The・1600

The・1600

江戸時代を舞台にした小説を書いていますが、ときどきハガキ絵などもアップします。

 昨日紹介した「漫画編集者」の中のひとりの言葉で、もの凄く納得した言葉があったので、自分のためにも、それを書いておこうと思う。

 

「ストーリー面で見たとき、漫画とは、どういう特徴を持つべきメディアなのか? ぼくはよく、野球における『九回裏二死満塁三点差代打満塁ホームラン』という状況を描くもの、という言い方をします」

 

 まさに、これです。

 講義でなぜ、この言葉を思いつかなかったのだろう。

 

 

 

 先日、図書館で偶然見つけ、借りて読んだ。

 おおよそ10年前に、フィルムアート社から刊行された、漫画編集者へのインタビュー本なのだが、漫画家と編集者がこれほど濃密なつきあいをしているとは知らなかった。

 少なくとも、わたしは長期連載を経験していないので、編集者とこのような関係を持ったことはなかった。

 これを読むと、編集者は不要、などとは言えなくなる。

 漫画家を目指す方々は、この本を読み、編集者とはこのような人々だ(みんながみんなそうだとは言えないだろうけど)、と知っておくのも無駄にはならないだろう。

 持ち込みをするときの心構えや、真剣さが変わるはずだ。

 

 

 

 昨日は卒業式だった。

 わたしは、卒業パーティだけの出席だったのだが、その席で、卒業生に、

「卒業制作展から、おおよそひと月ほどあったので、先生が推奨していた300ページネームをやってみました」

 と話しかけられた。

「物語の展開の細かい部分はキャラクターが創る、と先生がいっていたことをを実感しましたね。やるまでは、物語は作者が創る、と信じ込んでいましたから」

 そのあと、プロの漫画家の60ページくらいの短編の粗筋を書き出し、自分の創った主人公をその粗筋に当てはめて動かそうとしたけど、プロが描いた漫画通りには動いてくれなかったのだそうだ。

「最終目標は叶えられたんですけど、途中がすべて違って。これもキャラクターの力なんだなあ、といい経験になりました。生意気ですけど、連載ができそうです。ありがとうございました」

 といって頭をさげられた。

 ちょっと面はゆかったが、生徒自身が、何らかの発見してくれればそれに超したことはない。

 みんな頑張ってほしい。

 とはいえ、漫画二固執する必要はない。ほかに生きる道が見つかれば、それはそれでかまわない。

 

 青梅にある「吉川英治記念館」に行ってきた。

 目的は「生頼範義展」。

 生頼さんは、同郷でもあり、ゴジラやスターウォーズのポスターで大ファンになっていたけど、原画を、しかもペン画を拝見するのは初めてだった。

 画材は、ペンとインクと書いてあるだけで、どのようなペン先を使っておられたのかは書かれてなかったが、その緻密さに圧倒された。

 気づかずに、三つ先のバス停まで歩いていた。