振り返りが終わってないけど、中々時間が取れないので、とりあえず高校受験を終えての所感をまとめてみました。
(我が家の息子における個人の感想です)

■硬式野球(特に平日練習ありのチーム)をやりながらの受験はハード
■野球推薦(特待)で本当に納得の行く選択が可能なのは、名の知れた選手のみと考えた方がよい
■進研ゼミ等の通信教育は強靭な精神力が求められる
■ましてスタディサプリを自分で計画してやるのはもっときつい
■内申点の付け方は府県や学校で基準が不明瞭
■内申点が取りにくい中学の場合、内申不要の私立高校を早めに探しておくのが望ましい
■むしろ公立にこだわらないのであれば、3年間内申点で悩まされるのは精神衛生上もよろしくない
■平均点レベルの子でも、夏休みから死ぬ気でやれば、偏差値60前後程度の私立高校に手が届く

誰も興味がないかもしれないけども、息子の高校受験までの振り返り第4弾。
平均点レベルの平凡野球小僧がSKKRクラス中堅私立高校に合格するまでのリアルな日常。
中2後半編です。


勉強は平均点そこそこから脱却できず。
野球も高校からお呼びがかかるようなレベルにはなれず。
この時期も平々凡々な感じで過ごしておりました。

■3学期

やはりコロナが怖く冬休みも塾にいかず。
進研ゼミ一本足打法で臨んだ実力テスト、期末テストも、またまたほぼ平均点レベル(300~349)。
今年度全てのテストで300~349という平均男ぶりを発揮しました。

「ここ、ゼミでやったところだ!」とかは無かったようです。

野球の方は進路相談が始まり、そのための活動が進んでいきます。
大学でも野球がやりたいという目標を持った息子。大学附属(系列)の高校を中心に進めました。
その中でチームのツテがあるSSTTランクの某高校を勧められ、話を進めて行くことになるのです。
関西で、KKDR、SSKR、の次のグループとしてくくられる、SSTTです。

正直、自分の経験から、大学はKKDRか、せめてSKKRランクへ進んで欲しいと思っていたため、偏差値的にその下のSSTTの附属校というのは戸惑う提示ではありました。
が、平均コレクターである息子の学力では、KKDRはおろか、SKKRクラスの附属・系列高校へ一般入試で入れる保証はなく、しょうがないのかな、と。

公立もこの頃(というか最後まで)視野に入れておりましたが、ミスター平均点では内申点も期待できず。
また、平均点より高めの点数(80点程度)を取っている教科も「3」しかもらえないシビアな中学校。
選択できる公立高校は限られます(中3の頑張り次第ではあるものの)。

また、そのSSTT附属高校は近年野球に力を入れて成績も上がってきており、「あわよくば甲子園もあるし」と無理やり自分を納得させていました。
早い段階で学校見学にも行き、恵まれた練習設備でも気持ちを納得させて。

あとはその高校の監督が試合を観に来て問題なければ決定、というところまで行きました。
あぁ、息子は多分、この学校に行くことになるのだろうなぁ、と思っておりました。
その時は。

誰も興味がないかもしれないけども、息子の高校受験までの振り返り第3弾。
平均点レベルの平凡野球小僧がSKKRクラス中堅私立高校に合格するまでのリアルな日常。
中2前半編です。

中1の学年末テストで控えめに言って地獄のような点数を取った息子。
どんよりとした空気が家庭に流れる中、進研ゼミに加入して心機一転頑張るぞ、という状況。
が、中1の年度末頃から新型コロナウイルスが猛威をふるい始めます。
緊急事態宣言発令により、3学期終了付近から休校となり、中2の1学期の授業が始まりません。

これを想定していたわけではなかったのですが、入って良かった進研ゼミ。
学校がしょぼい教材しか配れない中、ゼミを進めて行くことができました。
この時期に新たに申し込もうとした人は教材不足で中々入れなかったと聞くので、よかったなぁ、と話したことを覚えています。
その時はそう感じたのですが…

■1学期

しばらく続く休校。
共働きで両親不在の中、よく一人で過ごしました。
それ自体は確かにそうなのですが…
実際のところ、あまりゼミに真面目に取り組んではいなかったのではないかと思います。
学校はしばらくして始まったものの、この学期にテストが実施されなかったため、学力がどの程度かはわからずじまいでした。

野球も緊急事態宣言中は休み。
こちらも練習不足で実力は伸びませんでした。

■夏休み

本当は塾に入れたかったのですが、この頃はどの程度の威力かわからなかったコロナを警戒し入れず。
引き続きゼミのみの学習となりました。
この頃に塾に行かせておけば、と思う反面、本人の意思で行かない塾だと効果も薄かったかもな、とも思います。

