夜が明ける。


 みんなほとんどシラフに戻って、ご来光を拝んでいる。
 ぼくには最後の仕事が残っていた。各神社にお参りして、見守ってくださってありがとうございましたとお礼を言わなくては。


 三人から離れ、まず龍神様の社に行く。

 ぼくは始終この社に引きこもっては死をなんとか回避し生をこいねがった。

 上昇する。


「ありがとうございました。おかげさまで、なんとか何の問題も起きずクリアできました」


 心の底から感謝を伝えた。すると龍さんは八の字に回転しながら笑って


「こちらも面白かった。久方ぶりだったが、放棄されていたこのフィールドがうまいこと起動できたのは場の全員のおかげでもある。もちろん頭上に大量の天使族を遣わしたあの女性(ドラさん)にも感謝をしておけよ」


 と、おおよそそのようなことを言ってくれた。
 さらに、今回のこのキャンプに配置されたギミックについて、何がどの象徴だったかをビジョンで伝えてくれた。


 火 = 男性性の象徴
 見知らぬ三人の人影 = 社会の象徴
 闇 = 男性性を受け入れない母性の象徴。
 朝日 = 祝福の象徴。


 だ、そうだ。

 次にゴリラさんのところに行く。

 最初は何も教えてはくれなかったゴリラさんも、上昇して感謝を伝えると、言葉が苦手なのかビジョンですべてを伝えてくれた。
 それは、何がどのシーンに役立ったか、というものだった。


 一番のキモ。 驚くべきことに、それはにゃにゃさんのナイフ術だった。
 彼が出がけに教えてくれた「男のスピリチュアル」とでもいうようなスピ技術が、火を起こしてベアさんが錯乱したときに役立った。あの周波数が目に乗った、とのこと。


 さらに、ドラさんが施してくれたトーラスの吹き上げを弱めてホームポジションを丹田に落ち着かせるやつ、それと丹田のエネルギースポットに宮柱を十二本建立するやつ。これが先のナイフ術周波数を下支えした、と。


 イワンさんがここを発見して自分に紹介したのは、完全に龍さんの導きだった、とのこと。


 麻呂さんも大きく貢献した。リベラを教えてくれたのは彼だったし、ヌーペプトも効いた。あれで音に対する感受性が上がり、最上のリサイタルができた。


 師匠ちゃん。あの子が開発したアヒンニャ。あれも全編に渡って影響を及ぼしていたらしいことも教えてもらった。


 まるでハリウッド映画の最後に流れるテロップみたいに、この奇蹟的な場の成立に役立ってくれた役者たちとその技術、そして因果関係を次から次へと見せられた。
 龍神さんとゴリラさん、二人の教えを改めて考えてみると、この一夜は自分の人生の縮図のようなものだった。
 

①子どものように遊び(リサイタル、カエルなでなで)、

②男性性を異様に怖れ(焚火失敗)、

③母親の呪縛に絡めとられ(闇の恐怖)、

④社会と交わる手段を持たず(言い争いを繰り返す三人に怯え)、

⑤最低限生きるためのものだけ抱えてただ神に祈り(社でひとりきりになってリベラを流し)、

⑥そうして祝福を受け母の酔いが醒め(夜が白み始め)、

⑦男性性を怖れずきちんと操れるようになり(焚火をきちんと管理し)、

⑧一人一人の顔が見えて社会と交流できるようになった(焚火で談笑)。


 社会に出るのに失敗し、軽トラで放浪して雑草を吸い、アヤワスカなどヒーリングを学び、社会に関われるようになった今までの自分の人生とぴったりかぶる。

 グラウンディングしたぼくは、しばらく呆然としていた。
 これは……。


 今までぼくは、文化人類学的な観点から成人の儀式を復古させることに意義があると思い込んで、その方法を模索していた。端的に、大人になりたかったからだ。
 しかし、アテが外れた。


 こんなもん、人が介在する余地がほとんどないじゃないか!


 人にできるのはただ、最低限安全な場を整え、神に祈って感謝を伝え、あとは「かくあれかし」と願う。それだけ。

 再現性が全くない。
 しかし、得られたものも大きかった。ぼくの浮きがちだった魂はしっかりと丹田に落ち、その使いこなし方をこれからも日々習得していけるだろう。その確たる実感がある。

 また、伝えるべきは象徴がどうだの儀式の形式がどうだのではなく、最低限の安全と、ただ精確な祈りの方法だけ。祈り、つまり、自らの意志を向こう岸の存在に正しく伝える方法だけ。あとは神に任せていい。それがわかった。
 ちなみにこのあとマンションの一室で別の人に同じことを行ったのだけれども、およそ同じことが起きた。つまりフィールド要件すらマストではない。野山じゃなくても構わない、ということだ。


 本当に、人の、エゴの介在する余地がない。


 ただのサイケキャンプは数多の奇跡で成り立っていて、その奇跡は向こう岸の存在にしてみれば必然だった。
 そんな感覚を持ちつつ、最後におキツネさんの社に行って挨拶を交わす。上昇。
 おキツネさんは前二人ほどビジョンや助言を与えてくれたわけではなかった。

 でも、
「立像と、座像、あとその裏に石碑があるからもう一度よく見てごらん。前にここで修行した人がどのようになったかが記されているよ。そのようになりなさい」
 と言われた。
 その通りに像のところへ行くと、夜中には見えなかった石碑が確かにあり、そこには「この地は密教の修行場所であった」と書かれていた。
 なんと……。ではそこに座ったり立ったりしている像は、過去にここで修行した密教徒だったのか。

 そのようになりなさい、ということは、これから先自分はこの経験を基にして社会に還元していけと。

 そういうことか。
 すごいな。もし龍さんたちの話を聞かなければ「こんな偶然あるのか」だけれども、上昇して彼らの話をよくよく聞いてみるともう完全に仕組まれていることがわかる。


 敬意。

 知らず湧いてきた、畏怖と尊敬と思慕と感謝が入り混じった感情。

 ぼくはそれを胸に、キャンプ地を後にした。


 帰ったらブログを書こう。
 とりあえず、ありのまま起こった出来事を伝えよう。


 朝日を背に、ぼくは自然とそんなことを考えていた。