令和に時代が移り、平成も思い出として語り継がれるようになるのだろう。

平成の始めに、手塚治虫、ジャイアント馬場が亡くなり、昭和の終わりを実感したのだが、平成も終わり間際、各界の著名人が他界された。

恵まれ過ぎた才能に精神が追い付かなかった未完の大器、北尾光司もその一人だ。

バンバン・ビガロを相手に、東京ドームでデビューしたのはいいが、現場監督の長州とのトラブルで半年あまりで退団。
天龍引き入るWARに入団し、レッスルマニア7にも出場するくらいの期待を受けていたが、これまた、トラブルで退団。
空拳道なる格闘家として、Uインターに参戦。
山崎をローキックの連打でkoするが、高田にはハイキックをくらい、無惨なko負け。
その後、北尾道場を設立し、武魂道場に名前を変え、後身の指導に当たりつつ、再び、WARにスポット参戦。
総合格闘技にも参戦した後、ひっそりと引退し、若くしてこの世を去った。

私は、北尾というキャラクターが憎めなかった。
問題ある言動も多かったことは否めない。
しかし、よくよく考えてみれば、中学卒業と同時に角界入り。
世の中の常識とかけ離れた世界に、どっぷりと浸かり込んだ若者が、精神的に成長のないままに、国技最高位にまで登り詰めたのだ。
北尾の未熟さは、ある意味、回りの大人の責任でもあるのではないか。
同じ環境で、道を極めた他の横綱もいるので、皆、一色単にはできないが。

さて。
先日、プロレスファンのお客様と妄想話に花が咲いたのだが、
『仮定の一つとしてですね、北尾が、馬場のもとで修行していたら、どうなっていましたかね?』
と、難題を吹っ掛けてきた。
実に面白い難題である。

まず、輪島と違うのは、年齢である。
バリバリの現役のまま、角界を追われた北尾だ。
タイミングとしては?
新日本解雇からSWS参戦までの間。
天龍をはじめとする選手の大量離脱が発生し、日本陣営が手薄になった辺りでは、どうだろうか?
新日本を解雇された北尾が、電撃的に全日本に入団!
大柄なレスラーが好みの馬場なら、絶対に欲しがる。
馬場⇔坂口ルートでの友好関係は持続していた時期だから、新日本も横やりを入れる理由がない。
性格に難ありとみた馬場は、プロレスのイロハを教えるために、海外の有名どころをコーチにするに違いない、輪島が、ネルソン・ロイヤルに学んだように。
やはり、ファンク道場か?
いや、適任がいる。 
ハーリー・レイスだ。
この時期は、WWFとの契約も切れ、
セミリタイア状態。
後年、WCWで、あのベイダーの手綱を任されたマネージャーに任命されるくらいの強面だ。
北尾に、プロレスの怖さを教えるには、うってつけの人材ではないだろうか。

凱旋帰国、慎重派の馬場は、北尾の全日本でのデビュー戦は、誰にするだろうか………。

………………。
…………。

新日本で因縁のあるウィリアムスがらみのカードは組まない。
シングルだと暴走したとき、止められない。
タッグだ。
90年6月に三沢が鶴田から、勝利を奪っている。
8月には、超世代軍が結成されている。
この時期、鶴田には、タッグパートナーがいない!
鶴田&北尾組❕
TK砲結成!
超世代軍相手だと、北尾の悪い癖が出て、高飛車になるかもしれない。
外人。
しかも、格上。
ハンセンしかいない!
北尾の全日本デビュー戦は、鶴田&北尾対ハンセン&スパイビーか!
デビュー戦では、鶴田のリードもあり、スパイビーから、ピンフォールを奪うも、試合後のハンセンのラリアットで失神に追い込まれる。
この因縁から、ハンセンとのシングルが組まれ、惜敗。
鶴田との本格的なタッグが結成され、最強タッグにエントリー。
ハンセン&スパイビー、ゴディ&ウィリアムス、三沢&川田らと激戦を繰り広げる。
超世代軍を離脱した田上とのコンビも実現。
三沢&川田&小橋 対 鶴田&北尾&田上が、全日の新名物となる。
その後、内蔵疾患により、鶴田が欠場。
北尾&田上組に、川田が合流し、聖鬼軍が結成され、決闘が繰り広げられる。

三冠王座にも絡み、ハンセン、ゴディ、ウィリアムス、三沢、川田、田上、小橋と激闘を繰り広げる……………。

こんな北尾がいても、よかったんじゃないだろうか…。
プロレスが好きすぎて、プロレスの毒にあてられたか。
馬場や鶴田の元でなら、もう少しだけ、プロレスで夢を見せてあげられたのではないか、そんな思いがよぎる令和の夜だった。