現在31歳女性既婚一児の母です。
これからどうしたらいいのか
過去のことを振り返り整理をする為に
ブログをはじめました。
文章力が乏しいですが読んで下さり
アドバイス等頂けると嬉しいです。
まず私のコンプレックス。
実家の事。
家族構成は父、母、兄、私です。
父は普通の会社員、母は保育士、兄とは
2つ歳が離れていました。
幼稚園、小学校低学年までは
まだそこそこ家族仲も良く
兄とも仲良くしていたと思います。
それが崩れていったのは
何年生からか覚えていませんが
兄が不登校になっていったことです。
記憶が曖昧ですが
低学年の頃から兄が同級生に
馬にされてたりそれをニコニコしながら
していると担任の先生から母に連絡が
あったことを朧げに覚えています。
高学年になってその子たちと兄が喧嘩をし
当然負けて鼻血を出して帰ってきましたが
当時の担任の先生は低学年の頃と比べて
凄い成長だと母に褒めていた事が兄の
小学校の思い出です。
私は小学校時代、運動がその学校の中では
出来ていた方で体力テスト短距離マラソン大会
すべて1位でした。
6年間マラソン大会が1位だった事から
毎年今年は抜かすからな!と言われて
朝練をしはじめて負けず嫌いを発揮してたのを
覚えてますw
変化があったのが
小学生4年生の時に仲が良かった子と
全員とクラス離れてしまい
新たに仲良くなった友達がいましたが
その時に初めてイジメというものを
知ります。
私が1人でポツンといたら
5.6人のグループが
外でケイドロ?をしよう!と誘ってくれました。
当時心細かった私からすると
とても嬉しかった事を覚えています。
しかし経緯は覚えていませんが
Yちゃんが鬼になった時に
KちゃんがYちゃん最近嫌いやから
隠れるフリをして教室に戻ろうと言われました。
なぜそんな事をするかわからず
言われた通りに教室に戻りました。
後からYちゃんが教室に戻ってきたけど
顔を見れませんでした。
放課後、上履きを学校の横の池に
笑いながら投げ捨てる友達。
ああ、これがイジメなのかと思いました。
当時の私は助ける事もやめるような発言も
出来ず最低でした。
標的は最初はYちゃんでしたが
どんどん変わっていきそのグループで
回っていき当然私にも順番が回ってきました。
放課後、ケイドロで私が鬼でみんな帰ってしまった事、上靴が無かったこと胸が締め付けられました。
小学生5年生に上がりそクラス替えがあり
そのグループとはお別れになりましたが
当時習い事のバレーをしており
ここでもイジメがあり、お昼ご飯を食べる時に
誰か1人にするというものでした。
当然ここでも私の順番は回ってきて
誰ともお昼を食べず1人で食べていると
年上の子達がなんで1人で食べてるん?と
一緒に食べてくれてました。
あとはダンスの習い事
単純な運動は得意だった私ですが
ダンスに、関して全くセンスがなく
教えてもらった振り付けもみんなとちがって
かっこよく出来ずとてもダサかったです笑
そして何回も間違えてしまい
先生に怒られて年上のお姉さんたちに
足を引っ張るなと怒られているところを
母に見られ辞めるか?と言われ
なぜか辞めずに最後までやりきりました。
母が先生に強めに私が言われる事を相談したのか
年上のお姉さんたちは言い方が優しくなったり
周りの同級生の子達も気にしてくれました。
ここまでが外での小学生の刺激でした。
家の中では私は物心をつくまえから
ピアノを習ってました。
母が保育士でピアノが好きで
将来、バッハとかシューベルトとか
なんの曲が好きか話したかったそうです。
当時のルールが学校が終わり遊びに行く前に
必ずピアノを3回ほど練習してから行くという
ルールがあり外で遊びたがりいの私には
とってもとっても嫌でした。
ピアノも好きではありませんでした。
発表会や練習も続けていましたが
やはり遊びを優先したく母と揉めることが
多くなりついにピアノのレッスン中に
私がピアノをもう弾きたくないと泣いてしまい
ピアノの先生が母に電話をしそのまま
辞めることになり母の期待を裏切りました笑
それから私が小学生5年生の頃
兄は中学1年生。
小学生の時はなんとか休み休み学校に
行ってましたが等々不登校になりました。
理由はこの時はわかりません。
そこから兄の暴力がはじました。
1番記憶に覚えているのが
小学生の頃兄は剣道を習っていたのですが
私が学校から帰りドアを開けると
2階にあがってきてはだめ!!と母の叫び声に近い声が聞こえ物音も聞こえ私は言うことを聞かず
2階に上がると、兄が竹刀をもち布団にくるまっている母を竹刀で叩いていました。
母は下におりときなさい!