■2学期

休み明けの課題テスト、中間、期末テスト、全て見事なぐらいほぼ平均レベル(300~349)。
ギリギリのところで野球を辞めさせられるラインだけ回避してきます。
(この設定が逆にアカンかったのか?)
中1学年末の地獄からは脱出したものの、こんなに伸びないものなのか、と親は悩み続けました。

ゼミの効果は薄いのか?
いや、ゼミ始めたから、どん底から脱したのか?
ゼミやっていない点数と比較ができるわけではないのでわかりません。

ただ、当時は真面目にゼミやっていると思っていたけど、恐らくまともにやっていなかったのではないかと思います。
通信教育を一人でやり切れる中学生は、多分、通信教育やってなくても成績がよいのではないかと思います。
高校時代、Z会を全然提出しなかった私が言うのもなんですが。
お父さん、お母さん、その節はごめんなさい。

さて、野球の方はすこしずつ感覚を取り戻し、それなりに成績を残していたと思います。
とはいえ、高校の方からお声がかかるレベルにはなれません。
ボチボチ学力と野球の実力を考慮した進路を検討し始めないとな、という時期でした。

誰も興味がないかもしれないけども、息子の高校受験までの振り返り第2弾。
平均点レベルの平凡野球小僧がSKKRクラス中堅私立高校に合格するまでのリアルな日常。

中1時代後半編。

1学期の残念な成績により夏休みに地元の個別指導塾へ入った息子。
さて、その成果は?

■2学期

夏休み明けの課題テスト。
塾の成果か、英語は高得点(90~99)をたたき出しました。
全体でも平均点乖離率プラス9%程度の数字。
点数自体はあまり上がっていない(300~349で前よりは高め)ですが、全体の平均が下がったため、相対的に順位は上がりました。

その後の2学期の中間は平均ちょい上程度だったものの、期末は平均点乖離率15%程度の得点(350~399)と、順調に上がってきました。
「うん、この分なら、塾無しでも何とかなるやろ。」

が、その期末テストを最後に苦難の日々が始まります。
この中1の2学期期末が、その後の中学生活を含めても、何と最高得点なのでした…。

野球の方は、夏に入った1つ目のチームが崩壊。
別のチームに移籍せざるを得なくなり、2チーム目の硬式チームへ変わりました。
平日練習は週2日に増えました。

■3学期

順調に点数が上がっていることに油断して冬期講習も行かず臨んだ3学期。
休み明けの実力テストで早速、平均程度に低下。
そして期末テストではなんと200~249という気を失いそうな点(平均点乖離率もマイナス25%程度!)。

今思えば、週2に増えたの平日練習がかなりの負担だった可能性もあるのですが、そのことは当時は思いつきませんでした。
移籍したばかりのチームでしたが、
「次に定期テストで300点割ったら野球辞めろ!」
と、何ともレベルの低い指令を下すことになったのです。

そして独学に限界を感じた息子は、しつこく漫画を送り付け続けて来ていた進研ゼミへの加入を決意したのでした。

誰も興味がないかもしれないけども、息子の高校受験までの振り返り第1弾。

平均点レベルの平凡野球小僧がSKKRクラス中堅私立高校に合格するまでのリアルな日常。
中1時代前半編です。

中学は、地元の公立中学へ入学しました。
入学時にはあまり知らなかったのですが、市内では学力が上の方の中学校なのだと。
これが最後まで内申点で苦労する原因の1つとなりました。

■1学期

初めて受けた定期テストは1学期の学年末(この中学は1学期の中間がありません)。
平均点乖離率マイナス8%ほどの壊滅的な数字(300~349)を取ってきました。
わが子はこんなに点が取れないのか…と多大なショックを受けたことを今でも覚えています。

野球ではリトルリーグがまだ続いており、土日は全く勉強できなかったけど、平日練習はないチームだったので、明らかに勉強不足、というか、本人が中学の勉強を舐めていたものと思われます。

■夏休み

愕然とした父(私)は、息子を塾(非チェーン・地元密着のR塾)の夏期講習に入れることにしました。
集団と個別と両方やってますが、野球との兼ね合いで個別を選択。
特に置いて行かれていると思われる英語の1学期の復習と、2学期の先取りを少々やってもらいました。
中学になって初めて通う塾。息子は楽しんでいたように記憶しています。
(ちなみにこの塾は、入試前最後の追い込みで重要な役割を果たすことになります)

この頃、野球の方はリトルリーグを卒団し、新たに中学硬式野球チームに入団しました。
土日と、平日の1日が練習日。
今思えば、この平日1日だけでも、本人には勉強面での負担は大きかったのかもしれません。

 

中1時代後半へ続くきます。