お正月:
モンゴルのお正月は、チベット暦の旧暦で祝うので、太陽暦では2月になる。
正月はモンゴル語で「ツアガーン・サル(白い月)」という。「白」は清浄や豊穣を象徴し、正月は「白い乳のように神聖で純粋であるべき」と考えられているためにの呼び方だ。。「青い布で白い食べものを饗する」のが縁起が良いとされ、客人には、ハタグという布の上に器をのせて白い飲物をすすめる。
旧年を送り、新年を迎える「ツァガーンサル」というこのお祭りはただ新しい年を祝う習慣ではない。古い昔から受け継がれてきた深遠な意味をもつ行事である。ツァガーンサルは「社会関係資源」を形づくっている。「社会関係資源」とは、社会・経済・文化という3つ大きな資源の一つである社会資源の一部である。
社会関係資源は、人々がお互いに知り合い、信じ合い、親密な交流によって豊かになっていく資源である。社会交流資源を「源流」として他の社会資源が豊かになっていくので、国民の「資源の源」とみなされている。広々とした大草原で牧草の状態にしたがって移動し、散らばって生活する移動遊牧民にとって社会交流資源を築くことは大変なことである。
困難なこのことをモンゴル人は様々な方法でつきり上げてきたが、その一つがツァガーンサルなのである。ツァガーンサルは、地域の人々や親族の和睦・友好・協力関係を確保する行事である。人々はお互いに友好関係を保つことさえできれば穏やかに暮らすことができる。したがって、ツァガーンサルというのは人間相互の親しい関係を築き、その築いた関係を確かなものにするお祭りであると言える。ツァガーンサルは、基本的に、挨拶の儀礼と相互理解の儀礼と尊敬の儀礼という3つの要素から成り立っている。この3つの儀礼の中で最も大切なのは、挨拶(=ゾルゴフ)の儀礼である。「挨拶」というのは「会う」という語の尊敬語なので、本来「会う」という意味である。人が会うことは交流の始まりであり、お互いに顔を合わせることから始まってお互いを理解し、協力関係が始まる。昔のモンゴル人は現在の地方の人々と同様親戚だけと挨拶回りするのではなく、地域のみんなでお祝いしていた。
今でも遊牧民は親戚だけに限らず隣家や近くの家を訪れて挨拶する。 けんかした人同士もツァガーンサルの時には仲直りする。仲の悪かった人は挨拶を交わすだけで「私はあなたのことを悪く思っていない」「私は憎しみを抱いていない」「私を許してください」「あなたを許しています」などの気持ちを表し、言いたくても言えないことが、挨拶や嗅ぎたばこ入れを交換することで、話する役割を果たす。挨拶は仲直りだけでなく、親睦関係を確かなものにすることでもある。そのため、仕事上大切な関係のある人のところへは必ず挨拶に出かける。いくら遠くても、挨拶すべき人とは年内に挨拶をする習慣である。挨拶はこのように大切なため、このお祭りの全ての儀礼を「挨拶の儀礼」と言うこともできる。「相互理解の儀礼」は挨拶に続く儀礼である。この儀礼は、嗅ぎたばこ入れを交換するが、たばこを吸うのが重要ではなく、お互いの健康、家畜、仕事の様子をたずねることが大切である。人がお互い愛し合い、助け合うにはお互いをよく知る必要がある。そのためにも、お互いの生活や困難な問題、成功などをたずねる。お互いを理解した上でこれからの友好関係が始まる。 尊敬儀礼は、友好関係・協力関係の礎である。尊敬儀礼の難しい面は、言葉では表現できないことである。そのため、どの国の尊敬儀礼でもご馳走やお酒を献上することで表現されるのと同様、モンゴル人もそのようにする。肉やボーズ、馬乳酒、お酒は全て尊敬の意を表現した形である。尊敬の儀礼はおみやげを渡して終わる。ツァガーンサルのおみやげとは、その年に全てのものがあふれるように豊かになるということを象徴している。昔の人はたいてい象徴的なおみやげをお互いに交換していた。たとえば『モンゴル秘史』には、テムジンがジャムハに鋳物のくるぶし、ジャムハはテムジンに鹿のくるぶしを贈ったと書かれている。くるぶしはモンゴル人を象徴するものの一つである。くるぶしの各面が馬、羊、らくだ、牛
(山羊)といった4種類の家畜の形と似ているので、一つのくるぶしをプレゼントすることは、4種類の家畜を贈ることを表している。ツァガーンサルに挨拶するというのは他人を尊敬し、自分も尊敬されるということであり、このように親戚や同僚などが挨拶し、尊敬し合うことで、友好関係を確かなものにして、また、自分の自由や安らぎを築いているということである。