と言われ私はどうすることも出来ず
1階で泣いていたのを、覚えており
当時のことを思い出すとまだ涙が止まりません。
そこからも兄の暴力は続き、母の顔が
殴られアザができ真っ青になっていたことが
何回もありました。怒鳴り声と泣き声が
響き渡りとてもとても辛かったです。
父もいる時はとめに入ってくれましたが
力で負けてくると情けなくなったのか
お酒に逃げ止めることもやめ
暴力は続きました。
そんな中私も中学校に上がり
テニス部に入り部活に熱中し
顧問とも仲良くしてましたが部活の顧問が
兄と担任の先生でありたまに兄のことを
聞かれる事が辛かったです。
卒業式も名前を呼ばれ
ええお前、お兄ちゃんおったんやと
同級生に言われとても嫌な気持ちになりました。
家ではずっと母にもう父と離婚して
兄とも別々に暮らしたいと懇願しましたが
お金がないと言われ断れていました。
そんな兄は先生の勧めもあり私立に行くことに
なり名前を書けば受かる学校に入学しました。
高校に入ってからは切り替えが出来たのか
ちゃんと学校へ通っていました。
が期限がが悪いと暴力、注意されると暴力
気に食わないと暴力という感じでした。
私立はお金がかかったようで
母から兄が私立に行きお金がないから
電気やいろいろ節約するように言われました。
あんたが私立行くお金はないから
公立に行って欲しいとお願いされ
その頃私は家にあまり帰りたくなく
遊びほうけていて学力も乏しかったのですが
必死に勉強し公立の偏差値1番下のとこに
なんとか合格しました。
私は高校に入り部活をやめ
アルバイトをそれなりにエンジョイしてました。高校の友達とも仲良くなり今も友人関係は続きてます。
高校時代で色濃く覚えてるのは2つ。
私がアルバイトで買ったiPhone4s
を、嬉しそうにリビングで開封していると
兄が気に食わなかったみたいで殴られ
学校に1週間ほどいけなかったこと。
夏休みにエクステをつけて
それを切られたこと。
今思い出しましたが私の中学校卒業の際も
兄に無理やり髪を切られて卒業アルバムクソダサい髪型でしたw
兄の暴力も母に暴力をすると
何もしてもら得なくなることから
私へ移行していきました。
もう嫌だと母に必死に伝えましたが
兄が高校卒業して就職したら
出て行ってもらうからと我慢しました。
ですが就職活動は失敗し
兄は車の専門学校への入学となり
私は絶望し、外に出歩く事が多くなりました。
専門学校卒業したら!!と我慢していたころ
TSUTAYAでクレヨンしんちゃんの映画を
借りてきて私がリビングで見ていると
こんなお子様のやつみんなやと兄から言われ
私の勝手やろと言い返すとなぐれ
申し訳ございませんでしたと土下座しろと
怒鳴られ私は悔しくて出来ずヒートアップし
母が守ってくれついに兄が包丁を持ち出し
震えており兄の怒り目線が母にいったときに
スマホで110をし警察を呼びました。
ピンポーンとなり
警察だと分かったとき兄は落ち着き
なぜか私が母に怒られました。
警察は母と私の姿を見て(ボロボロだったので)
現行犯逮捕出来るがどうしましょうと
私は必死にお願いしますと泣き叫びました。
母はそんな私を怒り、専門学校の卒業を
間近にし就職が決まってる兄を警察に渡せない
私にはそんな事をしたら報復があると言われ
警察も事件にしないなら、、、という感じで
した。もう私は絶望に絶望感を重ねそこから
家出をしました。
当時付き合っていた彼氏に電話をして
今まで一切話してませんでしたが
今まで会った事をすべて話しました。
当時の彼氏が怒り家に戻り兄に殴りかかり
母と帰宅した父がとめ
彼氏が正座をさせられ謝らさせられました。
その状況も、わけもわからず家出をし
アルバイト先に事情を話し休むと伝えようとすると空き部屋にいてもいいと言われ
そこから学校に行きアルバイトをし
一人暮らしをする為にガールズバーで
働き出しました。
その頃母からはメールで
捜索願いを出す等きておりましたが
もう兄とは暮らせない事を伝え
そうすると1ヶ月兄をレオパレスに住ましたから
