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2008/10/12-13:北岳(3,1

http://musicslabo.com/ 2008/10/12-13:北岳(3,193m)・間ノ岳(3,189m)・農鳥岳(3,025m) 白峰三山縦走 そろそろ高山シーズンも終わり。行き残したとこは??と考えたときに浮かんだのが白峰三山の縦走だった。?????????? ? <コース>1日目:広河原→二俣→八本歯のコル→北岳→北岳山荘2日目:北岳山荘→間ノ岳→農鳥岳→大門沢小屋→奈良田<1日目>広河原→二股→八本歯のコル→北岳→北岳山荘あっという間に10月になり、アルプスはもうすぐ雪に包まれる。今年はあまり、山に行けなかった。どこに行きたいかと考えたとき、浮かんできたのが北岳だった。仙丈、甲斐駒、鳳凰三山とこの辺りの山からはどこからも主張している姿が見え、一度行きたいと思っていた。ただ、出発を決めたのが当日で3連休の初日だったため、レンタカーが中々見つからず、10軒ほど電話を掛けてやっと見つけたのが商業用のバンだった。これは音がうるさく乗り心地が悪いのだが、荷室が広く、足を伸ばして二人で眠れるところが素敵だ。夜中の12時くらいに出発したのだが、甲府から奈良田が以外と遠く、バス停近くの駐車場に車を止めたのが、3時。こりゃ、5時半のバスは眠くて無理だと思い、7時40分のバスに予定変更し、荷室に寝袋を広げて寝た。9:00 大樺沢出合予定通りの広河原行きバスに乗る。奈良田の始発時点では、我々二人だけだったのだが、一つ目の駐車場で一気に満杯になり、立ちまで出る混雑ぶりになった。広河原で身支度を整えて出発。早速今日の行程がすっかり見えて、気持ち良い。           9:00 大樺沢出合行程が長いので、大樺沢コースを行く。最初の分岐で「北岳・御池」or「大樺沢」の標識で北岳の文字につられて、つい御池コース方面に進んでしまったが、100m程で「ん?、なんか登ってるし、沢から離れておかしいぞ。」と気づき戻った。危ない。 地図を見て、大樺沢はなんとなく広くて枯れた沢を想像していたが、行ってみると水が豊富に流れており、樹林帯も歩いていて気持ち良い。          ちょっと進むと開けてきて、この辺りは木々が丁度良い感じに色づいて来ており、青い空と赤や黄の木々で2倍得した気分になる。          11:20 二俣二俣が近づくと北岳バットレスが近づいてくる。このコースは下の方はまだ緑、中腹が赤、黄、山頂あたりが茶色と季節の違いが綺麗に出ていて面白い。ここから山頂はまだまだ遠く見えた。ここで小休止。           12:00 大樺沢上部夏場は雪渓がかなり残っているらしいが、10月にもなるとかなり小さくなっている。徐々に勾配も厳しくなり、足が重くなってくる。             見事なグラデーションに思わず、カメラを向ける。この間まで夏だったのに、あっという間に季節は変わるもんだ。         ? 八本歯のコル手前二俣から稜線までは、意外と近く見え、「あんなとこまで2時間かからないんじゃないの~。」なんて話しながら登っていたのだけど、上に進むに連れて足が進まなくなってくる。そこに、これでもかというくらい木のハシゴが現れ、特別危ないこともないのだけど、手を使うと体力が奪われる。流石に富士山の次に高い山、そう簡単には着かないのである。              そしてバットレスも間近に見えて、壁に張り付いている米粒のような人や会話の内容まで聞こえてくる。もう昼は過ぎているのだが、まだ下の方の岩に取り付いている人もおり、明るいうちに上まで行けるのかなと余計な心配をしてみたりする。          13:50 八本歯のコル八本歯のコルは稜線上にあるので、あそこからはどんな景色が見えるのだろうと期待しつつ、ヘロへロになりながら、やっと着いた。来た道を振り返ると、鳳凰三山と昔苦しんだ白鳳峠、甲斐駒や八ヶ岳が見える。反対側には雲の上に富士山や明日向かう間ノ岳の巨体が見えていた。