私は「こどものちから」を信じている。

こんなこといってはなんだけど

私自身が、「こどものこころ」を握ったまま大人になった人間だからだ。

 

 

ちまたでよくいう

「無償の愛」から連想するワードは

神様か、母親あたりになりやすいが

 

実際、子供を産み落としたとて

無償の愛がわきでてくるわけではない。

 

 

 

だが

子供を産み落として、母親は気づくのだ。

 

「こどもは無償の愛をもってうまれてくる」

ということに。

 

 

 

こどもは無償の愛を無限に持っている。

 

ちかくにいる人の欠けた部分を

優しくあたため、包むのだ。

 

 

 

私は、生前記憶というのを持っているのだが

生前からうまれたあとに至るまで

ずっと失敗しつづけている経験がある。

 

 

それは

私の母親を、満たしてあげることが

できていないという経験。

 

 

私はうまれてくるときに

それはそれはたくさんの愛を

この世にもってきた。

 

 

ところが、母に…、おそらく父にも

愛を渡せど、渡せど、

…がんばれど、がんばれど

 

母も、父も、満たされなかった。

それどころか

母も、おそらく父も

私の存在自体が

疎ましくて、たまらなかったのだ。

 

 

※私が子供だった時は

今ほど発達障害に理解のない世の中だった。

加えて私には容姿にかかわる病気もあったので

育てにくさもあったと思う。

 

 

きっと、私は

もってうまれた愛で

母を、父を満たすことができていたら

 

愛をもってうまれたことを忘れて

大人になれていたんだと思う。

 

 

********

 

教師でもボランティアでも

なんでもない私が

 

春から今まで

1年生(6~7歳)と

一緒に過ごす中で

 

気づいたことは

 

 

1年生って

まだまだ天から受け取った愛で

周囲を満たそうとする時期だということ。

 

 

それに、ちょうど言葉が伸びてきて

大人と会話できるようになってくる時期なので

 

 

ちょうど…

ちょうど…

 

大人への愛を直球で

投げかけてくるという

奇跡のような時期なのだ。

 

 

やがて、大人になるにつれ

天から受け取った愛は、なくなっていく。

 

そこからさきは

自分ではぐくんだ愛で

人をあたためていく時期になるんだろうけど

 

それがいつなのかは、わからない。

2年生なのか。6年生なのか。思春期なのか。

 

※…個人差はあると思う。

でも、私は、2年生ですでに

愛を枯らした子を知っている。

 

それから私は35歳で

まだまだ、天からの愛が枯れていない。

 

だが一方で、周囲の20代以上の人間で

天からの愛を持っている人を

私は知らない。

 

 

(この前書いた子供の世界戦…の話は

ここにつながるのかな…)

 

 

 

 

あぁ・・・。

 

この話、この感覚。

理解してくれる人って

どれくらいいるんだろう、