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我慢しません!





こんにちは。
ハッピーマダムです。



私二歳下の弟がいる、長女です。


物心ついた時から、


「お姉さんだから、」という言葉を何回聞いたでしょう。



上の子っていうことで、大事にされていたこともあるけれど、


かまって欲しい時にほっておかれたり、


大きな犬がいて怖いから、
学校に行く時に途中まで来て欲しいのに、
「大丈夫、大丈夫」とか。
かなり、トラウマ…


弟と私も仲良しの親戚家族が来て、
楽しく遊んでいる最中なのに、
私だけ枝豆切りの手伝いに呼ばれたり。


(今でも枝豆のシーズンは
あの時の悔しさが蘇る!)


そういったことに対して、
「なんで私ばっかりなの?」って、
はっきりと意思表示ができなくて、


ただ、ふくれっつらのみ。



なんだか、我慢させられている感と、
自分が我慢していると、
親が助かって喜んでくれるから、
ますます我慢して自分が悲しくなる構図。


今にして思えば、一回でいいから、
こんなの嫌!って、
言葉ではっきり主張しておけばよかった。。。

 




大人の手先になる必要はないのに、
顔色を窺ってしまうところがあるのって


なんでなんでしょうね?




両親は愛情たっぷりに育ててくれたと思います。


自分たちのことより、
子ども一番に考えてくれていました。


それなのに、大人になった私が、
いまだにこんなふうに思うなんて、罰当たり?



でも、そう感じていた自分がいるのは
事実だから、
今ここで、はっきり書いておこう。


もし子供に戻れたら


理不尽、と思うことに、はっきりと言葉で


私は嫌。


と言おう。



多分それでも、しかたないでしょ、とか
我慢も大事、とか言われてしまうんだろうな。


それも、わかる。私も親になったから。


でも、くどいようだけれど、枝豆のとき、ほんとに私は怒っていた。
くどいですね。

その怒りを推し量ってくれないことに、
モーレツ怒っていた。



だから、
もし子供に戻れたら、


悲しいなら悲しいと。

嫌なら、嫌と。


ほんとは、どうして欲しいのか、


思いきって言いたい。





あの時、こう思ってたんだよね、と、
今両親に言うのも、気がひけるし、
母は、もう、わからないし。


と、ここまで書いてきて。。









初めて気づいたことがあります。



もしかしたら、もっとずっと私が小さい時に
とても小さな出来事かなにかで、


自分が我慢をしたら、両親が喜んでくれる。


という思考回路が、
自分に刷り込まれていたのかもしれない。


または、逆にとても大事にされていたから、


両親は、私が何も言わなくても
いつも察してくれていて、
それに甘え続けていたのかもしれない。


もしかしたら、
たった一つの枝豆事件が、


心の中でふくらんで


いろんな記憶とくっついて、


事実を作り替えているかも?







今本当に、はじめて思いました。



今日の、"本日のネタ"を見て
フッと書き始めたことでしたが、


自分の心の底にあったことが、こんなにいろいろ考えさせることだったとは…


そして、もうひとつ思ったこと。


今、子供さんたち、みんな我慢しています。


お母さんも大変なんだから、しかたないって
言葉にできずにいる子もきっといる。


ぎゅーっとしてあげたい。


わかるよ、って言ってあげたい。


うわーって爆発したいような気持ちを抱えているなら


受け止めてあげたい。



そんな気持ちでいっぱいです。



本日のネタ、なのに、長々、重い記事ごめんなさい。
読んでくださった方、ありがとうございます。