ここで一服。ただ、もう14時近く、山頂を回ると今日のコースはあと2時間もある。急がなくては、16時になってしまうので先を急ぐ。ちょっと雲も出てきた。15:10 北岳山頂吊尾根分岐にザックをデポして、北岳山頂に向かう。ザックを降ろすまでは一歩一歩がしんどかったが、空身になると流石に体が軽い。クリリンの気持ちが良く分かるぜっと思いながら山頂へ。 雲が出てきて曇天になってしまったが、眺望はすばらしく、文句を言ってはバチが当たる。??????????????????こちらは甲斐駒と八ヶ岳。           仙丈ケ岳の向こうには北アルプスもしっかりと見えた。          遅めの時間だったが、肩の小屋方面から登ってきた人や、三脚を構えて写真を撮っている人たちで賑わっていた。仙丈ケ岳なども行ったときは凄く大きな山に思えたが、ここから眺めると全ての山が小さく見えてしまう。北岳はやっぱりでかい!と思いながら、眺望をひと通り楽しんで、時間が無いので、早々に下り始めた。16:40 北岳山荘北岳山荘はずっと見えているのだが、意外と遠かった。吊尾根分岐でザックを回収し、足が疲れているので慎重に黙々と下るが、この時間になると人も減って、歩いていても寂しい。それにしても、間ノ岳はでかい。名前はありふれたダサい名前なのだが、高さも北岳とほとんど変わらないうえに、山容が立派で威圧感がある。農鳥岳も大分遠くに見えており、明日は大丈夫かなぁーと思いながら歩いた。やっと山荘についたのは、16:40、怒られても文句の言えない時間だった。          北岳山荘は、混んでいたものの布団は一人一枚ある程度で快適。今回は自炊道具は持ってきたので素泊まりにして、到着後、早速自炊スペースで、食事にした。自炊スペースには、僕らの他には1組しかおらず、プレハブの屋根はあるものの、冷える。用意したタイカレー、パスタ、お汁粉などなどを一気に平らげ、部屋に戻った。今日の部屋の人々は、この間の穂高岳山荘とは違って、みんなマナーが良く、18:45分には大半の人々が眠りについていた。僕らもやることが無いので、早めに寝た。そして一部屋40人くらいの人がいたのだが、奇跡的に山小屋での安眠の大敵、大いびきをかく人がいなかったお陰で、1回くらいしか起こされず、くっすりと眠ることが出来た。?<2日目>北岳山荘→間ノ岳→農鳥岳→大門沢小屋→奈良田夜の時点では、2日目、広河原に戻るのか、白峰三山を縦走して奈良田に向かうのかは、ちょっと迷っていた。1日目、予想外に時間が掛かって疲れたこと、奈良田までのコースタイムは11時間30分くらいあること、小屋のお兄さんにこの時期、間ノ岳までの稜線上はマイナス3度くらいになると聞いたことなどから、縦走については若干不安があった。とりあえず3時に起床して、テント場に偵察に行ってみると、満天の星と甲府の夜景が見えた。天気は良いようだ、と思ったらやっぱ縦走したいという思いが沸々と湧いてきた。朝食を摂って、相方と作戦会議の結果、縦走にすることに決定。4:40頃暗い中出発した。 5:25 夜明けヘッドライトをつけて歩き出す。真っ暗で、稜線上は風が強く頬っぺたはとても冷えるが、今回は冬グロープ、冬帽子もしっかり装備してきたので、不安は感じない。満点の星が美しく、甲府の反対側、伊那方面の夜景も綺麗だった。道を間違

光市母子殺害事件と死刑問題

http://hospitalsnavi.com/ 光市母子殺害事件と死刑問題 光市母子殺害事件についてのニュースで、加害者の精神鑑定について取り上げる事がありますが、問題行動を起こす人の精神状態を、犯罪を犯す前に検査したり、または家庭環境について調べる事は出来ないのかと思う。前に海外で学校でいじめ加害者の精神や脳の検査をして、異常があれば治療させる、という事を書きましたが、そういう子供のうちの検査や治療は、その子供によるいじめで他の子供が傷つけられるのを防ぐだけではなく、成長後の犯罪行為も防ぐ効果があります。日本では家庭環境の調査はあっても、精神や脳の検査はしていない学校が殆どですよね。