診断名は親の為だったりするのです | Solua-ソルア✳︎まゆみのブログ✳︎歩々晴天

Solua-ソルア✳︎まゆみのブログ✳︎歩々晴天

捨てた自分と仲直り✳︎安心感に満ちた世界へ。ライフクリエイターとしての生き方、在り方

自閉症児の親だけど、
自閉症児のことは分かりません。

何を思い
何を見て
何を感じ
何を苦しみ
何を楽しみ
何を悩んでいるのか…

何も理解出来ていないようで
本当は何でも分かっている気がする。

まるきり幼児のようで
でもちゃんと成人した青年でもある。

彼が自閉症であることとか
知的に遅れがあるとか
関係ないのかもしれない。

彼が彼であることが
彼が息子であることが
それだけが素晴らしい。

「診断名は必要ない」

確かに、彼らには診断名は無意味。
そんな括りは必要ない。

でも、
私を含めて、親の中には

その診断で救われている人がいる


あの時の私の行動が…
あの時の私の食事が…
あの時の、あの時の、、、

そうやって自分を責めてしまうけど

反面、
ああ、私のせいじゃなかったんだ
ああ、私の育て方じゃなかったんだ
ああ、産まれつきなんだ!
ああ、そうだったんだ!!

と、救われもするのです。


家で、
お店で、
電車で、
路上で、
所構わずパニックを起こし
常に謝って謝って謝って謝って謝って
毎日謝って生きていく日々。

この子が死ねば楽になれるかな…
と頭をよぎる日々。

でも、そんな日々でも生きていけたのは

「この子は自閉症なのだから」

という診断を受けている事実。

それもあって、
いや、あったから、
乗り切れたのかもしれないな
と今なら思える。

もし、それがなかったら……
乗り越えられた?
押しつぶされて負けてたかもしれない。


息子にとって、
自閉症という括りは
なんの意味もない。
息子は息子だ。
診断名は、私のために必要だったんだ。
それがあったから、頑張れた。
ただ、それだけだ。
私にとって、重要なことだっただけだ。

息子は息子だ。