とりあえず帰ってこいと。
そこから家に帰り話をしてでも平行線で
私がやはり一人暮らしをするしかないと
決めました。猶予は1ヶ月で母は高校生の私が
短期間でそんなお金を貯めれるわけがないと
思ってたみたいですが私がガールズバーも
していた為賃貸を借りる頭金?礼金や敷金を
払うお金は貯めれました。
ずっと帰りが遅い私を母が怪しみ
ガールズバーで働いてることがばれ
高校生でなにをしているの!雇っている方も
おかしいと激怒。
それでも私は負けずじゃないと
お金は貯まらないし仕方がないと説得しました。
お金が溜まり母と一緒に賃貸を契約しに行き
まだ時間があったので
家でゆっくりしていると
母からもうきまったんやったら早く出ていけば
と言われとっても悲しくなりました。
もちろん家は契約しましたが
家具等はなくもう少し待って欲しかったのですが
その一言でずっと兄を、優先されてきた事
きっと、私のなんて、大事じゃないんと思い
何も家具を揃ってない家へ引っ越しました。
全然まとまってないですが
ここまでが私の小学生-高校生です。
当時の私は決していい子ではなかったですが
アルバイトで定期代も自分で出したり
一緒懸命家計に迷惑をかけずにいたつもりです。
なのに暴力の兄、お金をかけるのはいつも兄
私は本当にいらない子
大事じゃないんやと思いつつも
私が出て行ったら母がまた殴られるんじゃないかという気持ちもあり罪悪感でいっぱいでしたが
私の心がもたなく1人暮らしをはじめました。
母に私は放っておいても勝手にするやろ
おもてるんやんなだからなんやろ?
って最後に言って返事がなかった事も
私がしっかりしてるから私の方がしっかりしてるからと言い聞かせてました
これからどうしたらいいのか
過去のことを振り返り整理をする為に
ブログをはじめました。
文章力が乏しいですが読んで下さり
アドバイス等頂けると嬉しいです。
まず私のコンプレックス。
実家の事。
家族構成は父、母、兄、私です。
父は普通の会社員、母は保育士、兄とは
2つ歳が離れていました。
幼稚園、小学校低学年までは
まだそこそこ家族仲も良く
兄とも仲良くしていたと思います。
それが崩れていったのは
何年生からか覚えていませんが
兄が不登校になっていったことです。
記憶が曖昧ですが
低学年の頃から兄が同級生に
馬にされてたりそれをニコニコしながら
していると担任の先生から母に連絡が
あったことを朧げに覚えています。
高学年になってその子たちと兄が喧嘩をし
当然負けて鼻血を出して帰ってきましたが
当時の担任の先生は低学年の頃と比べて
凄い成長だと母に褒めていた事が兄の
小学校の思い出です。
私は小学校時代、運動がその学校の中では
出来ていた方で体力テスト短距離マラソン大会
すべて1位でした。
6年間マラソン大会が1位だった事から
毎年今年は抜かすからな!と言われて
朝練をしはじめて負けず嫌いを発揮してたのを
覚えてますw
変化があったのが
小学生4年生の時に仲が良かった子と
全員とクラス離れてしまい
新たに仲良くなった友達がいましたが
その時に初めてイジメというものを
知ります。
私が1人でポツンといたら
5.6人のグループが
外でケイドロ?をしよう!と誘ってくれました。
当時心細かった私からすると
とても嬉しかった事を覚えています。
しかし経緯は覚えていませんが
Yちゃんが鬼になった時に
KちゃんがYちゃん最近嫌いやから
隠れるフリをして教室に戻ろうと言われました。
なぜそんな事をするかわからず
言われた通りに教室に戻りました。
後からYちゃんが教室に戻ってきたけど
顔を見れませんでした。
放課後、上履きを学校の横の池に
笑いながら投げ捨てる友達。
ああ、これがイジメなのかと思いました。
当時の私は助ける事もやめるような発言も
出来ず最低でした。
標的は最初はYちゃんでしたが
どんどん変わっていきそのグループで
回っていき当然私にも順番が回ってきました。
放課後、ケイドロで私が鬼でみんな帰ってしまった事、上靴が無かったこと胸が締め付けられました。
