングは相手に自分の言動が受け入れられているという感覚を与える、そして相手はこの人に大切にされていると感じ、「自己重要感」を高めることができる。
「自己重要感」とは「自分を大切だと思う」「自己をかけがいのない存在と認める」「自分を価値のある存在だと認める」という「こころ」の働き方で、これが人間の生きるための重要なエネルギーとなる。
言葉を置き換えるという作業は、一見難しいようにみえるが、置き換える言葉が思い浮かばなければ、相手の言葉をそのままフィードバックしても構わない。
重要なのは、「私はあなたの言動を無条件に受容しています」ということを相手に伝えることなのである。
いきなり、提案したり、批判したり、判断をすることは避ける。
なぜなら、その「不満」を述べている人間は、自分の中にすでにその問題を解決する方法論を持っているからだ。
彼らは「相談」と称して、自分の「こころ」の深い部分に眠る解決策を認めて欲しいだけなのである。
つまり「相談」とは相手を受け入れるプロセスであり、信頼関係を強めるチャンスである。
エンタテインメント・ビジネス成功のセオリー⑬「問題」の答えは「相談者」がすでに持っていると心得よ。
エンタテインメント・ビジネスに使える心理学を学ぶなら!
「こころ」の問題を解決するなら!!