以前のブログを
アカウントごと消して
新たに始めたこのブログ

生まれ変わりたかった

なにもかもが辛くて

幸せな思い出さえも消したかった


ブログのサブタイトルを “Nascent” としたのも

そういう意図からだった


だけど

アカウントを新たにしてブログを再開したとしても

そうそうなにかが変わるわけでもなく


月日は流れた



まだまだ葛藤は続いてるよ

忘れたい自分と
忘れてしまいたくない自分


考えたって仕方ない、と
割りきれるときと
そうじゃない自分


わたしはわたしでいいや、と
思えるときと
どうしてわたしはこうなんだろう、と
ただただ落ち込むときと


好きなものは変わらないし

苦手なものも変わってない


わたしは相変わらずあたふたと生きてる



ただ

いくつかのことを思い出した

そしてそれが

幾つかのことに繋がって

点と点が線になって


今のわたしがいる



相変わらずな生き方だけど

わたしはだいぶ変わった気がしてる






あのひととの出会いはね

東日本大震災の復興活動


あれから9年半

その後もあちこちで災害は起これど

わたしは
なぜこうも東北にだけ想いが向くのか

災害の大きさだけではない


それを今日、急に思い出したんだ



わたしが“ボランティア”に参加した
そもそもの理由

誰かの役にたちたい、とか
復興のお手伝いがしたい、とか

そんなんじゃない

わたしはただ

行方不明になったままのご遺体を
みつけてあげたかったんだ

あんなにたくさんのひとが
大切なひとを亡くして
いや、亡くしたのかもさえわからないままで

ご遺体もみつけてもらえないままで

おうちに帰してあげたかったんだ



家や車が流されても
再び手に入れることは不可能じゃない

簡単なことではないとしても

生きてさえいれば


だけど

生きていたとしても

大切なひとが帰らないまま
亡くなったのかもわからないまま
生きていくのは辛いはず

そんな想いでわたしは
遺体捜索を当時まだやってたボランティア団体に参加したんだ




ひとには見えないものが見えたり

場所に対して何かを感じたり

そういうことが多々起こる体質だから

こういうときにこそ役立つんじゃないかと思ってた


だけど
そんな簡単なことじゃなかった


こういうときに役にたたない力なら
こんな力要らないのに



本来の目的を果たせず

不完全燃焼だった初ボランティア活動


そこに焦りが生まれたのは確かだった


何かしたい
誰かの役にたちたい

認められたい
感謝されたい

そんな気持ちが先走って

わたしは自分のボランティアへの姿勢を
少しずつ見失っていったのかもしれない


そしてわたしは自分の居場所もわからなくなっていく








次々と あちらこちらで災害が起こる昨今

あのひとは相変わらずで


一方のわたしはと言えば
災害の被害に胸を痛めつつも

日に日に支援に対する気持ちが
向かなくなっていることに気づく


支援とは…




世の中のありかたも
ちょっと思うところ有りだよね

災害=ボランティア的な


アーティストが復興支援の協力を求める世界って

悲しすぎやしないかと…


あのひとの活動に
反対なわけでも否定的なわけでもないけど

こんな世の中が間違ってるとしか思えなくて






元々わたしは

人に助けを求めたり
誰かを頼ったり
甘えたりすることを美徳としない主義なので

最近の
“助けてツイート”とかにも違和感を覚えて仕方ない


自分がもし目の前のひとに助けを求められたら
放っておけない人間である自負もあるけどね



そんなこんなで
あちこちで災害が起こるたびに

胸を痛める一方で
そういうモヤモヤとも格闘しなきゃいけなくなって


復興支援の協力の呼び掛けとか見ると
それもまたわたしの心をざわつかせる




もう疲れた




わたしは誰にも頼らないから

わたしも目の前にいないひとまでは助けないよ


そう割りきって生きてくと決めた




支援グッズを買うことで協力する自分が

どうしても違うなにかを期待している気がして嫌


まだまだ承認欲求を捨てきれていない自分が嫌



あのひとへの想いを
断ち切らなくては前に進めない




これは

“さよなら”です





でも

たくさんの幸せをありがとう