once in a blue moon

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 昨夜は、福岡で有名な桜の名所「舞鶴公園」に夜桜を
観に行って来ました。ここは黒田官兵衛ゆかりの
黒田藩の居城だったところです。城壁に向かって
照射されたライトで桜が浮かび上がり、真下のお堀に
映って大変綺麗です。昨夜は風もなく、さざ波も立たずに
殊の外鮮やかに影が映っていました。水に浮かぶ花弁も
まだ無くて、今がちょうど満開。ガラケーで撮ったので
これが精いっぱいだけど、「舞鶴公園 夜桜」で検索
するともっと全容を画像でも見ることが出来るようです。

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近頃、僕はちょうど洋画『インター・ステラ―』

というSF映画を見て、何だか良く分からないけど

凄い映画だな~と思って(笑)、ブラックホールや

宇宙の事について、映画をもっとよく理解したいと

相対性理論等を調べていたところだったので、

とても関心を持ってニュースを見ました。

 

ニュースで説明されていたのは、L字型の真空の巨大な

パイプの中をレーザー光線を照射して、2辺方向に等距離

を走るレーザーが、両端の鏡に反射して戻る時間は

一緒であるところを、重力波が海のさざなみのように

時空を揺らすと、パイプ内の時空が伸び縮みして、戻る

時間に微妙な齟齬が出る。それを捉えて重力波の観測と

するもの。

 

さて、僕がチト分からないなと思ったのは、空間を

揺らして及んできた波が、何で遮蔽されているパイプの

中を通るの?と。パイプの中の時空を伸び縮みさせると

いうわけだから。

 

そこで、自分なりに考え至ったのは、真空のパイプの中

にも重力は……あるよね~無重力とは違うんだから。

要は、真空パイプの中であってもコイン落とせば落下は

する。つまりは重力は作用している。と言うことは、

重力波というのは、重力の働いているところの変化のこと

だから、これは遮蔽されたパイプの中であっても影響を

及ぼすんだな~と。

 

相対性理論は、重力の正体を、何故リンゴが地面に落ちたり

惑星が天体の周りを回ったりするのか、その引力(重力)の

正体を、実は時空がゆがんでいるから、と発想するもの。

トランポリンにボーリングの玉(巨大質量の星の比喩)を

落とした時に近くに置いたピンポン玉(惑星の比喩)が

ボーリング玉で窪んだ周囲に引き寄せられるように、引力

(重力)の正体を、トランポリンに生じるゆがみに例えて、

空間のゆがみが、窪んでる方向に惑星やリンゴを引き付ける

力(重力)の理由だと説明するみたいだよね。

 

さて、今回発見された重力波というのは、空気の振動とか

じゃないないんだね。だから真空パイプの中であっても重力

は影響を及ぼす。トランポリンや海面の波の揺れみたいな

例えで説明はされるけれども、あくまでそれは例えであって、

そう言う物質の揺れとかではない、空間のゆがみというもの

は。だから、重力波=重力の発生する場の変化というのは、

ちょっと僕らが経験する物質の揺らぎではない、新しい形態の

揺らぎみたいなんだな、時空の揺らぎというのは。それを観測

に成功して今回キャッチして、知覚認識する方法を手に入れた。

 

ところで、今さら相対性理論に不遜にも物申すわけではない

けど、重力が働くのは時空がゆがむからだ、と説明するけど、

元々物質のゆらぎとかじゃない、僕ら人間の感覚に馴染みのない

重力波。もちろん目に見えるわけでもないから、相対性理論は

科学は仮説として、それを説明するものとして時空のゆがみ、

と発想してみるわけだけど、そして勿論数々の検証によって

後からそれが仮説が正しいことが裏付けられるわけだけど、

今回の重力波もね。そして、ほら、やっぱり時空のゆがみが

波として到達しているんだってね。

 

でも、繰り返しになるけど、元々僕らの感覚に馴染みのない、

目に見えないものだから、本当は重力波は時空がゆがんでるから

生じているのではなくて、何か僕らの感覚を超えた、例えば

第六感のようなテレパシーのような超人間的な波かも知れない

よ?などと、ちゃぶ台返しで僕は恣に想像して見たりするのは、

駄目ですか?(笑)

 

長々今回の記事を、このような空想に持って来たかったのは、

実は『インター・ステラ―』の前に『ソラリス』(スタニフワフ・

レム著)という単行本を今年になって読んで、痛く肝銘を受け

ました。オールタイムンバーワンSF”の帯文に惹かれて読んで

みたんだけどね。

宇宙飛行士や宇宙物理学者が、学究の果てに宇宙の想像を超えた

未知に対して、哲学的神秘的になることもあるだろうな~

というのは、僕らにも想像に難くないけど、それを一般人である

僕らでも、何だか同種の気持ちを疑似体験させられるような、

ちょっと凄い本じゃないかと思います。

 

