第一回 スタン・ハンセン&テッド・デビアス
不沈艦スタン・ハンセンといえば、新日本&全日本で、名タッグを生み出してきた。
新日本時代は、ホーガン、マードックとタッグを組み、MSGタッグリーグに参加し、ブッチャーとのコンビで、谷津を血だるまにし歴史に名を刻んだ。
全日本に移籍すると、ブロディをパートナーに据え、世界最強の呼び声高い超獣コンビを結成。
鶴龍、ファンクス、シン&上田、マスカラス・ブラザーズなどを、一蹴してのけた。
しかし、ブロディが新日本の移籍すると、やもめとなったハンセンは、次々とパートナーを変え、トップ戦線に居座ることになる。
デビアス、ゴディ、天龍、スパイビー…、この辺りは、まだ形になっていたが、ノード・ザ・バーバリアン、ビック・ブーバー辺りになると、なにやら胡散臭いにおいがしてくる。
その後、オブライトをパートナーにしたのは、若手育成の意味合いもあったのだろう。
馬場、ベイダーとのタッグは、長年の功労賞みたいなものか?
いずれにしても、ハンセンのキャリアを語る上で、タッグでの活躍は外すことは出来ない。
そういった名チームぞろいの中、ハンセンのベスト・パートナーは?と、聞かれると、私は迷わず、テッド・デビアスだと応える。
ブロディじゃないの?という声が多いのは百も承知。
ハンセン&ブロディは、ロード・ウォリアーズに匹敵する優秀なチームであることは否めない。
しかし、こと、『タッグ』という概念で見たとき、果たして、ブロディ&ハンセンは、タッグチームとして、正しく機能していたのか?と疑問を持たざるを得ないのだ。
83年の最強タッグでの公式戦バリー・ウィンダム&ロン・フラー戦でも、そのほころびは見られる。
明らかに格下のチームに対し、一方的に攻めこむブロディ。
後は、フィニッシュだけという段階で、ハンセンがタッチを求める。
一瞬、嫌悪感を浮かべるブロディは、たたきつけるかのようにタッチをし、ふてくされたような態度を見せる。
ウェスタン・ラリアットで、ロン・フラーを一蹴したハンセンに、駆け寄るブロディの顔には、複雑な表情が浮かんでいた。
今改めて、当時の試合を見てみると、二人の間に、目に見えない温度差を感じるときがある。
プライドの高いブロディが、どんな思いでハンセンの背中を見ながら、コーナーに控えていたのか、なぜ、人気絶頂の中、ブロディが新日本に移籍を決意したのか、答えがその辺りにあるような気がする。
ブロディが新日本に転出した後、ハンセンとチームを組んだのが、デビアスだ。
ファンク一家のルーキーとして、クリーンファイトが売りの次期エース候補だったが、ハンセンの呼びかけに応えて、ファンクス相手に造反、ヒール転向し、コンビ結成となった。
当時、次期NWA王者候補としての呼び声も高かったデビアスだが、いまひとつ垢抜けなかったのは、あくの強さが足りなかっただろう。
リッキー・スティムボード辺りもそうだが、やはり、ベビーフェイスだけをやっていては、ファイトの幅が広がらない。
もう一つ殻を破るためには、ハンセンのような個性の塊のレスラーとコンビを組んで、ヒールとして、トップレスラーとの対戦を増やすのが、近道だった。
ハンセンもまた、全日本で生き残りを掛けるために、タッグ・パートナーは必要だった。
同じテキサス州立大学アメリカン・フットボール部出身で、ファンク一家の門下生ということもあり、『後輩』にあたるデビアスは、ハンセンにしてみれば、うってつけのパートナーだったに違いない。
元々、レスラーとしての資質が高かったデビアスは、ファンク一家の中でも、特筆したインサイドワークの持ち主で、キャリアの割には、卒のないレスリングをこなし、トップ・グループの一角を占めていた。
ハンセンとのタッグでは、PWF世界タッグ戴冠、最強タッグ優勝という実績を残した。
これは、ハンセンのラフ・ファイトのサポートに回るデビアスの内助の功があってのもの。
どういう風に、立ち回ったら、ハンセンのウェスタン・ラリアットにつなげるか?
チームが劣勢に回ったとき、自分がどう動けば、それを打開できるのか?
常に、ハンセンを立てる事で、チームを成立させ、勝利をつかむ。
これが、ハンセン&ブロディとの違いなのだ。
『俺が、俺が』の二人がコンビを組んでいるときは、とにかく、反則暴走負けが多く、82年の最強タッグでも、それが原因で優勝を逃している。
『記録ではない、記憶に残るのがプロレス』とはいうが、やはり、実績という面を見たとき、あまりにも、ブロディ&ハンセンは、不安定すぎた。
デビアスの試合感の良さは、まさにハンセンに一番必要なもので、彼とタッグを組むようになってから、ハンセンの試合から、反則負けが減ったように思える。
単なるブルファイターから、一歩抜け出したハンセンもまた、デビアスと組むことで、試合に幅を持たせられるようになった。
実力的には、ハンセン、ブロデイを10だとすると、デビアスは8くらいかもしれない。
しかし、タッグを組むことで、デビアスはハンセンを12まで、ハンセンはデビアスを9まで押し上げることが出来る。
理想のタッグチーム像である。
デビアスがWWFに転出することで、このコンビも消滅する。
ミリオンダラーマンとして、ホーガン、サベージ、アルティメット・ウォリアーなどを相手に、メインイベンターとして活躍できたのも、ハンセンとのコンビで、培ったインサイドワークがあればこそ。
東京ドームで行われたアルティメット・ウォリアーとのWWFタイトルマッチは、彼の凱旋試合といっても過言ではない。
『史上最強のでくの坊』と言われたアルティメット・ウォリアー相手に、あれだけの名勝負をやってのけたのだから。
94年、WWFとの契約を終えて、全日本にUターンした際、川田&田上から一発で世界タッグを奪取している。
残念ながら、この一戦で頚椎損傷で引退に追い込まれてしまうのだが、デビアスが本格的に復帰してくれれば、ハンセンの全日本での立ち位置もまた、違ったものになったであろう。
三沢、川田相手にハンセン&デビアスがどういうファイトを見せてくれたのか、それが見られないのが、悔しくて仕方ない。