家庭に問題がなくても、いじめ加害者の子自体の精神や脳に問題があれば、それを治療して改善させなければ、その子の加害行為は止める事が出来ません。精神や脳の異常によるいじめ加害者というのは、他人と感情を共有する事がないので、相手の辛い、悲しいという感情を理解する事がなかったり、また自分の罪を自覚し反省する能力がなかったりしますし、加害行為がないと他人と上手くコミュニケーションが取れなかったり、安心出来なかったり、ストレスを解消出来ない事もあるそうです。さらに相手が自分を攻撃すると思い込む事もあります。こういう状態の子が治療されずに大人になる、というのは正直恐ろしい事だと思いますし、治療されれば光市母子殺害事件の加害者など、多くの精神に問題を抱えた人間が犯罪者になってしまう事もなかったんじゃないでしょうか。大人になってからのいじめや、また暴力や虐待の加害者の精神や脳の異常を検査した、という記事はたまに聞いたり読んだりしますが、逮捕される状況でもないのに、検査・治療を大人にさせるのは、相当大変なようです。また異常から加害行為をする人には、周囲の人を操るのが上手い人が多いようで、悪いのは自分じゃなくて別の人だと多くの人に思い込ませたり、力のある人を味方につけたりして、その結果加害行為を問題にする事が困難になってしまう事もあるようです。こういう事からも、やはり子供のうちに加害人格の検査・治療をし、犯罪を抑止する事が必要だと思う。今現在の日本はそういう検査・治療がなく、精神や脳の異常から加害行為をする多くの人間が放置された状態ですが、そういう国で死刑制度を廃止させようとする人がいる、というのは理解出来ないです。死刑は犯罪に対する大きな抑止力になっているので、これが廃止された時に、加害人格がその事をどうとらえるのか、当然その事も理解したうえで廃止しようとしているんですよね。当然廃止された後の事を考えて、加害人格への対策をしっかり立てて、それを実行する事が可能なので、それで廃止しようとしているんだろうと思いますが、まさかそういう事もなく、ただただ廃止させようとしているわけじゃないですよね。死刑制度が廃止されている国は、そういう対策が行われている国なんじゃないでしょうか。加害人格が放置された日本は死刑なしでは立ち行かないと思いますよ。廃止なんて意見は、対策が行われた後に出すべきじゃないでしょうか。今出されても迷惑でしょう…。死刑の廃止を求める人は、犯罪の被害者や遺族が死刑を求める事を批判する事もあるそうですが、被害者や遺族が死刑を求めるのは当然だと思う。犯罪者は罪を犯したのだから、罪相当の罰を受けるのは当然です。辛い状態の人を、死刑を廃止したいから批判するような人は、被害者や遺族の心情、そして彼らにとっての罪と罰を考えたうえでの死刑の意味が、自分自身が犯罪の被害者や遺族にならないと理解出来ないんでしょうか。死刑を廃止した後に絶対的終身刑の導入を、なんて話も聞きますが、そもそも塀の中での暮らしが「フェイス/オフ」の刑務所の様に辛く厳しいかどうかも分からないですよね。塀の中に苦労がなかったり、むしろ塀の中の方が居心地良かったり、なんて事もあるようですが、塀の中の加害者がもしそんな風だとしたら、被害者や遺族だけが苦しんで、なんのための罪なのか分からない気がします。死刑の廃止とか言う前に、日本がそれを求めるのにふさわしい国かどうかを考える方が先だと思いますよ。私はふさわしい部分ゼロだと思いますけど。メディアの中にも死刑廃止を求める傾向があるものもあるそうですが、メディア、特に新聞やテレビの様な旧来メディアにもそういう事を求める用意は出来てはいないと思う。例えば上に書いたいじめ加害者の問題でも、ネットを使ったいじめについて、加害者が使用したネットやサイトを批判出来ても、加害者自体を批判するという事が殆ど出来ていないし、なぜ加害者がそういう行為をするような子になったのか、その事への問題追求もない。適切な問題追求で加害人格についての問題を改善する事が出来ていない旧来メディアが、死刑廃止を求める事なら出来る、というのはそれを求めるにはふさわしくない事だけを印象付けますし、それをしない上でネット批判だけするというのは、攻撃出来る敵だけを攻撃して、攻撃できない敵は見て見ぬふりという印象すらあります。