平成10年4月4日、猪木はドン・フライを相手に引退した。

なぜドン・フライなのか?

なぜ、引退試合の相手を、トーナメントで決めたのか?

そもそも、引退試合を決めるトーナメントのメンバーも、クェスチョンなメンバーばかりである。

日本勢は、当時、若手からようやく頭一つ抜けてきた藤田和之、猪木イズムとは無縁な山崎一夫、ファイナル・カウントダウンで決着が着いたはずの藤原喜明、そして、大本命、小川直也。

外人勢はというと、イゴール・メインダート、デイブ・ベネトゥー、ブライアン・ジョンストン、ドン・フライといった『かなり堅め』の総合系プロレスラー。

藤波も長州も、三銃士もいない、新日本の看板レスラーは、猪木の引退試合にセレクトされなかった。



そのトーナメントの試合は、異様な光景を生み出す。

総合や異種格闘技戦にありがちなラウンド制ではなく、時間無制限一本勝負。

ロープブレイクや反則5カウントといったプロレスルールも適用され、しかも、裁くレフェリーは、タイガー服部。

すべての決まり手は、なぜか、KOかギブアップ。

3カウントは聞かれなかった。

結局、猪木の最後の弟子小川をKOしたフライが、

猪木の引退試合を務めあげ、猪木は猪木で、実にそっけなくもあっけないコブラツイストで、現役に幕をおろした。



新日本での役割を終えた猪木は、小川をヒーローに祭り上げ、UFOを旗揚げ。

限りなく総合に近いプロレス団体を送り出した。

しかし、総合やK1に押されはじめたプロレスは、世間的地位を失い、時代の片隅に追いやられる。

そんな中、猪木と小川の間に走ったひび割れのせいで、UFOは、まさに、未確認のまま、団体をクローズした。



その後、紆余曲折ありながらも、猪木は猪木であり続けるために、世の中にメッセージを送り続け、結局、自ら作った団体、新日本プロレスに三行半を突き付けられる。



これにめげない猪木は、自分の遺伝子を持つものだけを、リングに上げるために、新たな団体を作り上げた。



IGF。



まさに、不思議な光景が、我々を襲う。

それは、むかし見た光景。

予定調和から、脱却した、懐かしくも新しい世界。

総合の選手とエンターテイメントなレスラーが、『猪木と愉快な仲間たち』なプロレスを提供する自由空間。

業界の誰もが、目を背けた猪木ワールド。



『長続きしないよ』



そういわれ続けながらも、約三年が経過した今、我々は、恐ろしい現実を目にする。



相撲取りとK1戦士が、プロレスルールで、雌雄を決する。

総合のチャンピオンが、プロレスルールで、ベルトを競う。



猪木いわく、

『この業界は、10年1サイクル』

なのだ。



なるほど、あらゆるジャンルの格闘家が、プロレスのリングに集結するなんて、10年前の俺は、想像してたかい?



そう、そのヒントは、猪木の引退試合の対戦相手を決めるトーナメントにあったのだ。

あのトーナメントは、来るべき、猪木が理想とするプロレスリングの礎だったのだ。



それゆえ、猪木は、総合のチャンピオン、ドン・フライを、コブラツイストで、ギブアップさせたのだ。

腕ひしぎでも、スリーパーでもない、コブラツイストで。



これだから、猪木は、恐ろしい。