中学受験を題材にしたブログを拝読するようになって思うことがあります。それは、「算数ができないのと国語ができないのと、どちらがやばいのか?」です。

 

私の意見は・・・

 

国語ができないとやばいです。

 

ここで言及する「できないレベル」は「真面目に勉強しても偏差値30台」とします。

このクラスの子供は国語だけでなく、あらゆる教科ができない超深海魚になる可能性を秘めているからです滝汗

 

中学受験が人生ゲームのゴールであるならば、算数のほうが致命的になるケースもあるかもしれませんが、中学受験の算数の問題が解けなくても、社会に出てから困ることはほとんどありません

 

一方、国語力は全ての教科の土台であり、語彙力と読解力がなければ、解く以前に問題そのものが理解できません。コミュニケーションにおいても、国語力がないと言葉の意味が分からず、言われたことの要点も分からないので、人間関係をうまく構築できない可能性が高いです。

 

そして、国語力が欠如していたさだっちと接していて分かったことがあります。それは、

 

国語力がない子は大人との会話が成立していない

ということです。

 

相槌を打つしぐさを見せるので、分かってくれているものと錯覚してしまいますが、語彙力が極端にないため、大人が発する単語の意味を理解できていません。文法の知識も曖昧なので、話の構成を掴めていません。誰の何の話をしているのかさえ、掴めていないことが多々あります。にもかかわらず、「分かったふり」をしているのです。

 

小学生でも中学年以上になると周りの会話が徐々に高度になっていく一方で、分からない所が多すぎて、少し質問したり確認する程度では話を理解できなくなってきます。そのため、「分かったふり」でその場をスルーする処世術を身に付けてしまっているのです。というより、分からないのが当たり前になっていて、分からないことに疑問を持たなくなっているのかもしれません。

 

そして同様の理由で本や文章も読めていません。正確には、

文字としては読めていますが、理解できていません

 

算数の文章題が解けないのもこれが要因です。問題文が何を聞いているのか読んでも理解できないのです。問題文の意味が分からないのですから、解けるはずもありません。。。

理科や社会も同様です。名称を答えるような単純な問題はできても、物事の現象や社会の構造など理解力が求められる問題には手も足もでません。

 

こうなってしまうと、「日常生活の中で語彙を増やしましょう!」「いろんな人と会話をしてみましょう!」「読書をしてみましょう!」「音読をしてみましょう!」といった、一般的な国語力向上の手法は通用しないと思われます😢

 

 

実際、小4のときのさだっちがそうでした。

 

一度このスルーモードに入ると、残念ながら日常生活の中で国語力が向上することはないと断言できます。なにせ、オール・スルーですから、学びなんてあるわけがありません(^^;)

 

そこでさだっちに徹底したのは、

「分かったふり」を止めさせることです。

 

分からないことが多すぎると、完全スルーになってしまいますので、こちらも日常会話ではできるだけ平易な言葉を使い、分からないことは数か所程度になるように心がけました。そして、さだっちが理解できていなそうな素振りを見せたら、すかさず確認して補足、文法的に理解できないときは言い換えました。これは非常に面倒で手間のかかる作業でしたが、慣れてくると「分かったふり」を見抜けるようになって、私もスキルアップしていきました(笑)

 

心理的安全性の確保も重要です。

 

幼稚園児でも分かりそうな言葉が怪しくても、怒ったり馬鹿にしてはいけません。怒られたり、プライドを傷付けられると「分かったふり」が直ぐに復活してしまうのです。「分からない」と言いやすい環境を整えることは極めて重要ですが、私にはこれが一番つらかったですね。。。

 

現実は頻繁にヒートアップしてしまい、それもあってか、分かったふりをしなくなるまで半年はかかったと記憶しています。ごめんよ、さだっち~

(注)分かるようになったわけではありません。

 

 

このブログを始めた理由(リンク)です。

勉強しても偏差値30台だった(?)さだっち。

同じような境遇のお子さんをお持ちの方がいらっしゃいましたら、アドバイスをいただけますと嬉しいです!