小学生5年生に上がりそクラス替えがあり
そのグループとはお別れになりましたが
当時習い事のバレーをしており
ここでもイジメがあり、お昼ご飯を食べる時に
誰か1人にするというものでした。
当然ここでも私の順番は回ってきて
誰ともお昼を食べず1人で食べていると
年上の子達がなんで1人で食べてるん?と
一緒に食べてくれてました。
あとはダンスの習い事
単純な運動は得意だった私ですが
ダンスに、関して全くセンスがなく
教えてもらった振り付けもみんなとちがって
かっこよく出来ずとてもダサかったです笑
そして何回も間違えてしまい
先生に怒られて年上のお姉さんたちに
足を引っ張るなと怒られているところを
母に見られ辞めるか?と言われ
なぜか辞めずに最後までやりきりました。
母が先生に強めに私が言われる事を相談したのか
年上のお姉さんたちは言い方が優しくなったり
周りの同級生の子達も気にしてくれました。
ここまでが外での小学生の刺激でした。
家の中では私は物心をつくまえから
ピアノを習ってました。
母が保育士でピアノが好きで
将来、バッハとかシューベルトとか
なんの曲が好きか話したかったそうです。
当時のルールが学校が終わり遊びに行く前に
必ずピアノを3回ほど練習してから行くという
ルールがあり外で遊びたがりいの私には
とってもとっても嫌でした。
ピアノも好きではありませんでした。
発表会や練習も続けていましたが
やはり遊びを優先したく母と揉めることが
多くなりついにピアノのレッスン中に
私がピアノをもう弾きたくないと泣いてしまい
ピアノの先生が母に電話をしそのまま
辞めることになり母の期待を裏切りました笑
それから私が小学生5年生の頃
兄は中学1年生。
小学生の時はなんとか休み休み学校に
行ってましたが等々不登校になりました。
理由はこの時はわかりません。
そこから兄の暴力がはじました。
1番記憶に覚えているのが
小学生の頃兄は剣道を習っていたのですが
私が学校から帰りドアを開けると
2階にあがってきてはだめ!!と母の叫び声に近い声が聞こえ物音も聞こえ私は言うことを聞かず
2階に上がると、兄が竹刀をもち布団にくるまっている母を竹刀で叩いていました。
母は下におりときなさい!
と言われ私はどうすることも出来ず
1階で泣いていたのを、覚えており
当時のことを思い出すとまだ涙が止まりません。
そこからも兄の暴力は続き、母の顔が
殴られアザができ真っ青になっていたことが
何回もありました。怒鳴り声と泣き声が
響き渡りとてもとても辛かったです。
父もいる時はとめに入ってくれましたが
力で負けてくると情けなくなったのか
お酒に逃げ止めることもやめ
暴力は続きました。
そんな中私も中学校に上がり
テニス部に入り部活に熱中し
顧問とも仲良くしてましたが部活の顧問が
兄と担任の先生でありたまに兄のことを
聞かれる事が辛かったです。
卒業式も名前を呼ばれ
ええお前、お兄ちゃんおったんやと
同級生に言われとても嫌な気持ちになりました。
家ではずっと母にもう父と離婚して
兄とも別々に暮らしたいと懇願しましたが
お金がないと言われ断れていました。
そんな兄は先生の勧めもあり私立に行くことに
なり名前を書けば受かる学校に入学しました。
高校に入ってからは切り替えが出来たのか
ちゃんと学校へ通っていました。
が期限がが悪いと暴力、注意されると暴力
気に食わないと暴力という感じでした。
私立はお金がかかったようで
母から兄が私立に行きお金がないから
電気やいろいろ節約するように言われました。
あんたが私立行くお金はないから
公立に行って欲しいとお願いされ
その頃私は家にあまり帰りたくなく
遊びほうけていて学力も乏しかったのですが
必死に勉強し公立の偏差値1番下のとこに
なんとか合格しました。
私は高校に入り部活をやめ
アルバイトをそれなりにエンジョイしてました。高校の友達とも仲良くなり今も友人関係は続きてます。
高校時代で色濃く覚えてるのは2つ。
