施設からの脱走について 後編 | はばたけ! 養護施設出身者

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養護施設で虐待を受けて育った者が、その後、社会で生きて行くために歩んだ記録

前回の続きですが、気付いた方もいらっしゃるように、捕まっていないのに行方不明になっていない者は、自分から施設に戻って来た者になります。


1ヶ月近く居なかったと思うのですが、帰って来た時は、子どもの中ではヒーロー扱いでした。

理由は簡単で、指導員がいつも子どもに向って言っていた

脱走して逃げ切れた者はいないから、するだけ無駄

といった言葉に、泥を塗ってくれたからです。

本当は、本人たちに本でも書いて欲しいくらいなのですが、この2人は捕まらないようにするために、かなりの大移動をしています。

実際の具体的な地名は伏せますが、例えるなら鹿児島の施設から、北海道の礼文島辺りまで移動したと思ってください。

そのため移動だけで大半のお金を使ってしまい、本人たちはお金が無いため、中卒という事で働く事にしたそうです。

しかし、仕事ぶりが真面目だったのか、社員として雇うとかで、両親に言って役場から書類を貰ってくるように(おそらく住民票だと今なら思います)言われて、それが持って来れなくて怪しまれたので、再び逃げるしかなかったそうです。

そして結局、お金が底を尽きてしまい、

どうせ捕まるくらいなら

と、自分で戻ってきたと言っていました。


という事で、脱走するにも、やはりある程度のお金は必要になります。

それが脱走に冬が多い理由のひとつにもなります。

これも施設によって違うし、現在は行われて居ないみたいなのですが、私が居た施設では、子どもが学校に行った時等に、勝手に持ち物検査が行われていました。

勝手に押入れ等を開けられて、中に規則違反のもの(特に現金)がないか、徹底的に調べられていたのです。

当然、子どもにとって一番大金を持っているのは正月になります。

この正月から時間を置けば置くほど、お金が発見されやすくなるので、早めに使おうと考える者が多かったのです。


後は、夜間の見回りの目をごまかすためになります。

冬だと、布団の中に、別の布団等を丸めて入れておけば、寝ているように見えるのですが、さすがに夏の場合は布団をかぶっている事は無いので、そういう事ができません。

あと冬場の方が起床時間が遅いため、それだけ時間が稼げる事にもなりました。

つまり夏場は、3時間程度で居なくなったのが分かるのに対し、冬は9時間程度ばれない事もある為、捕まる可能性が低かったのです。


脱走が発覚すると、まず警察に連絡がいくのですが、この段階で最寄の駅と両隣の駅には、警察が張り付きますから、逃げる方にすれば、とにかく発見が遅らせる事が成功のカギになります。

また、自宅と親戚や兄弟と言った所にも連絡が行き、警察がチェックするようになります。

施設周辺の、隠れる事が出来そうな場所等は、施設の職員も把握していて、その辺りには職員が一通りチェックする事になります。

結局脱走した者は、途中で寂しくなるのか、大抵実家に連絡をとって居場所が通報される事が多かったですね。


で、連れ帰らされた後は、かなりの虐待が待っていました。

私の居た施設の場合は、3回脱走した者は100%教護院送りで、2回の者については半々位でした。

1回の脱走の失敗で、教護院に送られた者はいません。

また、その外にも最低3ヶ月の外出禁止といった事も、虐待以外で行われていました。

それらについては、自分から返ってきた言わば「自首」のようなこの2人も、例外なく行われていました。


結局、この2人からの教訓として

お金がなくなった時を、どうするか考えて脱走しろ

と言われたのですが、そんな事を考えてなくても、脱走するものは後を絶ちませんでした。


私の居た施設の場合は、脱走についてはこんな感じでした。