めちゃくちゃ久々に更新するけど、店のことでは無いです

の中に
があって、開って文字に見えてくるでしょ?
店のことは、それはそれで進めてますが別で書きます。
今日は、ふと疑問に思って考えていたら、答えなんじゃねぇのコレ
って勝手に腑に落ちて、書かなければならない衝動に駆られたままに
私は仕事中にも、よく考え事をしてます。
元来ひとつのことに集中することが苦手で、
勉強にしても何にしても、
テレビつけたりラジオ聞いたりゲームしたり、別のことをしながらではないと考えたり覚えたりが出来ない
近頃では、大抵の場合は自分の店に関することを考えているんだけども。
今日仕事中にふと浮かんだ疑問。
どうして「伊勢神宮」と言えば、
宇治橋の鳥居の写真なんだろう?
神宮を現す時には鳥居のマーク
なのは何故?
伊勢志摩サミットの時、伊勢を取りあげるテレビとか雑誌とかなんでも、このアングルの写真が使われてたから?
G7で首脳たちが撮ってる御正宮のとこのイメージは勿論あるとは思うんだけど、
やっぱり鳥居
のイメージが大きいと思うんだよね。
初めて行った時、やっぱり内宮のこの鳥居の前で「おぉー!伊勢神宮だわ!」って感じがしたもん。
みんな絶対写真撮るし
鳥居はどこの神社でもあるのに、神宮マーク!みたいに
が使われてるのはどうしてだろう?
そもそも鳥居の形ってなんであの形なのか解明されてないんだっけ?
鳥居って、門って漢字と似てるよね。
【漢字の成り立ち 門】で検索〜
なになに?
門という漢字は象形文字で左右両開きの戸の象形から来ている?
フーン
鳥居の形と門って似てるなってところから、自分の店名に「MON」というコトバを入れようって決めたんだよねぇ。
そういえば、
開って漢字の中身は鳥居の形とよく似てるなぁ。
【漢字の成り立ち 開】で検索〜
これも象形文字なの?
門に両手をかけてる?
両手の象形文字が、コレなの?
じゃあ、
鳥居の形は、両手をかけて開くってことなんじゃない?
開って文字が、鳥居
の中に鳥居
があるように見えてきたな…(;^ω^A
伊勢神宮の象徴みたいな宇治橋ってさぁ。
手前の鳥居に目をとられがちだけど、
橋を渡った側にも鳥居があるんだよね。
行ったことない人はよく見てね。
ほら。
鳥居の中に鳥居があるでしょ?
なんかもう私にはこのアングル、
開って意味にしか見えなくなってきた


伊勢志摩サミットって、
開いてますよーって全世界に発信してたんじゃない?
何がかって?
神宮は、常若(とこわか)の思想なの。
20年に一度、全てを新しくする神様のお引越しである式年遷宮があり、常に新しい。
古と今と未来が繋がる神事が1,300年にも渡って続いている。
神宮がそうってことは、日本の思想って考えても良いと思う
常に新しいって、お肌で言うなら常に瑞々しくてハリのある美しい状態ってことだよね