こういう攻撃姿勢がテレビや新聞離れの一因じゃないかと思う。特に最近の問題にネットがからむとネットだけに責任がある、とでもいうような一部旧来メディアのおかしな報道がありますが、そういう報道がネットの利用者の殆どにどういう印象を与えているのか、どういう意見を持たれているのか、報道する側は知っているんでしょうか。旧来メディアにはネットをライバル媒体のように扱うものがありますが、結局はその奥にいるのは、自分達にとっての利用者でもあるのを分かっているのかな、と時々思う。ネットだけを問題視して、本当に問題視するべきものは見て見ぬすりをするような、そんな報道をしていては、利用者に切り捨てられても無理もないと思う。旧来メディアの淘汰は、この点が重要になってくるように思う。光市母子殺害事件で感じたのは、日本という国はこの事件の加害者の様な人間が放置された危険な国なんだな、という事です。この加害者について聞く時、アルベール・カミュの「異邦人」という不条理についての小説の主人公ムルソーが頭に浮かぶ事がありますが、この事件の加害者は殺人の動機について、ムルソーの「太陽のせい」どころではないような発言をしてしまいました。被害者の魂を冒涜する様なあの発言が真実か保身の為なのか分かりませんが、ああいう発言のせいでこの人の人生自体が不条理になってしまった気がしました。彼には彼をあんな犯罪者に追い込んだ人、精神や家庭の異常を見て見ぬふりした人に見捨てられた人生であり、その結果が世間の冷たい視線の中での死刑宣告という、哀れな事情はあったのかもしれませんが、しかしそういう事情と死刑廃止とは、今の日本では切り離して考えるべきでしょうね。この加害者を生み出した要因は日本のこういう事情を改善出来ない点にありますから。あるアメリカの番組が、強盗に息子や娘を殺された老いた両親が、犯人を死刑にするまでの日々を取り上げていました。番組の最後に、死刑執行後に両親が庭で過ごす様子が映され、その様子はどこにでもいるような穏やかな表情の老人でしたが、執行前までは別人の様に険しい形相でした。強盗は欲の為だけに

緊張と衝撃の連続

http://starlabo.net/ 緊張と衝撃の連続 昨日お知らせしたとおり、今日からは緑川フランスから帰国1周年を記念して、現地の写真入りで「とうふのかど in Paris」を連載しまーす!10割の方々が「何を大げさな…」と思っていることでしょうが、2007年の僕にとって最大のキーは、昨年末のフランスでの1週間なのです。もしかすると今公演『誰ガタメノ剣』のキーワードがこの1週間に紛れているかも知れません。いや、紛れている確信があるからこそ、今ここで紹介したいと思うのです。現地でのメモをそのまま書き記しているため、一部テンションがおかしかったり、文章自体が読みにくかったりするかも知れませんが、現地での僕らの苦悩と感動を少しでも感じてもらえたら嬉しいです。というわけで。いざ。12/8 1日目5時起床。5時40分出発。持ちなれない荷物を転がして東京駅へ。6時30分発の成田エクスプレス。周りは日本人が多いがすでに国際的匂いが。座席番号の配列がふつうと違う、なんじゃこりゃ。早くもびびる。後方に流れてゆく夜明け前の東京の景色が愛おしい。 成田空港は予想外のど田舎にあった。が、駅と空港内だけは、それまでの景色とはまるっきり違うピッカピカのビル。普通を装おうとしても緊張感が高まる。市場とシゲとは、ここで待ち合わせ。二人ともいつもとは違う感じ。チケットカウンターで慣れないチェックインをしていると、伊東さんを発見!いつもなら「うわ、来たぞ」と思ってしまう人が今日ばかりは妙な安堵感。 手荷物検査の後、出国検査。突然、場の空気が変わる。が、意外とすんなり通過。高校生の団体のガヤガヤが微笑ましい。そしてついに搭乗。9時20分発エールフランス279便。スチュワーデスがフランス人!! 急に緊張。初の「ボンジュール」。かまなかった。 