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GEEKER GAME

不定期(?)でゲームの紹介をしていきます。懐かしいものから最新のものまで独断と偏見で選出!

コーエーの歴史三部作は「信長の野望」「三国志」それと「蒼き狼と白き牝鹿」ですが、「蒼き~」シリーズはあまりメジャーではないような気がします。三部作の中でも最もスケールの大きなシミュレーションゲームなんですけどね。

 これのプレステ版を買ったのはずいぶん昔で、モンゴル平原を大都市で埋め尽くしたあたりで放置していました。ところが最近スペインツアーの記事を書いていたところ、当時のユーラシア大陸は十字軍、イスラム勢力、モンゴル民族が互いに衝突していたのを再確認し、私もいっちょ世界制覇したろうかと思い立ちプレイを始めることにしました。

 かといって、普通にチンギスハーンでプレイするのも強過ぎて面白くありません。そこで世界では弱小だった日本から世界を狙ってみることにしました。当時の日本からは源頼朝の鎌倉政権か、東北地方の藤原泰衡(やすひら)の平泉政権が選べます。鎌倉政権は幕府樹立の直前ということで結構な勢力がありますが、それも面白くありません。それに私は平家の血筋(ホントかな?)なので、頼朝に肩入れするのも嫌です。というわけで平泉政権の藤原泰衡で世界を穫ることになりました(義経を追い込んだ人ではありますが…)。

 言うまでもありませんが、以下からは架空の歴史になります。人名・地名なども架空のものがあります。

 藤原泰衡はかなり平凡な能力です。国力もかなり小さいです。頼りになるのは、当時平泉にいた源義経と武蔵坊弁慶です。この二人はゲーム始めから配下になっています。特に義経は世界でもトップクラスの戦闘力を持っているので、裏切られないようにうまく使いこなしたいところです。そういえば弁慶義経(勘違いしていました)が大陸に渡ってチンギスハーンになった、という伝説がありましたね。

 世界には多くの強者達がいます。その中でも私(泰衡)が戦ってみたいのが、まずはもちろん草原の覇者チンギスハーン、イスラムからは敵にも慕われたアイユーブ朝のサラディン、そして十字軍からは世界最強の戦闘力を持つイギリスの獅子心王リチャード1世です。なんだか全く勝てる気がしませんが…。


ゲームスタート時(1189年)の世界の勢力図と我が分身の藤原泰衡です。
日本は右上に位置し、藤原泰衡の有する都市は△印の上の赤い□(平泉)一つだけです。
まずは源頼朝を倒し、日本を平定するのが最初の一歩でしょう。


こちらは平泉周辺のマップです(走査線の影響が邪魔ですみません)。
陸上の青い部分が平泉政権の勢力範囲で、東北と北海道くらいしかものに出来ません。
頼朝のいる鎌倉に都市が見えます。
それにしても日本の小さいこと…。

 最初の数年は平泉にいる有能な人材を発掘して彼らの忠誠度を上げながら、平泉周辺に街や設備を建設するしかありません。他に重要なのは子作りですが、すでに2人ほど妃の範子に産んでもらいました。あとなぜか琵琶法師がチベット出身の女性デクトリを連れてきたので、喜んで妃として迎え入れることにしました。二人とも元気な子を産んで欲しいです。

 

ゲームスタートは1189年ですが、その後数年間は国力の増強に注力です。首都平泉の勢力範囲は狭いながらも、東北と北海道に町や牧場を建設します。国王泰衡自ら町で有能な者をスカウトして武将として取り立て、宴を開いて忠誠度を上げていきます。そして村々から兵を募って戦の準備に入ります。

 東北日本はあっという間に開発が終わってしまいました。とりあえず源義経と武蔵坊弁慶に軍隊を率いさせて、鎌倉政権勢力下の町や施設を襲って国力の低下を狙います。その間に敵軍隊も何度か出てきましたが、義経と弁慶が力を合わせて何とか追い払いました。

 徐々に戦闘のコツをつかんできたので、この2つの部隊で鎌倉を攻めてみることにしました。というのも、兵隊を集めすぎて金と食料が全く無くなってしまっていたからです。敵部隊との連戦の後の鎌倉攻めだったのですが、一刻を争う事態だったので一か八かの勝負でした。

