以前、タモリ倶楽部の『失われた昭和の技』特集を拝見した時も、感じたのだが、21世紀のプロレスとそれ以前のプロレスとの決定的違いは、『早さと高さ』ではないだろうか?

新日本、ノア、大日本、ドラゲーくらいしか、最近のプロレスは見ていないから、何とも言えないが、たまに、この辺のプロレスを見ると、とにかく動きが早い。

ゴングがカーン!となってから、カーンとなり終えるまで、とにかくせわしなく動き続けている。
ジュニアもヘビーも関係なく、矢継ぎ早に技を繰り出すので、一発一発の技が、やけに軽く見えるのだ。

その軽さを隠すために、より高いところから、何度もクルクル回り、何発も何発も連発で、カウント2・9を繰り返す。
飛び技に限ったことではない。
投げっぱなしのスープレックス。
どこに当たってんだかわからないラリアット。
乱発されるキック。

キーロックやクローが、失われていく、と言うが、では、なぜ、今だに、藤波や藤原、フレアーやトリポーさんのレスリングは、今だに、支持されるのか?

分かりやすく言えば、『三匹の子豚』なわけである(わかりにくい?)。

最近のプロレスは、長男や次男が作った木や藁の家。
とりあえず、できる技を順番に組み立てているだけ。
自分の体格やスキル、見た目などを考慮せず、とりあえず、流れを無視して技を並びたて、試合を組んじゃいました、みたいな軽さが、そこかしこに、滲み出てしまう。
だから、第一試合からメインまで似たような技が飛びかい、似たような試合が続いてしまう。

昭和のプロレスは、三男坊の煉瓦の家。
自分のスキルを磨き上げ、相手に与えるダメージを計算しながら、コツコツと、積み上げていく巧みの技。
だから、必要以上に、技がいらない。
いや、技は必要。
フレアーが足四の字を決めるために、一連の足殺しに入った瞬間、その流れは、一つの技になる。
反撃ののろしとなるバックハンド・チョップ、相手を抱え揚げ、ニー・クラッシャー、ロープに脚をかけ、ヒップドロップ、鉄柱に脚をぶつける。
ここまでが、『足殺し』という一つの技で、最後に、レッグロックからの四の字固めが決まり、観客はエキサイトするわけである。
藤波もそう、藤原もそう、マードック、レイス、ニック、彼らの試合で、技と名のつく技なんて、数えるほどしか出さない。
あとは、ヘッドロック、リストロック、アームロック、レッグロックの関節技に、殴る蹴るどつくが混じるくらいのもんだ。

そういうレスラーは、試合全体の七割は守りに入る。
反撃に出るまでは、じーっと受け続ける。
そして、残りの三割で試合を引っ繰り返すのだ。
ちなみに、猪木は、最初と最後、あわせて一割五分で、試合を引っ繰り返せるスキルがあるから、超がつく一流。
その代わり、かなり、えげつない手段を使うけど。

だから、上手いレスラーほど、使う技は減ってくる。
だから、フレアー対レイスとかの試合は、妙な間が全般的に漂うわけで。

最近のプロレス見てて、とにかく、イラッとするのが、相手の技を食らっても、すぐに立ち上がって反撃する下り。
投げっぱなしジャーマンなんて、痛め技ですらないのが、最近の風潮。
それもそのはず、序盤のバックの取り合いから、いきなり、ジャーマンだもの、決まるわけがない。
序盤から、ジャーマンだったら、フィニッシュの技は、どこまで高みを見なきゃならないのか。
矢継ぎ早に技を出すから、決まる前に、次の技に行ってしまう。
だから、仕掛けも受けも雑に見える。
クラッチしてから、仕掛けて、相手を見据えるまでが、一つの技。
欲を言えば、技に入る前の一呼吸、技を仕掛けたあとの一呼吸が、欲しい。
長州のサソリ固めが、好例。
仰向けにした相手の足をパタパタと折り畳んで、一呼吸。
ステップオーバーの途中で、また、一呼吸。
相手もこらえにこらえて、それをひっくり返したところで、ぐいっとひとにらみ。
歌舞伎なら、見栄をきるというところか?
この『間』があるから、技の説得力がある。

ホーク・ウォリアーのリフトアップ・スラムは、持ち上げてから、落とす前に半歩、体をずらす。
そうすることで、力強さに安定感が増す。
アルティメット・ウォリアーや殺人医師のリフトアップ・スラムは、持ち上げることに、注意がいって、落とし方が雑だから、バタバタしたふうに見えて、力強さが、半減。

また、ジャンボ鶴田や後藤達俊のバックドロップは、腰に手を回したあと、投げる前に『溜め』を作る。
一度沈み込み、持ち上げる動作をすることで、大きく魅せる。
テイカーさんやケインのチョーク・スラムも同類。
最近のレスラーで、見事な溜めと間をモノにしているのは、ランディ・オートン、ご存知、rKo。
あのフィニッシュ・ムーヴは、興業の最高の見せ場であり、数多いスタナー使いのなかでも、まさに、一線を画しているといえる。

人の目を引くために、素早い動きをし、高いところから、飛び降りる。
それはそれで、『面白い』かもしれない。
だが、それだけでは、やがて、飽きられる。
ただ、やみくもに技を出すのではなく、なぜ、その技を出すのか、なぜ、その技がフィニッシュたりえるのか、そのシチュエーションを作り上げるスキルがあれば、自分の技の数は、気にする必要がない、と、断言してしまおう。