カレールーではなく粉カレーを使うのであります。

粉カレーといえば昔ながらのS&Bで、1缶650円くらいするので「高!」と思ったりもするのだが、その内容物を見れば納得であるのです。
ターメリックは勿論のこと、シナモン、フェンネル、セージ、タイム、オレガノ、バジル、マジョラム、カルダモン、ローズマリーとアロマハーブ満載なのです。
インド人はカレーを食べながらチャクラを解放するのかと思われるほどに、覚醒を呼び覚ますような食材がてんこ盛りなのです。
なるほど、子供にやさしい甘~い「カレーの◯子様」には含まれてなさそうな成分ばかり。(含まれてたらすみません。見ないで書いてます)
ということで、またもや私の料理の話になります。相変わらずスーパーで安かった鶏のむね肉、白菜、エリンギ、舞茸。そこに自家製の玉ねぎとピーマンを刻んでナベでグツグツ煮込みます。
途中で白ダシと醤油を2かけ。適当に頃合いを見てS&Bのカレー粉を入れます。
スプーン小サジ1で、うんうんカレの味だ。もう1サジ入れたら、うわ!もう辛い!
子供も食べるのに大丈夫か?と際どい展開。
いちお隠し味として、甘くなるようにリンゴ1個を刻んで入れ、柔らかくなるように鶏のむね肉は塩をひと降りして筋を断つように包丁で切りました。
食べてみると、大人にはベストかな。子供には辛いかな。でもご飯にかければ辛さも分からなくなるわ。という適当さ。
子供が食べられない辛い料理はご法度なので、気を付けましょう。

我が家から駅に向かう途中にある教会には、日曜礼拝の講和内容を一言で表した礼拝案内があるのですが、これが不思議で面白いのであります。牧師さんが聖書の内容を話す題名が書かれているのですが、宗教的であり、でも説教臭くなく、小難しくも無く、子供たちがちょっとハテナマークを感じながらも興味が湧くような絶妙な題名が書いてあるのです。

書いてある内容をそのままブログに載せるとちょっといけないと思うので、私なりに書くと「時は決して尽きない」とか「夕飯はきれいな皿の上で」とか「命のパンを信じよ」とかのような、掴みどころのない題名ばかりなのです。

毎週変わるのでそのうち楽しみになり、たまたま駅方面に行かないと何が書かれているのか見たくなってわざわざ通ってみたり、そしてついには牧師さんの話を聞きたくなって教会の日曜礼拝に参列してしまったりしたのであります。

本来、布教とはこのようなものなのでしょう。子供たちの楽しい紙芝居や演劇と同じもの。聖書の物語をやさしく楽しく、多少分かり辛いところがあっても聞き終えてしまうような不思議な魅力に満ちているのです。

そして12月が近づき、掲示物の題名もいよいよクリスマスを予感させるものに変わっていくと、おお!キリストの誕生だ!なんてキリシタンでないにも関わらず妙に感動してしまったりするのです。

ちょっと話がズレますが、延暦寺を焼き討ちにした神も仏も恐れない織田信長がキリシタンだったのがとても不思議です。たぶん、ただ単に織田信長は仏教をまったく信じておらず、一方でキリストの存在は信じていたのだと思いますが。しかし天下布武を目指した人間がキリストの存在を信じていたことが不思議。あるいは鉄砲をもたらしたポルトガル人の説教が上手だったのかもしれません。聖書は読み込むほどに味が出てくる書物なのですね。

(どの宗教を養護も批判もしておりませんので、単に教会の案内看板を見た感想なのであしからずー)

料理の肉は柔らかくなっても、人の肉は柔らかくなりません。

クマプーが心配するようにハチミツを食べれば太ります。

糖分は体内でブドウ糖に分解されます。

ブドウ糖によって血糖値が上昇します。

血糖値を下げるためにインスリンホルモンが出ます。

インスリンには脂肪を溜め込む働きがあります。

エネルギーとして使わなければ脂肪として体内に貯蔵されます。

 

甘いものを食べただけで、栄養吸収がよくなるんですね。

逆に言えば糖分を控えれば栄養の吸収率は悪くなります。

ただし脳は主に糖をエネルギー源とするため、糖分が減ると頭がボーっとしてかえって代謝が落ちたりリバウンドしやすくなります。

 

糖分は食べてもいいけど最後にしましょう。

まず野菜、そして副菜、最後にご飯。そしてケーキ。

この順番を守っていたら、まるで全く太らなくなってしまいました。