Q:何故動物がかわいそうだと思っても肉を食べる人がいるのですか?
A:畜産が普通だとされているためだと考えられます。
 

ミルグラム実験というのがあります。
これは、人がいかに残酷になれるかを示しています。
この実験は、別名アイヒマン実験と言われています。ホロコーストに重大な責任を負ったアイヒマンが人間らしい一面を見せるため、一定条件下では残酷な一面を見せるのかを確認したためこの名前がついたようです。

実験は、被験者に生徒役の役者が答えを間違う度に物理的な罰を大きくして科すことを求め、どの程度の罰まで被験者が生徒役に科すかを試すものです。
中程度の罰でも生徒役は絶叫し、実験中止を被験者に求めていますが、立ち会っている白衣の男に続行通告を4回まで求められます。
学生の予想では1%程度の被験者しか最大の罰を科さないと考えていましたが、結果は65%の被験者が最大の罰を科しました。
この結果は、平凡な市民が一定の条件下で非人道的な行為を行うことを証明したもので、これを「ミルグラム効果」又は「アイヒマン効果」というそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93

残酷だと考えていても普通に行われている等の権威づけがあれば人間は非人道的なことをしてしまうのです。

いけないと気付いたら、畜産廃止の主張をして、畜産は正当だという権威づけを突き崩す試みをするべきです。

※参考
畜産廃止のまとめ(暫定版)
https://ameblo.jp/gateawyiohaw/entry-12444247228.html?frm=theme

 

(補足)

正さと社会で行われていることは別です。

環境省は「動物の愛護及び管理に関する施策を総合的に推進するための基本的な指針」で次のように述べています。長いので要約しますが、要は「人は動物を殺さなければ生きていけないが、なるべく動物を大切にしなければならない」です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人は、他の生物を利用し、その命を犠牲にしなければ生きていけない存在である。このため、動物の利用又は殺処分を疎んずるのではなく、自然の摂理や社会の条理として直視し、厳粛に受け止めることが現実には必要である。しかし、人を動物に対する圧倒的な優位者としてとらえて、動物の命を軽視したり、動物をみだりに利用したりすることは誤りである。命あるものである動物に対してやさしい眼差しを向けることができるような態度なくして、社会における生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養を図ることは困難である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つまり、人間が生きていくために動物を殺すのが正当化されるということですが、畜産や狩猟は生きていくのに必須ではなく、前段の前提「人は動物を殺さなければ生きていけない」に反します。
環境省の文章は畜産や狩猟を否定するものです。

畜産や狩猟をどうして廃止しないのでしょうか?
それは同指針の次の部分が答えの一部になりそうです。

要は「(動物の権利は憲法明記されていないので)動物の取り扱いに関する法律は国民の多くが納得したものでなければならない」ということです。
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(合意形成)
国民が動物に対して抱く意識及び感情は、千差万別である。
・・・・(引用者中略)・・・・
が、現実には、これらの行為に対する賛否両論が国内外において見受けられる。このように、個々人における動物の愛護及び管理の考え方は、いつの時代にあっても多様であり続けるものであり、また、多様であって然るべきものであろう。しかし、万人に共通して適用されるべき社会的規範としての動物の愛護及び管理の考え方は、国民全体の総意に基づき形成されるべき普遍性及び客観性の高いものでなければならない。
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しかし、客観性の部分については、種差別が勝利した議論と言われているように、種差別は不正で客観性が高いものです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9#%E7%A8%AE%E5%B7%AE%E5%88%A5

まとめると、「畜産や狩猟等は国民の多くが納得しているので続けている」ということです。

後は国民が畜産や狩猟等の廃止に納得するのを待つということでしょう。

確信を持って畜産廃止等を主張し続けるべきです。

 

(補足2)

人間は矛盾した考えや行動をしたくない(認知的不協和)という強い衝動に駆られるので、ペットと畜産の矛盾についても解消したいと考えるはずですが、他の回答者の方が述べているように「別物」と考えることでその矛盾した考えが軽減されているようです。
ちょうどタバコが有害であるという考えと吸いたいという考えを両立するために、タバコ以外にも死因はいくらでもあると考え言い訳するような感じでしょう。

毛皮は廃絶が近いですが、毛皮は肉と違って頻繁に買う必要がなく、購入者層も狭いため、「倫理的不正」と「購入」の認知的不協和を「不買」で解消しやすいため、畜産よりも先に廃絶が近いのだと考えます。

畜産についても、ペットと肉は別等という言い訳ではなく、本来は認知的不協和を助けを借りない「不買」で解消すべきですが、模擬肉等があれば「不買」をしやすくなると考えます。