裸のつきあい
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裸のつきあい
どんな親しい人でも、一緒に風呂に入ったことがないというのが判った。
このたび、文学の仲間と岩木山麓の温泉に入ったときに、二十年、三十年とつきあってきた野郎たちの全裸を初めて見た。男の全裸という表現も不気味だが、みんな中年のおやじで、別に自慢するような肉体美などあるわけがなく、互いの腹を見て、ほっとするだけだ。
わたしの先輩のSさんは、いつも高校の二年先輩というだけで、兄貴風を吹かせる。彼は、百キロを越す巨漢であったが、医者から止められて、ダイエットを真剣にやった。糖尿病にもなったこともある。それで、みるみる痩せて、体重はわたしよりいまは少ないという。それはないだろうと、温泉の脱衣場にある体重計に互いに載ってみたら、わたしのほうが一キロは多い。それは衝撃であった。周囲の人も、どっちが太っている? と訊いても、あまり変わらないというから、まさか、わたしもデブの仲間ということかと、まだ自分では認めたがらないのだ。
それが、体重測定で明らかになった。先輩を抜いたのだ。一緒に外で呑んでも、呑んだ後にラーメン屋に入ると、わたしは普通だが、彼は大盛りだった。そして、懇親会やいろんな宴会で一緒になっても、食べる量はわたしを遥かに凌駕する。わたしはそんなに量は食べない。いつも、ご飯茶碗に半分しか食べない。食後に続けて、ヨーグルトにアイスクリーム、リンゴにバナナ、チーズケーキにコーヒーと、たったそれだけより食べていないのだ。どうして太るのか自分でも判らない。
露天風呂に入りながら、初めて仲間たちの裸を見て、
「いままで、どうして、温泉に一緒に入る機会がなかったんだろう。これからいろいろと会で企画してやろうよ」と、わたしが提案する。
「いいね、風呂の中で講演会も」
と、賛同してくれた。会長も風呂に入りながら囲んでのお風呂談義。風呂にまつわるいろいろな話が聞けそうだ。
「混浴もいいな」
それは冗談で、会のばあさんたちに話したことがある。
「今度、ペンクラブで、混浴にみんで行こうよ」
すると、女流詩人が、
「わあ、嫌だ」と、寒気がしたという顔。
「なんの、ちゃんと背中を流してあげるし、風呂上りにはマッサージもしてあげますから」
S先輩も詩人に同じことを言った。
「あなたたたち、何を考えているの」と、いままで人にそんなことを言われたことがないのだろう、一人想像して赤らんでいる。昔の女性のほうが、淑女で、女らしい。
別に裸を見たいというのではなく、裸のつきあいで、どう人間関係が変わるのかを知りたいだけなのだ。洋服を着ているのは、社会的な人間の姿で、話もつきかあいも上辺だけのものを感ずる。なにもかもとっぱらって、男でも女でも腹を割って話すとき、身も心も覆い隠すことがない真の裸のつきあいができると思うが、よくよく考えてみると、それはまたつまらないものだ。女房や子供といった肉親ばかりの中では、神秘性もなく、言葉の駆け引きや遊びもなく、アットホームなだけで、単に仲良しグループであるのも退屈だ。時には危険な会話があってもいい。
それがないほど、二十年以上のつきあいになると、男と女も身内よりも身内の関係になってしまって、べったりだ。最初の頃はわたしも三十過ぎで、相手も四十過ぎというまだ男と女であったのだろうが、いまとなっては、病気の話で盛り上がるだけの関係で、介護も視野に入れたおつきあいとなる。寄れば集まれば、出てこなくなった会員の話で、次々に倒れたり、寝たきりになったりと病気になっている。
一度、会の懇親会でもその話題になったので、司会をしていたわたしは、懇親会にも出席が悪くなり、年々参加が減ってきているが、病院は混んできているようで、会員に逢いたかったら、病院に行けば誰かがきっといますよと、笑いをとったことがある。
それほど、会も次第に高齢化して、出てこられなくなった人がいる。ペンクラブもやがて老人クラブと化し、やはり、温泉日帰りで、それだけが楽しみのようになってくるのだろうか。
わたしは、家ではじいさん、ばあさんだけでなく、叔父たちも連れて、月に一度はどこか温泉に連れてゆく。親父の兄弟もだんだんと死んで少なくなると、残っている九人兄弟の三人は、盛んにうちに来るようになった。人間、年とってくると、淋しくなり、寄り添うようになるのか。
ペンクラブでも同じような傾向が出てきた。一度、泊まりでやりましょうよという詩人の提案もあった。日帰りでもいいが、どこかの温泉場で、酒を飲みながら、文学の話を聞くというのもいい。
いままでのホテルや会館のホールで、講演会と懇親会と、そればかりをやってきたが、そうした背広で聞くのではなく、ドテラを着て、炬燵に入ったり、囲炉裏を囲んでの青森らしい講演会もいいのではないか。
そうした温泉旅館はいくらでもある。鄙びた山奥の一軒宿がいい。岩木山麓の嶽温泉も、吉川英治が投宿して宮本武蔵の構想を練ったとされる十和田湖に近い温川温泉も、文学を語るにはいい雰囲気だ。またぎ飯を食い、いわなの塩焼きで地酒を一杯もいい。
少人数の有志ではそうした日帰りは毎年しているが、全員に呼びかけ、バスを仕立てて行くのはまだしていない。
うちの会員でわたしと仲がいい人が、バスの運転手を長くしていた。マイクロバスをレンタカーで借りて行ってもいい。近場でもいいところがたくさんある。この青森県は温泉の宝庫で、四百三十以上あると聞いた。
そんな温泉で、ばあさんたちの背中を流してやり、マッサージをしてあげるからと、昨日のペンクラブの理事会でも冗談が出た。Sは、喜んで三助をやるからといって、気持ち悪がる女性の理事たちに敬遠されていた。
仕事仲間とも違った、同好の士の集まりというのは、長く続き、肉親よりもよく話をして、人生の長い時を一緒にいるから不思議だ。男と女も別に変な関係になることもなく、浮いた噂も立たない。兄妹のようにつきあっている。それで気心が知れて、何でも言い合える。だから、混浴の温泉にみんなで入っても別にどうということもないと、Sが言ったら、そっちはどうってことがなくとも、こっちは見たくないものは見たくないのと、女性理事が叫んだ。
わたしも自分の腹を見た。そうだよな、自分でも見たくないものな。