奥山清行氏、インタビュー記事より
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イタリアで12年仕事をした。
イタリアは少量生産の世界だ。
それまで居たGMやポルシェなど大量生産の世界とは全くの別物だ。

そんなイタリアで学んだことは、とても多い。
その一つは、ブランドづくり。
私は、イタリアのブランドづくりこそ、日本の進むべき方向だと思っている。
フェラーリは、エンツォ・フェラーリという創業55周年の記念限定車を創った。
生産台数は399台。
これは、「需要よりも一台少なく作る」という創業者の考えに拠るものだ。
結果、オーダーが殺到した。
オーダー数は、生産台数の10倍に上った。
フェラーリは、実車を生産する前に、車両価格の半額以上をデポジットとして預かり、
顧客名簿を手に入れた。
このリスクフリービジネスの源は、完成予定図だ。
モノ(商品)のデザインがビジネスに与えるインパクトは、極めて大きい。

フェラーリは、モデナにある従業員三千人の中小企業だ。
レースをやるために作られた会社で、F1に60年間参戦し、従業員の二割がF1に携わっている。
フェラーリがあるモデナは、東部のボローニャ地方を筆頭に機械産業が盛んな地域だ。
フェラーリも、この地域特性を継承している。
この地域に生まれた人の内、幼い頃からフェラーリの企業哲学に触れ、「将来フェラーリで働きたい!」
と思う人は少なくない。フェラーリに入社するのがそういう人達であるため、入社してから彼らに企業
哲学を教示する必要は無い。
これこそ、地域文化と企業アイデンティティの共存共栄だ。

ブランドとは、物語性だ。
フェラーリよりも優れたハードを持つ車は、他にもある。
が、それらの車には、フェラーリが持つ物語性は無い
例えば、フェラーリの赤。
フェラーリの赤は、何を表しているか。
フェラーリの赤は、フェラーリを創って死んでいった多くの人間の血と、人間が生来持つ
暴力性を表している。

なぜ、成功者はフェラーリを買うか。
成功者は、成功のために少なからず過去を捨てている。
成功者がフェラーリを買うのは、フェラーリという歴史あるブランドを入手し、捨てた過去を
もう一度手に入れたいと思うからだ。
ピニンファリーナに在籍し、エンツォ・フェラーリのデザインを手がけた時のこと。
フェラーリからアイデアを求められたものの、創業55周年の限定機種ということで、私をはじめ
スタッフもみな保守的になってしまった。
私自身それは気づいていたし、彼らも気づいていた。
心の中で「やり直したい」と思っていたが、できなかった。
プレゼン当日、フェラーリの社長であるモンテゼーモロは、我々が提出したアイデアにNGを出し、
すぐさま帰ろうとした。
上司は彼を引き止めた。
そして、「彼がサンドイッチを食べている15分の間に別のアイデアを準備しろ」と私に言った。
15分後、私は、別のアイデアをフェラーリのモンテゼーモロ社長に見せた。

彼はこのアイデアを受け入れ、エンツォ・フェラーリが生まれた。
このアイデアは、予め準備していたものだった。
来るか来ないかわからない15分のために、プロとして私は準備していたのだ。

同じ中小企業でも、イタリアと日本では全く違う。
その最たるものは、自社商品の有無。
イタリアの中小企業は、独自の企業哲学に基づく自社商品を持っている。
が、日本の中小企業は、大企業の下請けが主で、自社商品を持っていない。
このことは、市場とダイレクトにつながっていないこと、ひいては、商品開発力の弱体化や
社員のモチベーションダウンを意味する。
市場から商品のフィードバックが得られない以上、これは当然。

日本が生き残っていく唯一の道。
それは、価格競争ではなく価値競争を志向することだ。
価値競争とは、(最終)顧客にとって有用な新しい価値を追求することだ。
顧客は、必要なモノは価格で買うが、欲しくて仕方ないモノは価格では買わない。
人にとって本当に必要なモノは、「欲しくて仕方ない非必需品」だ。

