アダルトチルドレンの私は自分というものを愛せない思春期を過ごしました。

何に対しても(恐らく自分自身に)常に怒りを持ち

攻撃的で

傷つきやすく

勝ちたくないし、負けたくもない

常に張り詰めている

今となっては思春期らしい暗黒の思春期でした。



大学に入り、オタクが多い環境で、コンプレックスを持つ人々と交流し、色々と学ばせて貰いました。


そして就職し、最初はアルバイトよりも楽な仕事をしていましたが、数年後、忙しい部署の下働きとなりました。


そこで私は、仕事に人生を捧げている先輩たちに必死で食らいついて行きました。


私と違って先輩たちは仕事が出来るから選ばれてその部署にいる人たちでした。

私と違って先輩たちは自分で自分の生き方を決めていました。

その姿はとてもカッコ良かったので、私は先輩たちが社会人としての正解だと思い、マネをしました。


感情よりも理性が正しい

主観的な真実より社会的な事実を重視する

誤りは悪 正解が善

簡単に言うと「機械的が合理的」



この価値観で最近の10年くらいは生きてきました。


アダルトチルドレンの私は仕事においても失敗を責められる恐怖心から真面目に仕事をするタイプです。

先輩たちのマネをした考え方は、仕事においてはとても役に立ちました。



しかし、アダルトチルドレンである事を自覚し、そして母親という立場になった今、この考え方はどうなのだろう?と、思うようになりました。




社会的に認められる育児が正しいのか

子供が自分の感情で行動する事が誤りなのか

そしてその誤りは悪なのか


答えは否です



大人は経験値があるので、結果が見えてしまったり、小さな事だと感じてしまう事も

子供にとっては未知の出来事で、心がいっぱいになるくらい大変な事で


機械的とは反対のそれは、とてもとても愛おしいものです。




私が従事している事務的な仕事については機械的にこなすのは悪い事ではありません。


また、仕事と育児と家事を限られた時間でこなすには非常に有効です。


自分の感情に構っていたら、ご飯も作りたくないしお風呂も洗いたくありません。

ここは機械的にやるのが生活の質が上がります。

なので、これからもこの方法は利用していきます。


しかし、子供たちと向き合う時間、家族で過ごす時間は、自分の感情の声を聞いてあげてもいいのかもしれない、と思い始めています。


夫はアスペルガーなので、突拍子もないような事を本気で考えている事がありますが、それも社会的には誤りでも、家族としては事実として受け入れていくべきなのかもしれません。
(公共の福祉に反しない範囲で)


感情で選んだり

失敗して悔しかったり

楽しくて笑ったり

自分の中にある人間性を再度受け入れてみようと思います。



何十年も生きてきて、本当に今更です。

普通の人にとっては当たり前の事なのかな?

でも、私は私の人生しか歩めないので比べても仕方がないですね。


ポケモンに例えるなら

アダルトチルドレンが進化して
機械タイプのアダルトチルドレンになって

それが次は
人間的なアダルトチルドレンになって

最終進化形にはいつ頃なれるのかな…?