私がアルバイトで買ったiPhone4s
を、嬉しそうにリビングで開封していると
兄が気に食わなかったみたいで殴られ
学校に1週間ほどいけなかったこと。
夏休みにエクステをつけて
それを切られたこと。
今思い出しましたが私の中学校卒業の際も
兄に無理やり髪を切られて卒業アルバムクソダサい髪型でしたw
兄の暴力も母に暴力をすると
何もしてもら得なくなることから
私へ移行していきました。
もう嫌だと母に必死に伝えましたが
兄が高校卒業して就職したら
出て行ってもらうからと我慢しました。
ですが就職活動は失敗し
兄は車の専門学校への入学となり
私は絶望し、外に出歩く事が多くなりました。
専門学校卒業したら!!と我慢していたころ
TSUTAYAでクレヨンしんちゃんの映画を
借りてきて私がリビングで見ていると
こんなお子様のやつみんなやと兄から言われ
私の勝手やろと言い返すとなぐれ
申し訳ございませんでしたと土下座しろと
怒鳴られ私は悔しくて出来ずヒートアップし
母が守ってくれついに兄が包丁を持ち出し
震えており兄の怒り目線が母にいったときに
スマホで110をし警察を呼びました。
ピンポーンとなり
警察だと分かったとき兄は落ち着き
なぜか私が母に怒られました。
警察は母と私の姿を見て(ボロボロだったので)
現行犯逮捕出来るがどうしましょうと
私は必死にお願いしますと泣き叫びました。
母はそんな私を怒り、専門学校の卒業を
間近にし就職が決まってる兄を警察に渡せない
私にはそんな事をしたら報復があると言われ
警察も事件にしないなら、、、という感じで
した。もう私は絶望に絶望感を重ねそこから
家出をしました。
当時付き合っていた彼氏に電話をして
今まで一切話してませんでしたが
今まで会った事をすべて話しました。
当時の彼氏が怒り家に戻り兄に殴りかかり
母と帰宅した父がとめ
彼氏が正座をさせられ謝らさせられました。
その状況も、わけもわからず家出をし
アルバイト先に事情を話し休むと伝えようとすると空き部屋にいてもいいと言われ
そこから学校に行きアルバイトをし
一人暮らしをする為にガールズバーで
働き出しました。
その頃母からはメールで
捜索願いを出す等きておりましたが
もう兄とは暮らせない事を伝え
そうすると1ヶ月兄をレオパレスに住ましたから
とりあえず帰ってこいと。
そこから家に帰り話をしてでも平行線で
私がやはり一人暮らしをするしかないと
決めました。猶予は1ヶ月で母は高校生の私が
短期間でそんなお金を貯めれるわけがないと
思ってたみたいですが私がガールズバーも
していた為賃貸を借りる頭金?礼金や敷金を
払うお金は貯めれました。
ずっと帰りが遅い私を母が怪しみ
ガールズバーで働いてることがばれ
高校生でなにをしているの!雇っている方も
おかしいと激怒。
それでも私は負けずじゃないと
お金は貯まらないし仕方がないと説得しました。
お金が溜まり母と一緒に賃貸を契約しに行き
まだ時間があったので
家でゆっくりしていると
母からもうきまったんやったら早く出ていけば
と言われとっても悲しくなりました。
もちろん家は契約しましたが
家具等はなくもう少し待って欲しかったのですが
その一言でずっと兄を、優先されてきた事
きっと、私のなんて、大事じゃないんと思い
何も家具を揃ってない家へ引っ越しました。
全然まとまってないですが
ここまでが私の小学生-高校生です。
当時の私は決していい子ではなかったですが
アルバイトで定期代も自分で出したり
一緒懸命家計に迷惑をかけずにいたつもりです。
なのに暴力の兄、お金をかけるのはいつも兄
私は本当にいらない子
大事じゃないんやと思いつつも
私が出て行ったら母がまた殴られるんじゃないかという気持ちもあり罪悪感でいっぱいでしたが
私の心がもたなく1人暮らしをはじめました。
母に私は放っておいても勝手にするやろ
おもてるんやんなだからなんやろ?
って最後に言って返事がなかった事も
私がしっかりしてるから私の方がしっかりしてるからと言い聞かせてました