福岡から伊勢に来たとこで、神社が好きなのかーとかスピリチュアル系にハマってるのかーとか聞かれるんだけどさ。
神様がいるとかいないとか、正直どうでも良いというか
自分が生まれてきてここに在るということ自体が、大きなエネルギー体の一部だということそのものやと思っていて。
世の中の全ては体内で起きることに置き換えられるでしょ?
宇宙の起源と言われるビッグバンてやつは、お母さんの子宮で起きる生命の誕生と同じようなものでさ。
宇宙はどんどん広がってるんでしょ?
人が細胞からヒトの形になって産まれてきてどんどん大きく、成長していくように。
常に新しい細胞が生まれて古い細胞が死んでいき、成長と衰退がある。
ブラックホールは排泄みたいなもんかもしれんし、毛穴とも言えるかもね
人が死んだらなんになるかって、自然に還るやんか。
原子だか分子だかイオンだかよく分からんけど、とにかく自然に溶けるやん?←科学超苦手
だから私を成していた原子が、役割を終えたら今度は違う誰かを成す原子として働くってことで。
そこに意味を持たせたら輪廻転生ってことにもなるのかもしれんし?
死んだって、この世界が消えない限りは「無」になることは出来ないんだよね。
そんでもってさ。
自分の役割は何だろうとか、何のために生まれてきたんだろうとか、人って考えるやん?
考えても仕方ないんやってようやく分かった
だって、自分の内臓や細胞に意思があるんかとか知りようもないけど、その細胞として生まれた瞬間から役割が決まっとるやん?
ヒトは1人として同じ人間はいないわけだけど、それは赤血球と白血球みたいなもんでさ。
でも私の身体を成している以上は、その赤血球も白血球も私なわけで。
私という存在も、宇宙全体、この世、何と言えば良いのか分からんけどエネルギー体の、いち細胞みたいなものなんやなと。
当たり前のことが腑に落ちたのは伊勢に来てから。
あぁ、全部ひとつなんだなって。
それでも考えたり悩んだり喜怒哀楽、
悲喜こもごもあるわけで、
それは私が私を成している間の楽しみとして与えられているものなのかもなーと。
どうして神様は願いを聞いてくれないんだろう…
どうして私が、〇〇がこんな目に遭うの…
とか、あるよ。
私も婦人科系の病気になったとき、特に思った。
後輩が若くして亡くなったときも強く思った。
辛い、とか悲しい、と感じるたびにそう思ってた
でもさぁ。
自分の体の細胞ひとつひとつがどうなのかなんて、考えたって分かんないし、この細胞を使おう!とか決められないじゃない?
少なくともヒトである私達は。
そうであるならば、神様と呼ぶ、私たちが成しているエネルギー体だって、いちいち気にしてないと思うんだよね


あ、それでね?
伊勢神宮はそういうことが腑に落ちるために必要な場所なのかなって思っていて。
肌の色が違おうが歴史や文化や思想が違おうが、争いの種になんてならない、どうでもいいわけですよ


だって、ただの原子の集合体なんだもん。
赤血球と白血球にケンカされたって困るのよね。
なんでどっちの神様が正しいとかで殺し合いになるのかとか、本当によく分からない。
だって八百万(やおよろず)の神様がいるのよー?
仏さんだってキリストさんだってアッラーだって、神様のひとり、みたいな捉え方でしょ?
肝臓と腎臓どっちが偉いの正しいの!って、そんなこと言われてもどっちも大事やし無くなったら困るやん…
昔は踏み絵だーとか迫害だーとかあっただろうけれども、結局今現在、日本には八百万(やおよろず)の神という思想は続いているわけで。
続いている、存在しているってことはやっぱり必要で意味があると思う。
日本が、戦後も日本で在り続けているからこそ今もある「伊勢神宮」と「式年遷宮」。
伊勢神宮に行くと生まれ変わるとかって話も聞くことあるんだけど。
常若の思想に触れることで、この世を成すいち細胞として活性化して今生を楽しめるようになるのかもね?
で、神宮には謎が多いだのなんだの言われることあるけど、いやいや開いてますよーってメッセージがコチラ。
え、私だけ?


で、鳥居が門を開ける両手を意味しているとすればですよ。
神社に参拝するということは、
いくつも鳥居をくぐるたびに自分の中の扉を開いていき
御神体として置いてある鏡の前に立ってエネルギー体の一部である自分と向き合っている
ということかな。
神様ってやつは、自分でもあるし、草木でもあるし、貴方でもあるし、全てをひっくるめたモノのことだと思っている今日この頃ですよ
まぁ、とにもかくにも、伊勢参りには意味があるのよ
キリッ
世界中から人が集まる伊勢参りブームが、そう遠くない日に来るんだって確信を深めた今日の考え事でした。
私はそのブームの一端を成すために呼ばれた模様
お店を作るのはそのために拠点が必要みたいで。
ブームは勝手には起きない。
扇動者がいる。
誰かは分からない、ナニかは分からないけど。
一端を担えるとすれば、最高に面白そうやん


なんかつらつらと長くて取り留めもなくてすんません
とにかく、
某春日さん風に「日本の伊勢神宮、開いてますよ」というメッセージが世界に放たれたのが伊勢志摩サミットだったと思った今日のコラム的な何かでした
さ、寝よ



