プロと呼ばれる以上、それはビジネスであり、一人の選手が会社と同じだ。敗北は会社が傾くこと。下手すりゃ倒産することだ。特に、ワールドカップともなれば、もはやスポーツではない。それは、武器を持たない戦争だ!
▼マラカナンの悲劇
1950年7月16日、リオデジャネイロのエスタジオ・ド・マラカナンで行われたW杯ブラジル大会決勝のブラジル対ウルグアイ戦で、地元開催かつ優勝候補として前評判の高かったブラジルが先制するも逆転負けを喫して準優勝になった。この結果にブラジル国民の2人が観客席から飛び降り自殺、2人がショック死、20人が失神するという大惨事になった。
▼暴動で死者318人
1964年、東京オリンピックの南米予選ペルー対アルゼンチンの試合で試合中に審判の判定を不服として観衆がピッチになだれこんだ。事態を重く見た主審が試合終了を宣言した。会場は暴動へと発展し318人の死者、500人以上の負傷者を出してしまった。
▼愛国心で釈放
1970年、メキシコW杯で開催国のメキシコは初のベスト8に進出し、国内は熱狂の渦に包まれていた。重犯罪刑務所のマリアガ所長も雄叫びとともに銃を乱射し所内にある全ての独房の扉を開けて142人の囚人全員を釈放してしまった。この不祥事を起こしたにもかかわらず、マリアガ所長は裁判所で『愛国心からの行動』として無罪となった。
▼ヒルズボロの悲劇
1989年4月15日、FAカップ準決勝で中立地のシェフィールド・ヴェンズデーのホームスタジアムであるヒルズボロ・スタジアムでのリヴァプール対ノッティンガム・フォレストの試合が始まって6分後、主審が試合の中断を命じた。その時スタンドでは観客が立見席に押し寄せ混乱状態に陥っていた。その結果、人波やフェンスに圧迫され96人が圧死、負傷者200人以上というイングランドサッカー史上最悪の事故になった。この時の死亡者の中には現リヴァプール所属のスティーヴン・ジェラードの従兄弟がおり、これが自分がリヴァプールにいる理由だと語っている。
▼エスコバルの悲劇
1994年のアメリカW杯、優勝候補のコロンビア代表が開催国のアメリカ戦でDFのアンドレス・エスコバルのオウンゴールによって敗れた。その後もコロンビア代表は波に乗れずに、まさかのグループリーグ敗退となった。帰国後、オウンゴールを献上したエスコバル選手がナイトクラブから出てきたところを何者かに12発の銃弾をうけ射殺された。大規模な賭博でコロンビアの優勝に賭けていた人の反感を買ったことが原因とされている。それ以前は自殺点とよばれていたが、これを機にオウンゴールという呼び方に変わったとされている。
▼マイアミの奇跡
1996年、アトランタオリンピック男子サッカー第1次リーグにおいて、日本代表がブラジル代表に勝利した試合の日本における通称。オーバーエイジ枠を使わなかった日本とオーバーエイジ枠を使いベベット、リバウドを使ったブラジル代表の一戦は試合前からブラジルの勝利と誰も疑わなかった。しかしキーパー川口の好セーブもあり、相手のミスから先制した日本が1-0で勝利した。その後ブラジルでは特別番組を組み、国内の有識者達が屈辱的な敗戦の要因を徹底的に討論した。ブラジルでの通称は『マイアミの屈辱』。
▼公式戦で149-0
2002年10月29日、マダガスカル選手権決勝2日目エミルヌ対アデマの試合で序盤2-1でエミルヌがリードしていたが、ファールがあったとしてアデマにPKが与えられた。エミルヌの選手達は抗議したが判定が覆ることなくPKを決められ同点にされ2-2で試合は終了した。迎えた決勝の最終日、監督はサッカー協会への抗議として試合で出来るだけ多くのオウンゴ-ルを入れるよう選手達に指示した。試合が開始された直後から選手達は約36秒ごとにオウンゴールを入れた結果149-0でアデマが勝利した。エミルヌの監督の意図としては以前にも審判の判定で試合を壊された経緯がありオウンゴールで149点を取ることで世界から注目されればマダガスカルのサッカーの問題点を知ってもらえると思って選手達に指示したとの事。実際これが大きな話題になりサッカー連盟の役員は辞職に至ったが、新役員達は資金を持ってなかったので辞職した役員達が戻ってきたので状況はあまり変わってない。
▼交代を告げられチームメイトを刺殺
