『大谷晋二郎は格が違う』
九十八年、新日本プロレスに参戦したみちのくプロレスの中島半蔵が、大谷との対戦後に出したコメントである。
当時の大谷は、打倒ライガーを名目に、金本、高岩らと同世代のライバルと切磋琢磨しながら、上の世代との主導権争いの中心人物となっていた。
そんな大谷に、みちのくプロレスの中堅、中島半蔵が挑んでいき、見事玉砕。
完敗を認め、大谷を讃えた。
当時、中島半蔵マニアの俺は、この言葉が、逆に情けなく思い、腹立たしさを感じたものだった。
と言うのも、半蔵の実力を知っている俺としては、決して、大谷と比べても、なんら劣ることのない、むしろ、一発食ってくれるのでは、と、思っていただけに、ずいぶんとまた、弱気なものだ、と、憤慨していた。
しかし、一歩引いてみたら、方やIWGPチャンピオン、方やインディー団体の中堅。
見えない『格の差』と言うものが、確かに、存在していた。
そもそも、この『格』と言うのは、なんなんだろうか?
昭和のプロレスでは、格は、絶対不変のものであった。
すなわち、『団体の顔』であり、『象徴』であり、それを見んが為に、観客はチケットを買い、足を運ぶ、そういう存在こそが、『格が上』と称されていた。
それは、力道山に始まり、ジャイアント馬場、アントニオ猪木へと、受け継がれる。
そして、その脇を固めるサポート役、中堅、若手と、格付けされていく。
外人もしかり、チャンピオン、タッグ屋、サポート役、職人、員数外人と、役割でまた序列ができる。
そして、出来た『格』は、マッチメークやギャランティに、深く影響し、レスラーとして、生計をたてるなら、少しでも、格を上にあげたい、と、思うようになる。
この『格』を、一番最初に壊したのが、木村政彦だ。
絶対無敵の力道山に対し、下剋上を叩きつけ、世紀の一戦に持ち込んだ。
結果は、戦意喪失のTKOで、格を入れ替える迄には、至らなかった。
そして、格に泣かされたのは、アントニオ猪木。
日本プロレス時代、ジャアント馬場との格の差に悩み、東京プロレスを旗揚げ、倒産、出戻り、再び、追放、新日本プロレス旗揚げと、常に格との戦いを強いられてきた。
レスラーとして、団体運営者として、さらには、世間の目を相手取り、格上げを狙い、命懸けの試合をしてきた。
そして、その格に挑んだレスラーが、二人いる。
長州力、天龍源一郎だ。
維新革命、天龍革命で、当時のトップに噛み付き、引きずり落とし、格上げに成功した。
前田日明は、格そのものを否定。
純粋に、強さだけを競う順格路線に焦点を定め、団体を運営してきた。
昭和プロレスの歴史を紐解くと、転換期に必ず、格の入れ替えが、起きている。
時代は、格の入れ替えにより、新たなヒーローを迎え入れているのだ。
では、この『格』とは、誰が、決めるものなのか?
まず、一番大切なのは、ファンの支持だ。
魂を揺さぶり、視線を釘づけにし、闘いに酔い痴れさせる、そんなレスラーに客は無条件に引き寄せられる。
レスラーが、客の支持を集めると、周囲のレスラーの見る目も変わる。
一枚噛もうとするもの、空いたポジションに滑り込もうとするもの、環境がかわることで、自身も一枚、格を上げに来る。
そうすることで、レスラーの支持を得られることもある。
そして、最後は、団体が、その存在を認め始める。
軍団抗争、世代闘争、いつしか戦いの主流に、組み込まれていく。
こうして、格を上げていったものが、団体の舵取りをするのだ。
ファンに認められ、レスラーに認められ、団体に認められ、そこで、初めて、格が上がるのだ。
自分一人で、『格が上』などと勘違いして、調子に乗って、ぼこられ、干されたレスラーなど、星の数ほどいる。
古くはグレート・アントニオ、有名どころでは、アルティメット・ウォリアー、セッド・ジャスティス、最近では、薬物の異常摂取から、強盗にまで落ちぶれたタイソン・トムコ、日本でも、身内とのトラブルが元で、団体を転々としていたモノもいる。
『格』を決めるのは、自分ではなく、まわりなのだ、と、気付かぬうちは、いつまでたっても、格が上がるわけがない。
最近、そういうレスラーが、多すぎるような気がする。
九十八年、新日本プロレスに参戦したみちのくプロレスの中島半蔵が、大谷との対戦後に出したコメントである。
当時の大谷は、打倒ライガーを名目に、金本、高岩らと同世代のライバルと切磋琢磨しながら、上の世代との主導権争いの中心人物となっていた。
そんな大谷に、みちのくプロレスの中堅、中島半蔵が挑んでいき、見事玉砕。
完敗を認め、大谷を讃えた。
当時、中島半蔵マニアの俺は、この言葉が、逆に情けなく思い、腹立たしさを感じたものだった。
と言うのも、半蔵の実力を知っている俺としては、決して、大谷と比べても、なんら劣ることのない、むしろ、一発食ってくれるのでは、と、思っていただけに、ずいぶんとまた、弱気なものだ、と、憤慨していた。
しかし、一歩引いてみたら、方やIWGPチャンピオン、方やインディー団体の中堅。
見えない『格の差』と言うものが、確かに、存在していた。
そもそも、この『格』と言うのは、なんなんだろうか?
