おはようございます。
こんにちは。
こんばんわ。
このブログで記事を書くのは約2年ぶり。
すこし気持ちの持ちようや、ものの感じ方が
変わっているところもあるかもしれないですが、
これが今の本心だと思って
読んでいただけると嬉しいです。
初期
僕がアイドルという物に興味を持ったのは中学生のとき。
西暦でいうと2015年。
始めはAKBやらNMBやらに目がいって。
そこで一人の真面目なメンバーに出会うわけだが、
ここでは触れない。
それからして1年後、
乃木坂の公式アプリである乃木恋のサービスがスタートした。
僕はほぼリリース時期に始めていて、
いわゆる推しといわれるものは、転々としたが、
最終的にはある人に落ち着いた。
そう。鈴木絢音。
当時から課金はせずに楽しむことを
大前提としていたため、
彼氏には当然なれず、
アンダー彼氏として今現在まで
過ごしてきた。
ところで、なぜ僕は彼女にひかれたのだろうと
考えると、正直に言って分からないのだが、
今の彼女の姿を見ると、
人間性そのものをその当時に感じていた
のかもしれないと思うわけです。
当時はあまりしゃべらない、大きな声が出せない
というようなイメージで、
推しが彼女であることを伝えたとしても
ほぼ全員が頭の上ではてなが浮かんでくる状態でした。
彼女を見ている中で、気づいたのがやはり
真面目であること。
現在を見ればわかるだろう。
辞書、本、クイズ、舞台、ライブ。
僕の中ではすべてにおいて
全力でやってきていると感じていた。
それが初選抜の体調不良というものに
現れていた。
彼女はいつも予想外のことをいってくる。
時には、舞台の観覧の注意。
時には、大学に行ってたことの公表。
僕にとっては、どれだけ僕たちのことを想って動いているのだろう、
という気持ちでいっぱいだった。
本人
僕が彼女に初めて会ったのは、京都。
彼女がアンダー曲ではあるが初めてのセンターになった
あのアルバムの握手会。
記録に残ってた。
うん、2018年3月25日。
当時は言葉が出なかった。
本当に存在したんだって。
手の感触っていうのが明らかにわかった。
気持ちの変化
そこから熱は冷めることはなく、
むしろ強くなっていく一方だった。
だが、それはある時期に冷めてしまった。
その時感じていたのは、
なぜ彼女が頑張っているのに僕は頑張っていないのだろう
という気持ち。
何日か、何週間か、忘れてしまったが、
なぜか彼女の顔を、姿をみることがしんどく感じた。
その時期を過ぎると、
僕はいつのまにか高校に入学していた。
となると、当然のように
朝から晩まで勉強尽くしで
家に帰っても勉強。
テレビを見る、携帯を見るということが
ほとんどできなくなった。
夜は早めに寝なければいけない、
携帯も触れる時間があまりない、
そういう時期で彼女の活躍を目にすることは減っていった。
でも、僕はしんどくなかった。
彼女が頑張っているのだから、
僕も頑張る。
その気持ちで駆け抜けた3年。
といいたいところが、
受験シーズン中に途絶える。
現在も続くパニック障害の発作が起きた。
受験が終わるまで、
どれだけしんどかったか。
学校の友達と勉強ができない、
同じ空間にいて、発作が起こったら迷惑をかける、
そのことを思うと、いたたまれなかった。
さらに体調は常に悪い。
朝から学校に行くものの、教室についた時点で
具合を悪くして、朝のHRを迎えずに早退。
勉強したいのに、体が拒否反応を示す。
いくらか勉強に向き合えない、
机に向かえない時期が続いた。
ここでも
なぜできないんだ、、
彼女はこの間も頑張っているのに。
そう思っていた。
そして大学に入学し、現在に至る。
2023年2月18日。乃木坂からの卒業発表。
今、感じること
正直。早い。
こんなにも早いとは思ってもいなかった。
でも、覚悟はしていた。
彼女にも必ず来る、その時期が。
そう思っていた。
だからそこまでダメージは多くない。
と思っているが、どうかはわからない。
僕の脳はいくらかわからないところがあるので。
ただ、極論をいえば、
死ぬ、死んだわけではない。
一生会えないことはない。
姿は変わらず見れるだろうし、
彼女の存在というのは地球上にあるのだから、
落ち込むことはない。
そもそも、僕個人としては
鈴木絢音という人間を見ていて、
尊敬、憧れの感情を抱いている。
一時は乃木坂という肩書は必要ないとも考えていたほどである。
それくらい、どこのグループに属しているかというのは
僕にとっては関係のないことであった。
彼女の10年というものを僕は7,8年しか見ることはできていないが、
その年以上のものを学ぶことのできた、そんな期間だったと思う。
最後に
一般的に言えば、まだまだ人生は続いていきます。
人生100年時代と呼ばれる現代にとってはまだ四半世紀しか生きていない。
彼女が僕らファンに与えたものというのは不加算的で無限である。
そのお返しとして、というのは僕らはもちろんのこと
彼女も考えている。
感謝というものを伝えるのであれば、
方法は一つしかない。
この世の中を生きること
中学、高校、そして大学。
いろんなことを考えてきた。
僕たちの振る舞いが、
推しという概念とは、
生きる価値とは。
僕の中にあるどれもが
鈴木絢音を土台に形成されたといっても
過言ではない。
そう、感じる。
From 2016 To 2023
2023年2月19日 AYANELIVER

