Girlfriend is dead,

so i killed myself together---!



新曲のレコーディングに入った





ひまだなー



最近は、昔のアパレル時代の職場の女の先輩とFacebookでメールをした


懐かしい



最初めちゃくちゃ怖い人だなー、とかおもったり、思わず殴っちゃったこともあったけど苦笑、普通にいい人だった


一緒に服のダサいお客さんの悪口言ったりしてて、毎日楽しかったな~

原宿の街で、ぶいぶい言ってて吉祥寺はだせーから嫌い、とか二人で意気投合してた笑

ダサいお客さんをお着替えさせよう、とかいったりして、毎日楽しかった


俺はその頃の棘がまだまだあり、そんな話をしたくてたまらないんだけど、学校も職場もダセーやつしかいないからな笑


金あるくせにダサい服着てる女の子がいると引くわ


久しぶりにぶっちぎったオシャレしてクラブにでもいこうかな



友人はみんな何をしとるやろうか





iPhoneからの投稿

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人魂

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花火
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丸井の人達と花火してきました



iPhoneからの投稿
俺は小さい頃、どうやら軽度の知的障害児だったらしい

そのことは何度か、母親ゆ父親や、脳神経科の先生や、学校の先生から「君は人と違う、何か個性がある。」「それは良いことでも悪いことでもない。」「心の年齢が何歳か、遅れているだけだ」という言葉で聞かされていた

あとは「それは、学校の成績とはなんの関係ないから、勉強をすれば学校の成績は上がる」とか、言われてた



でも、当時小学生だった俺には意味がわからないし、よいことでも悪いことでもないなら、俺には関係ないし、「その線引きは18歳になったらなくなる」と言われていたので、まったくなんのことかもわかないし、もちろん気にせず生きてきた


今も、28歳になったけど、そうだ



当然、全然気づいてなかった




けれど、俺の人生において、一度それが大きな問題になった日がある


それは高校一年生のときだ



高校一年生のときに、担任の先生に「松尾は二年生からは、七組のクラスに移動しなきゃいけない」と言われて、悩んでいたことがある

それは、高校1年生の二学期から終わりまでの間で、夜も眠れなくなった


結局、その学校では七組には行きたくはない、と言い、転校し、全く違う学校にいった


そして、その「高校1の2学期のときの記憶」は、ずっと、すぽっと抜けていた

24歳のときに受けた、ある会社のアルバイトの面接にいくまで、忘れていた


何故すぽっと抜けてたのかも、わからない

けど、人間は嫌なことは無理やり忘れるようにできているらしいのと、そもそもその高校一年生の頃は、俺は動物的な人間だったと仮定したら、つじつまがある

あとは父親はそのあと「高校一年生の話は誰にもしなくていい話だ!だから二度と気にするな、二度と思い出すなよ」と暗示をかけるかのように言われて、安心したのが理由だと思う


けれど、その24歳の頃に受けた、原宿にあるアパレルの会社の面接官の人が、凄く優しい口調で、まるで僕の親戚のお兄さんのような口調できいてくれて、「その高校一年生の記憶」を思い出した

しかもその会社に合格にしてくれて、そのあともまるでその人のおとうとのように話をしてくれたのを覚えている

まるまる、思い出した


そしてその会社を辞めるくらいの頃に、その人はこういってくれた

「お前は、よその会社にはまだ行っちゃダメだ 必ず苦労をするか、騙されるか、どっちかだ」

「お前の持ってる個性は、悪いものでもなんでもないはずのものなんだ」


「なのに、世の中では、その個性は馬鹿にされたり、利用されたりするんだ」

「だから、絶対にまだ、他所にいっちゃダメだ」

「学校を出るのに、何年かかった?5年かかっただろ?でも、今はずいぶんしっかりした。だから、五年の半分でいい。あと、二年でいい。ここにいろ。」

「その二年で、俺は絶対に社員にしてやる、約束する」

そういうふうに言ってくれた


それがその上司の本音だったのか、アルバイトスタッフを引き止めるための嘘だったのかは今だにわからない


けれど、多分、事実、俺はその後他の会社では上手く続いていない


そういう意味で、結局それは本当のことだったんだと思う


だから、今でも新しく面接を受けるたびに、俺はその上司のことを思い出す

その人の面接、教育、それからその言葉を思い出す

それがとても辛くて、面接の予定が入るととてもそわそわしたりする


でも、俺は今月、ついに「知的障がい者でもできる、簡単な入力事務のお仕事」の面接にいく


ハローワークの障がい者部門の人が、わざわざ仲介して、ピックアップしてくれたお仕事だ


あの、有名な銀行の窓口だ


とても、嬉しいことなのだけど


何所か淋しい気持ちにもなって、高校一年生の頃を思い出す


でも、俺はその面接にいこうと思う


それは、もしかしたら、とても重大な決断を、ずっとあとまわしにしていたのかもしれない


多分、その「ずっと後回しにしていたこと」ってのが、まさに「やっぱり軽度知的障害児だった」だってことの、まさに証拠なんだということ



ついに、そのことも気づいてきた



とにかく、現実を見ようと思った





ちなみに、この話は全くのノンフィクションです笑