昭和のプロレスでは、格は、絶対不変のものであった。
すなわち、『団体の顔』であり、『象徴』であり、それを見んが為に、観客はチケットを買い、足を運ぶ、そういう存在こそが、『格が上』と称されていた。
それは、力道山に始まり、ジャイアント馬場、アントニオ猪木へと、受け継がれる。
そして、その脇を固めるサポート役、中堅、若手と、格付けされていく。
外人もしかり、チャンピオン、タッグ屋、サポート役、職人、員数外人と、役割でまた序列ができる。
そして、出来た『格』は、マッチメークやギャランティに、深く影響し、レスラーとして、生計をたてるなら、少しでも、格を上にあげたい、と、思うようになる。
この『格』を、一番最初に壊したのが、木村政彦だ。
絶対無敵の力道山に対し、下剋上を叩きつけ、世紀の一戦に持ち込んだ。
結果は、戦意喪失のTKOで、格を入れ替える迄には、至らなかった。
そして、格に泣かされたのは、アントニオ猪木。
日本プロレス時代、ジャアント馬場との格の差に悩み、東京プロレスを旗揚げ、倒産、出戻り、再び、追放、新日本プロレス旗揚げと、常に格との戦いを強いられてきた。
レスラーとして、団体運営者として、さらには、世間の目を相手取り、格上げを狙い、命懸けの試合をしてきた。
そして、その格に挑んだレスラーが、二人いる。
長州力、天龍源一郎だ。
維新革命、天龍革命で、当時のトップに噛み付き、引きずり落とし、格上げに成功した。
前田日明は、格そのものを否定。
純粋に、強さだけを競う順格路線に焦点を定め、団体を運営してきた。
昭和プロレスの歴史を紐解くと、転換期に必ず、格の入れ替えが、起きている。
時代は、格の入れ替えにより、新たなヒーローを迎え入れているのだ。
では、この『格』とは、誰が、決めるものなのか?
まず、一番大切なのは、ファンの支持だ。
魂を揺さぶり、視線を釘づけにし、闘いに酔い痴れさせる、そんなレスラーに客は無条件に引き寄せられる。
レスラーが、客の支持を集めると、周囲のレスラーの見る目も変わる。
一枚噛もうとするもの、空いたポジションに滑り込もうとするもの、環境がかわることで、自身も一枚、格を上げに来る。
そうすることで、レスラーの支持を得られることもある。
そして、最後は、団体が、その存在を認め始める。
軍団抗争、世代闘争、いつしか戦いの主流に、組み込まれていく。
こうして、格を上げていったものが、団体の舵取りをするのだ。
ファンに認められ、レスラーに認められ、団体に認められ、そこで、初めて、格が上がるのだ。
自分一人で、『格が上』などと勘違いして、調子に乗って、ぼこられ、干されたレスラーなど、星の数ほどいる。
古くはグレート・アントニオ、有名どころでは、アルティメット・ウォリアー、セッド・ジャスティス、最近では、薬物の異常摂取から、強盗にまで落ちぶれたタイソン・トムコ、日本でも、身内とのトラブルが元で、団体を転々としていたモノもいる。
『格』を決めるのは、自分ではなく、まわりなのだ、と、気付かぬうちは、いつまでたっても、格が上がるわけがない。
最近、そういうレスラーが、多すぎるような気がする。