あの頃はよかった、な、話をするわけではないが、例えば、八十年代の全日本プロレス。
ハンセン、ブロディ、ファンクスといったアメリカン・プロレス。
マスカラス、ドスカラスといったルチャ・リブレ。
ブッチャー、シン、上田の流血ファイト。

一つのリングで、プロレス全てのティストを楽しめる。
これが、当たり前の姿だった。

例えば、剛竜馬の地域密着出前プロレス。
大仁田のデスマッチ。
ユニバーサル、みちのくのルチャ・リブレ。

インディー団体は、団体の特色を出すために、メジャー団体のやらないこと、できないことを、探しはじめる。

懐かしの外人レスラーを呼んでみたり、特殊なデスマッチをしてみたり、手をかえ品をかえ、色々なアイデアを出す。

それが、全部当たればいいが、大抵は、悲惨な状態になり、団体は解散、分裂を繰り返し、今に至るわけだ。

ここまで、インディー団体の細分化が進むと、独自路線どころか、メジャーの劣化コピーでしかない団体が増え続け、プロレス自体の地盤沈下が止まらなくなる。

選手の実力が伴わなければ、試合がつまらない。
試合がつまらなければ、客がこない。
客がこなければ、団体解散。

企画だけでは、生き残れない。