以前から気持ちの落差の激しさには気づいていた。
躁鬱っていうんだろうか。
たのしむところ、バカになるところはとことんふざけるし、さわぐし、調子乗りすぎちゃうくらい。
でも、気分が落ちたとき、とことん落ち込んでいおわらせたくなる。
今日は久しぶりの落差
久しぶりなのは改善してきたわけじゃなくて、仕事に手一杯で、まったくそういう余裕がないから。自分を見つめ直す時間ができるからこその落ち込み。
年々食への興味がなくなっているけれど、うなぎはずっとたべたかったし、なにより福利厚生を使ってみたい気持ちもあった。食べてるときは本当に美味しさを感じた。大好きな海が心を浄化させてくれるみたいで、温かな太陽も心地よかった。
普通に帰宅した。中学、高校時代のあのじんわりとした幸せではないけど、充実した一日だったとおもった。
でも、ほんの少しのメッセージで一気に気持ちが落ちた。
昔から自分のセクシャリティとかについて疑問視していたが、恋愛、他者への性欲への嫌悪感があり、アセクシャルではないかとおもっていた。「好きだと思える相手に出会ってないだけじゃないか」と他人は言うけど、そうじゃない気がする。でも否定はできない。だって今後出会うかどうかなんてわからないから。
でも、確実に言えるのは嫌悪感の部分。これは本当だとおもう。
男子と喋るのは楽でたのしい。二人で旅行とかも普通に行ける。友達としてたのしめる。男女間の友情は存在する。そう思うのに、どこかの瞬間にそれが壊れる。
信頼してた、尊敬してた相手への嫌悪感。急に吐きそうになる。喉の奥からくる気持ち悪さ。これはなんだろう、
いままでも何回もあった。そのたびに激しい気持ち悪さに襲われて、自分は何なのかわからなくなって、「人間アレルギー」ってのが一番しっくり来るのかなともおもって。
わたしのこの感覚が何に起因しているのか。今までの環境?経験?深層心理?生まれつきもった特性? まったくわからないけれどどうしよもなく気持ち悪くなる。
今日は久しぶりのメッセージ。尊敬してたし、今後だって数少ない同じ道を歩む人として頼りにしてたけど、そういう願望が向けられたわたしに向けられた瞬間に気持ち悪くなった。べつにその人が気持ち悪いとかそういうんじゃない。たぶん自分がそういう対象になるのが気持ち悪い。相手は何も悪くない。
こういう気持ちも知ってくれて助言してくれた人もいる。「ためしに付き合ったり、実際にしてみれば変わるかも。」「したことないことだから怖がってるだけじゃないか。」
食べてもいないのに嫌いだと言って残すようなことはしてはいけないと思っているので、なんとか考えを変えようと試みる。
でも結局変わらない嫌悪感。
結婚式に行きたくなかったのもこれが原因。6年近く結婚式のバイトをしたけど、新郎新婦が気持ち悪く感じてしまうのは変わらなくて。
そんな気持ちで断ってきたけど、どうしてもいきたかった友人の結婚式。まるで、テレビの中の出来事のように思えて現実味がなかった。同じ会場にいるのにすごく遠く感じた。「あぁ自分は将来こういう場には立たないな。」と思った。食事に集中すること、同じテーブルの友人との会話を続けること。新郎新婦ではなく、新婦である友達だけにフォーカスして、友人の幸せな時として認識すること。これに徹すれば吐かずに過ごすことが出来た。
けれど、友人の幸せそうな顔はわたしには理解できなかった。
アセクシャルについてしらべる。でも確定はできない。嫌悪感が今までの私のなにかの出来事に起因しているのか。それとも生まれ持ったものなのか。性自認も性的指向もわからない。他者への恋愛感情はもったことがない。異性への性欲もない。無いのか、嫌っているのかどっちかもわからない。
セクマイを名乗るYouTuberは自分を分析し、名前をつける。アセクシャル、Xジェンダー…名前が付けば、自信がつく。わからないもの、マジョリティーから、理解できるものであるとわかり、新たな集団を手に入れることができる。
でもわたしは曖昧で、全くわからなくて。もともとセルフエスティームなんて0なのに、いないほうがよい存在なのではと思い始める。
なんのために生まれて、なんのために生きるのか、わからないまま終わるのかもしれない。
解決の糸口も見えず、ただ時間が過ぎ、ただ涙が流れるだけ。
ごめんなさい。