ただし、宇宙の事はなかなか言葉ではイメージしにくく、

また知識の羅列で読みにくい章もある(392頁だったか

巻末を後で読んだら、改定前の稿ではそのような章はカット

されてたらしいから読み飛ばしても良いかも)。根気がいる

けど、特に小説のラストシーンは巻末の解説とともに34

と読んで自分なりの解釈が出来てくれば、これまた『インター

ステラ―』と同様、何だか凄い本を読んだな~という気持ち

がじわじわと湧いてくる気がします。ありきたりの小説には

飽きた人には、この途方もない本を是非どうぞ。一度は読み

たい本と思いました。

 

 

※今回の記事は僕の理解が間違っている可能性も

大いにありますからその点は割り引いて下さい。


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「地球の誕生から流れた46億年の時間を1年に

縮めて見る。11日午前0時に生まれた地球

に人類が姿を現すのは大みそか1231日の晩

という。米国の科学ジャーナリスト、ジョン・

ウィルフォードの『恐竜の謎』に“地球歴が紹介

されている。ローマ帝国の栄華も午後1159

45秒からの5秒間、除夜の鐘を一つ聞けるか聞け

ないかの時間にすぎない。地球環境の破壊がほんの

12秒間に起きた激変だと知れば、背筋が冷たく

感じる方もあるだろう。」

 これは、先のパリでのCOP21(国連の気候変動

枠組み条約第21回締約国会議)の頃の新聞のコラム

です。ちょっと面白い視点だったので書き出して

見ました。

 それにしても、ローマ帝国の滅亡が午後1159

50秒だとすると、残り10秒ほどで中世・近現代

史が登場するとすると……地球環境の激変を改めて

思うと、この外形的事実を見ただけでも、人間と

言うのはつくづく難しい生き物なんだな~と思って

しまいます。

 ところで、この一年を振り返れば、人は過去を

振り返れば、いつもあっと言う間だったと感じる

ものだけど、例えどんなに長い歳月でも、千年も

過ぎ去ればきのうのごとく……とも言うしね。

ま、それからした今年一年くらい、1月、2月、

3月……と指折り数えて振り返れば、色々な出来事

があった一年はそれなりに長かったかな~とも思え

るはずだけどね。

その、それなりに長かった今年一年が地球の歴史

46億年だとしたら……人類の歴史は、除夜の鐘を

二つ三つ聞く間の時間にすぎないとは。

そう思って、今年の除夜の鐘が聞こえて来た時

には、何だか時の重みが改めて足音を心に響かせて、

通り過ぎそうな気がしています。

今年もご訪問ありがとうございました。

皆様にもどうぞ良いお年をお迎え下さい。

 僻み
 

世界が微笑んでいる――

穏やかな秋晴れの今朝は

世界が産まれ立てのような

無邪気な光をその目に輝かせている

 

それなのに朝からむくれているのは――

当たり前に呼吸している世の中を

素直に受け入れることが出来ないの?

世の中を僻んでいるのかしら

 

世界の笑顔に罪はないさ

だとすれば素直に受け取れぬ側の問題

世界は何も誰かのご機嫌を取って

回らねばならないはずはないのさ

 

世界にしたら堪らないよ

晴れやかに今朝は笑顔で呼吸をしただけで

機嫌が悪くなるようじゃ付き合い切れないよ

息をするにも気を遣うようじゃ窒息しちゃう

 

いつまでもそんな顔をしてたら

誰からも見放されるだろうよ

あるがままの世界を受け止める勁さが欲しい

当たり前を僻めば当たり前じゃない弱い心が映るのさ

 


久しぶりの更新です。今秋は、少し体調を崩してしまっていたけど、

暖かな凌ぎやすい陽気で助かっています。最近は、現在テレビで放送中の

「下町ロケット」ー今日は日曜だからちょうど夜に放送があるーを面白く

観ています。上の詩は、前回のシーンや最近ふと考えることがあったりして、

自戒も込めて、ちょっと書いてみました。人間関係の難しい,よくある光景

だと思いました。

波と少女

 
波打ち際で波と戯れる真夏の少女

足元を白い波が追い掛けている

寄せては返す水際の〝鬼ごっこ〟

 

今や白い波が笑っているようだ

捕えたと思った足を振り切られた波

またしても少女に逃げられた

 

「待て待て」とほら、波がまた来た

嬌声を上げながら逃げる少女の

足元で…砂に吸い込まれる波の笑い声

 

太陽の愛し子である少女にからかわれ

ぼくの手前で戯れに興じる、

鬼方の役者の背中を、遠望すれば

 

大海原が遥かに渺茫びょうぼう広がり――

人生を経て回帰する風景のように

大きな背中を白い破顔えがおの裡に隠していた

夏の思い出に、一篇作ってみました。
残暑なお厳しいですが。