2006年9月10日、南アフリカのノースデール・スタジアムで行われていた三次リーグに所属するMsenti Acesが試合をしていた。前半が終了しハーフタイム中に監督はスタメンの選手に代わりエマニュエル・レフナ選手(25)を交代させる事とした。そしてレフナ選手が代わってピッチに入ろうとしたところ、交代を告げられた選手が刃物のようなものを手に取りレフナ選手を刺した。当然に試合は中止になり、救急隊の治療にかかったがほとんどレフナ選手はほぼ即死だった。被疑者の氏名などは一切公表されておらず年齢は26歳とのこと。
▼爆弾で警察官が死亡
2007年2月2日に行われたイタリア・セリエAの第22節カターニャVSパレルモ戦の暴動でサポーターが投げた小型爆弾が警察官のフィリッポ・ラチティさんに直撃した。ラチティさんは小型爆弾が直撃した後、同僚に「心配するな。たいしたことない。でも気分が悪いので病院に連れて行ってくれ」と言ったのを最後に、搬送先の病院で死亡した。5日のカターニャ大聖堂の葬儀の外には数千人が弔問した。この事件を受けてイタリアサッカー協会はプロアマ問わず事件後に開催される予定だった全てのサッカーの試合が中止され、既に9日から11日に行われるセリエAとセリエBの次戦、7日に予定されていたイタリア代表の親善試合の中止が決定
▼アジア杯の祝砲で3人死亡
2007年7月21日、サッカーのアジアカップでイラクがベトナムを下し準決勝進出を決めた。試合後にイラクの首都バクダッドで勝利を祝って祝砲を上げたが、それにより死者3人、負傷者50人という大惨事になった。
▼試合中に呪文を唱え11人が死亡
2008年9月14日、コンゴ東部で行われた地元チーム同士の試合で劣勢だったチームのGKが前に出てきて呪文を唱えたところ、選手同士の乱闘に発展。駆けつけた警官に群集が石を投げ、警官は催涙ガスで応酬。死者11人、複数の負傷者が出た。
▼お祭り騒ぎで死者3人
2008年12月28日、ベトナム代表が東南アジア選手権決勝でタイに勝利して初の国際タイトルを手にした。それに興奮したサッカーファンがお祭り騒ぎとなり、酒を飲んで国旗を振りかざしながらバイクで集団暴走を繰り返すなどした為交通事故が多発し南部ホーチミンで384人が病院に搬送され3人が死亡した。ハノイでは82人が負傷、14人が身柄を拘束された。
▼試合中の選手をファンが射殺
2009年3月15日、イラクの地域リーグでシンジャル対ブハラの試合中でシンジャルの1点リードで迎えた後半ロスタイムにブハラのFWカジム選手がGKと1対1の決定的な場面を迎えた瞬間、同点ゴールを阻止しようとしたシンジャルサポーターの男がいきなり拳銃を発砲した。犯人は即座に取り押さえられたが、頭に被弾したブハラ選手は死亡した。
▼W杯予選前に乱闘、22人死亡
2009年3月29日、2010年南アフリカW杯のアフリカ予選でコートジボワールのアビジャンの競技場でのマラウィ戦の前に観戦に詰め掛けた観客がもみ合うなどして転倒22人が死亡、132人が負傷した。
▼選手がファンを射殺
2009年7月5日、コロンビアのアトレチコ・ジュニオールのMFハビエル・フローレス(27)がファンを射殺した。同クラブは6月28日に国内リーグ前期プレーオフ決勝で敗れたばかりで、同選手は自宅近くで乗用車を運転中にファン数人に『下手くそ』などとからかわれたことに腹を立て、車から降りてファンに向け発砲した。結果、銃弾2発を受けた27歳の電気工の男性が死亡した。同選手は一度乗用車を乗り捨てて逃走したが、すぐに自首した。
▼喜びのあまり死者14名
2009年11月18日に南アフリカW杯予選でエジプトを1-0で下し本大会出場を決めたアルジェリア代表だったが、それを見ていた国民のうち145名が心筋梗塞を患い、喜びのあまり175名が交通事故をおこした結果14名の死者と250名を超える負傷者を出した。
▼武装集団がトーゴ代表を襲撃
2010年1月8日、アフリカネーションズカップ出場のために移動中だったトーゴ代表を乗せたバスがアンゴラで襲撃を受けた。銃撃は数分間におよびバスの運転手が死亡した他、選手2人を含む9人が負傷した。同地域は30年間に渡り武装闘争が繰り広げられていた地域だった。事件後に分離独立派のカビンダ解放戦線が犯行声明を出した。
▼サポが選手に暴行、選手が報復し2人退場
2011年10月31日、ルーマニアリーグでステアウアとミハイ・コステアとの一戦。ステアウアがPKを奪取したが、サポーターがピッチに侵入。DFのゲオルゲ・ガラマスの後頭部を殴打。これにより頬骨を骨折。その後チームメイトがこのサポーターを蹴るなどして報復行為をした為に退場処分。その後も収拾がつかずステアウアのGKに発炎筒が投げ込まれ命中し倒れこんだ。試合は中止、殴られたDFと発炎筒が命中したGKが病院に搬送された。