 城を攻めるにはまず城門を破壊しなければなりません。そしてその間にも頼朝軍は一方的に攻撃してきます。いくつかの部隊の犠牲のもとになんとか城門を破壊しました。何部隊か城に攻め込ませてみましたが、集中砲火によってすぐにやられてしまいます。こうなったら、敵が城から出てこないことを利用して、一撃離脱戦法をとります。自軍のターンでは城門から一マス離れた位置に部隊を移動させ、城門内にいる敵部隊に弓矢を放ち、すぐに遠くのマスに離れるという戦法です。

 この戦法をとってみると敵はサンドバッグ状態で、しかもこちらはノーダメージです。本来なら時間がかかるという難点がありますが、義経と弁慶の両軍がいるからこちらの手数も多く、さらに義経軍には1ターン内に弓矢で2回攻撃できるという能力があるため、頼朝軍の弱体化までさほど時間はかかりませんでした。また、敵城内の混戦によって、頼朝のいる第1部隊が前線に出てきてしまっていたこともラッキーでした。かくして1194年の冬に鎌倉は源義経の手に落ちたのでした。

 城内にいた敵武将はできるだけ平泉政権に登用しましたが、嫌がる者は解放しました。また攻めてくるかもしれませんが、その時はまた迎え撃つだけです。さらに北条政子が藤原泰衡の妃になりました。



 敵国王は登用できず、解放か斬首を選ぶことになりますが、源頼朝も解放することにしました。頼朝は依然として鎌倉政権下にある太宰府に逃げた後に力を蓄えるでしょう。決戦は九州です。それにしても頼朝の能力は高いです。藤原泰衡の能力は、政治51、戦闘57、知謀44で、頼朝に全く及びません。ところで「平家物語」ってこの時期に成立しているのでしょうか?



 藤原泰衡が支配する都市が二つに増えました。それにしても世界はあまりにも広いです。西欧ではイギリスのリチャード1世とフランスのフィリップ2世が何やら対立していましたが、リチャードを倒すのは平泉の藤原泰衡です!

 

 鎌倉を手に入れた際に、泰衡の兄の藤原国衡に鎌倉の領主になってもらいました。さらに北条泰時が泰衡の配下になりました。彼はまだ若いですが、かなりの政治力を持っているようです。太宰府が手に入ったら任せてみるのもいいかもしれません。

 さて義経と弁慶はさっそく太宰府に攻め込みました。水軍が隣接していたために、そちらの戦力から削らなければならなかったため、手間がかかります。やっと倒して城門を破壊して城内の敵を倒しても、部隊が次々に補充されてしまってらちがあきません。そのうちに10ターンが経過してしまって引き分けとなり、仕切り直しになってしまいました。

 さすがは頼朝、かなりの国力を備蓄していたようです。しばらくは太宰府の周囲に軍隊を配備して、兵糧攻めにしてやりました。そのすきに国力を増強しつつ、義経と弁慶は一旦鎌倉に戻って軍隊の再編成です。

 太宰府に戻った義経と弁慶はすぐに攻め込みます。頼朝は城の奥にいるようで、軍隊を率いているのは那須与一です。例によってヒット&アウェイ戦法です。城門を破壊する時にはいくらかのダメージは受けますが、十分な戦力差で城内に突入です。兵糧攻めの効果もあったらしく、敵部隊の補充がすぐに止まりました。こうして太宰府がついに平泉政権のものになったのでした。



 そしてまたこの画面。今回も解放してやりました。そのうちどこかでひょっこり出てくるかもしれません。那須与一を登用したかったのですが、なびいてくれないので解放しました。



 そして1198年の夏、鎌倉政権は滅亡です。今や日本は平泉の時代です! それにしても義経にしてみれば、平家を滅ぼした壇ノ浦からわずか一日程度の距離にある太宰府で鎌倉政権を倒すことになろうとは…。



 やっと藤原泰衡による日本平定です。ですが気を抜いていられません。なぜなら、太宰府のすぐ沖合に高麗の軍隊が近づいてきているからです。とりあえずそのうちの一つの軍隊を北条泰時の水軍で蹴散らしてやりましたが、もう一軍いるので守りを堅めておくことにしましょう。