私の場合、それは時計。
私は、機械式の時計が好きだ。
ひとつ車をデザインする毎に、機械式の時計をひとつ買ってきた。
今日してきたのは、ポルシェ911をデザインした時に買ったものだ。
機械式なので、腕にしていないと、止まってしまう。
山形の家へ戻った朝は、時計を振るのが日課だ。(笑)
たしかに、機械式は不便だ。
が、私にとっての時計は、当時へ戻るタイムマシーンだ。
当時どんな仲間とどんな仕事をしていたか。
過去を振り返り、現在にインスピレーションを与えてくれる。
私にとって時計は、時間を知るためのものではない。
日本酒もワインも、モノとしては共に優れている。
が、商業的成功を収めているのはワインだけ。
なぜ、ワインは商業的成功を収めているか。
それは、顧客自身が原料や製法を学ぶことで、舌の上に感じる小さい
違いを価値(喜び)として認知できるからだ。自己教育を行い、自分
自身が変化することで、それまで認知できなかった価値が認知できる
ようになる。
価値競争のビジネスを成功させる上で、これはキーだ。

日本のモノづくりには弱点がある。

一つ目。
それは、モノを通じて顧客へ提供するベネフィットを予め明らかにして創っていないことだ。
顧客がモノにアイデンティティを感じない、モノに期待を抱かないのは当然。
顧客は、予め抱いていた期待と現実との間にネガティブな差分を感じた時、批判をする。
モノが売れた後顧客から批判が出ないのは、そもそも顧客が期待を抱いていなかった(←創り
手&売り手が明確な期待を抱かせなかった)から。

二つ目。
それは、顧客の声を安直に聞くこと。
10年先のことは、誰もわからない。
わかっていると言えば、それはウソ。
マーケティング調査は、保険に過ぎない。
大切な人へプレゼントをする時、予め何が欲しいかを聞くことはない。
モノづくりは、大切な人へのプレゼント探し。

三つ目。
本当のクライアントを見過ごしてしまうこと。
本当のクライアントとは、実際にモノを買い、使ってくれる人のこと。
目の前のクライアントとは異なり、見えない。
目の前のクライアントが、必ずしも本当のクライアントをよく知っているとは限らない。
本当のクライアントについて、目の前のクライアントと十分議論しなければいけない。

日本のモノづくりは狩猟型だ。
これは、縦割り組織の弊害。
農耕型へ変わらなくてはいけない。
モノづくりには、種を植える人が欠かせない。

モノづくりには、外圧(プレッシャー)が欠かせない。
外圧が無いと、いいモノは創れない。
長い間打席に立っていない人は、ついホームランを狙ってしまう。
これは間違い。
まずは、三割バッターを目指す。
モノを10個創り、ヒットを3個目指す。
モノづくりに欠かせないのは、独断と偏見。
組織の誰かが、独断と偏見に基づいて、既成の枠を破ることが大事。
その際、目標の視覚化や共有化は有効。
職人は知識労働者だ。
というのも、職人の匠(技術)は知識であるからだ。
知識である以上、職人の匠は後進へ伝承しなければいけない。
匠は、二種類ある。
Aクラスの匠とBクラスの匠だ。
後者はわかり易く伝承され易いが、前者はわかり難く伝承され難い。
前者を伝承するには、当事者の横で学ばせるしかない。
匠の伝承を切らさないことも、私の仕事だ。
なぜ、一般人は、芸能人の持ち物を買うのか。
それは、その芸能人の暮らしぶりに憧れているからだ。
本来モノとは、持ち主の暮らしぶりを表すものだ。
持ち帰っても真似できないもの。
これこそがアイデンティティ。

(ブランドの)物語は、創っただけではダメ。
伝えて初めて物語になる。
こう言うと、多くの人から、「(奥山さんは)いいですね。有名でメディアが取り上げてくれる
(ので創った物語が伝えられる)から」と言われるが、それは違う。
有名だからメディアが取り上げるのではない。
(メディアが取り上げるであろう)企画を散々創り、(メディアへ)足繁く通ったからだ。

デザインをビジネスにするのではない。
ビジネスをデザインするのだ。
(=デザインビジネスから、ビジネスデザインへ。)

昨今、車が売れなくなっている。
それは、「車が魅力的でなくなったから」だと言われているが、当然のこと。
いくらフェラーリでも、渋滞の中では映えない。
ハードばかり創って、それを使う全体の環境をデザインしなかった顛末だ。

アイデアでプロフェッショナルを凌駕するアマチュアは少なくない。
もはや、プロだからといって、必ずしもアマに勝てない。
プロとして必ずアマに勝つには、アマの一万倍努力すること。

なぜ、私は車を創るのか。
それは、車が好きだからだ。
車を創ることが、リスクの高いビジネスであることは承知している。
だが、自分の夢を素直に表現すること、そして、それをビジネスとして構築することこそ、
顧客が欲しくて仕方ないモノを創ることに繋がる、と私は思っている。