▼クラシコの予想めぐり口論、父親を射殺
2011年12月8日、サッカー熱が高いアンゴラの首都のアンダで少年(17歳)と父親(48歳)がクラシコについて議論していてヒートアップした結果少年が父親に向けて2発を発砲した。父親はその場で死亡。少年は拳銃を所持したまま逃走した。
▼エジプトで暴動85人以上が死亡、1,000人以上が負傷
2012年2月1日に行われたエジプトの国内リーグ戦、アル・アハリ対アル・マスリの一戦。アル・アハリが3-1とリードしたまま試合は終了。試合後にアル・マスリのサポーターがピッチに乱入がきっかけで両サポーターが暴徒化し衝突。石やペットボトルが飛び交う中、パニックによる圧迫死やナイフで刺されるなどして85人以上が死亡、1,000人以上が負傷するというサッカー史上に残る大惨事になった。
▼代表選手が刺され、逮捕者は40人以上に
2012年4月15日、アルジェリア1部リーグ第25節MCサイダ対USMアルジェの試合でサポーターが衝突した。この後暴動に発展。警察が出動する事態となった。試合は1-1というスコアで終了したが、結果に不満を持ったMCサイダ側のサポーターが、USMアルジェ側のサポーターを急襲。選手団も衝突に巻き込まれ、USMアルジェのアルジェリア代表選手アブデルカデル・ライファウィは何者かにナイフで刺された。また、スタッフのアブドゥラー・シェルシャルも顔面を負傷。両名は病院に運ばれ治療中である。他にも軽傷を負った4名の選手が病院に運ばれた。暴動はスタジアム外にも広がり、周辺の公共施設が破壊された他、商店では略奪事件も発生。アルジェリア内務省は40人以上が逮捕されたと発表している。
▼試合終了後の暴動で1人死亡、負傷者多数
2012年5月3日、コンゴ民主共和国1部リーグ第7節のUSツィンクンク対サンガ・バレンデの試合が行われ0-0で終了した。その後、観客の暴動が発生し、負傷者多数の上、1名の死亡者が確認されている。ホームのUSツィンクンクのサポーターがサンガ・バレンデのサポーターを襲撃したという。理由は以前あった衝突に対する復讐であるとのこと。数カ所でサポーター同士が衝突し、数千人のファンがスタジアムから外に出ようと出口に殺到。被害はスタジアムの外にも及び、駐車車両に乗車していたカップルが襲撃の被害に遭っている。
▼GKが試合中にサポーターに殴られる
2012年10月19日、イングランドのプレミアシップ(2部)のリーズ対シェフィールドの一戦。1点を先制されていたリーズが動転に追いついた直後に事件が起こった。リーズのファンと思われる一人の暴漢がピッチに乱入、元イングランド代表GKクリス・カークランドに殴りかかった。カークランドは一時的に治療を受け、その後は試合終了までプレー。試合は1-1で終了している。
▼試合終了後の大乱闘で17人が退場
2012年10月28日、ウルグアイ1部リーグのワンデレルス対フベントゥの一戦。既に1人の退場者を出していた試合で試合終了直後に大乱闘に発展。合計17人の退場者を出した。
▼オランダで試合終了後にボランティアの審判が選手に殴られ死亡
2012年12月2日、アマチュア・サッカーチームの試合で審判を引き受けた男性(41)が十代の選手らに殴られ、翌日病院で死亡した。男性は3日午後5時30分ごろ、ニューウェハイン市内の病院で死亡が確認された。2日には所属するチームとアムステルダムのチームとの対戦でラインズマン(線審)を務め、試合後に相手チームの選手3人に襲われた。同国のメディアによると、3人は同日のうちにアムステルダム市内の自宅で拘束された。同国のサッカー協会は声明で「深い衝撃を受けている。現場に警察が出動し、救急車が到着した時には重体だったようだ」と述べた。
日本人サポーターは世界と認識が違う。ジャニーズのコンサート観にいってんじゃねーんだよ。ワールドカップの歴史と重みを知れ!
日本代表 VS コートジボワール代表
http://blogs.yahoo.co.jp/geek818brasil/39982304.html
日本人サポーターは世界と認識が違う。ジャニーズのコンサート観にいってんじゃねーんだよ。ワールドカップの歴史と重みを知れ!
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http://blogs.yahoo.co.jp/geek818brasil/39982304.html