伊東さんからは「ジュヌコンプロンパ、ルフランセ、アンプー(私はフランス語が少ししか話せません)」という魔法の言葉を教わる。この言葉を気持ちをこめて残念そうに言えば、親切な人が多いフランスではだいたいの状況は打開できるという。お守りのような言葉。 座席は4人並び。僕は窓側。伊東さんが隣。通路を挟んでシゲと市場が並び。前も後ろもフランス人。アナウンスもフランス語。飛行機が動き始めるまで、小さな窓から見える景色を見ながら覚悟を決める。「まあ、何が起きてもいいや」という静かな時間。伊東さんは当然慣れた様子。初飛行機初海外のシゲも割りと普通。さっそくゲームなんかをやっている。市場も割りと普通。緊張してんの俺だけか。 9時20分、ゆっくり動き出す。機体は滑走路の端らしき所でピタリと止まる。大韓機がすぐそばを飛んでゆく。この次か。ゆっくり旋回。さあ、来た。タイヤが地面を離れた瞬間、女子高生たちの悲鳴。やめろ!離陸成功。下を日本の景色がゆっくり流れてゆく。田んぼや畑、小高い山。地味だ。それがまた愛おしい。 航路は北へ。新潟まで一瞬。日本海からロシアへ。日本ではない土地を見るのは初めて。どうも実感がない。そのうち雪原があらわれる。シベリアだ。このあたりで食事の時間。なんとシャンパンが登場。そして機内食はフランス料理。料理に無頓着な僕がめずらしく興奮。やたらウマイ。全部ウマイ。食後しばらくすると、窓を閉められる。寝ろということか。外は延々ロシアの大地。まるで東海道新幹線に乗っているときの静岡県だ。意外にも機内で眠ることができた。が、うつらうつらの2~3時間。 飛行機はほとんど揺れることなくヨーロッパへ。眼下は一面雲。そしてその向こうに真っ青な空と左弦の月。二度目の食事のあと、遂に着陸態勢へ。 「天候がすこぶる悪く着陸が難しい」というアナウンス。何言ってんだよーー。日本語で訳さなくていいよ。着陸地点が変更になる可能性もあったりしたが、予定通りシャルル・ド・ゴール空港へ着陸することに!眼下の厚い雲が間近に近づく!滑るように雲の上を飛んでいた機体が「エイッ」と角度を下に向ける。怖い。しかも揺れる。高度の数字がどんどん下がる。速度も下がる。降りても降りても雲だらけ。800mまで下がっても雲。大丈夫か。耳は痛いし、酔ってきた。そのうえ怖い。いいから諦めて他のところへ降りてくれ。が、「バーッ」と視界が開け、緑の風景がすぐそこに広がる。「フランスだ~!」という感動などカケラもなく、「雲から出た!」という安堵感。予想していた刺激とは、まったく違う牧歌的な風景。そして「ゴゴーッ」という車輪の音。大好きだ。地面大好き。無事到着したものの、駐機するスペースがない。というのも悪天候のため離陸すべき飛行機が出ないのだ。そんな状況を降りてきたのかよぅ!!タラップで降りる。初めてのフランスの風!違うよ~、何かが違う! 空港でオペラ行きのバス停を聞くために初質問!「ドゥー(2番)」。ヤッター。そして初めてユーロを使う。2両編成のバス。高速道路から見えるパリ郊外の夕景にすでに胸いっぱい。 しかし、パリ市内はこんなものではなかった! オペラ前に到着。すでに6時。人が多い!しかもほとんどフランス人!!女の人は美人ばっかりだ。みんなマドンナに見える。もうマドンナだらけだ!!!街中全部が東京とは違うのに、それらが意外とフツーにも感じられて安心。ホテルへ直行。颯爽とフロントの人に話しかけるが、見事挫折。即伊東さんに助けてもらう…。ホテルは落ち着いた感じの二つ星。シンプルでそれがまた良し。僕と市場とシゲ3人で近所のスーパーへ買い物。たかが買い物なのにヘンな高揚。「スーパーで買い物だよ!」。リンスがどれだか分からない。 寝てしまったシゲを除く3人で、買い込んだ食材を囲みパリ初めての夜食。楽しいね。寝室はその部屋とは違う部屋で市場法子と2人。市場ファンの方、申し訳ありませんね~。2人とも部屋の隅と隅で離れて寝る。逆におかしい距離。そんなに俺が嫌いか!そんなことを考えている間もなく、一瞬でオチる。<ボンニュイ~(おやすみなさい~)。>※写真は就寝前の市場法子の背中。壁に映る影が良し。。