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《ぎゃオッP!1号車 @ SUPRA!姫》で

おととし、5月に、

京都で、

2H単発テレビドラマの撮影の仕事が完了して、

1人で何も考えず、

遊びながら、仕事創りながら、

関西、中国、九州、四国、

瀬戸内海@小豆島、日本海@隠岐の島

と、


《ぎゃオッP!1号車》だったり、


フェリー だったり、


夜行高速バス だったり、


特急電車 だったり、




小豆島、大阪、隠岐の島 で、


イベントの、統括ディレクターと、舞台監督の仕事も創りながら、、



いっちきちーもんちきちー
(By土佐の幡多弁♪ @ 行ったり着たり。
      ⇒この言葉、カワイイ。(^O^)/)

時の流れにまかせ、あっちこっち、うろうろしながら、

時まかせ、11ヶ月の間、

西日本を移動してた時、

 6,16,2007 に

高知市の、太平洋直ぐ近くの高台で寝てて、

たまたま寝起きに

たまたま桂浜方面をボケーっと観てたら


 ⇒ 出てきた日ノ出! (^_-)-☆



オイラ的、最高のベストショット!\^o^/



この、


西日本11ヶ月間あてなくぶらぶらの終わりの頃、

2008年の1月1日~数日間は、

高知県足摺岬の

5~6000年前の古代巨石文明遺跡、

『唐人駄馬遺跡』の唐人石巨石遺跡近くの

世界最大らしいストーンサークル @ 公園にしちゃってる f^_^;


で、

(アバウトだぜ!( ̄▽ ̄;)高知足摺!)


1人、野宿してた♪ (^O^)/


楽しかった♪♪♪(^_-)-☆






オイラん家、蒲生家は、

お家を繋げる為、



 

蒲生玄(示豊)祖祖祖父様、(漢字読めん?f^_^;)

蒲生 翼 祖祖父様、

蒲生義男 祖父様、

蒲生寿子 祖母様も


みんな、


日本各地の、士族で御殿医の家から蒲生家に養子。



日本国の国家にも関係してたし、


血が繋がってナイナイから、


家族のあり方という発想が一般とは違う。



ある意味、

武家精神と、

血族ではナイ、


お家に対する心構えが濃ゆい!(ノ゚O゚)ノ (^_-)-☆




武家的に、


日本中色々なとこに住んでて、

武家、士族で、御殿医、医者の一族、

蒲生家。



会った事も、話した事もナイ?けど、

オイラの、ひー祖父様 は、

森鴎外サンと知り合いで、

日本帝國陸軍軍医中佐で退官して、

町の開業医をしてた

蒲生 翼 祖祖父様

の墓石は、墓石正面に、

森鴎外(森林太郎)サンの文字で?


    蒲生翼之墓


左側面に森鴎外サンによる 短い碑文 が掘られてるそーな。

オイラは、ほとんど覚えてナイ。f^_^;

近いうち、行こ♪ (^O^)/





オイラはまだ行った事ナイ、

昔(今も?)、岐阜大垣の、味噌&醤油の庄屋で、

芸術&画家の一族、

守屋家の、


話した事ナイけど、好きで、

個人的によく墓参りに行く、

だだっ広い、眺めイイ、鎌倉霊園の高台にある、


今でも観感じる


オイラん家、{横浜@ぎゃオッP!はうす}の主人の、


生前、


日本画家で


慶應大学大学院美術教授


慶應大学茶道部を創った、

守屋謙二 祖父様


の墓石には、墓石正面には名前は無く、



十字架ありのの、



  平 心



と守屋祖父様直筆で、

スッゲー、カッチョヨク(^_-)-☆描いてあります。



  平 心


って、

どーゆー事なん、、、??(゜Q。)??



守屋謙二 祖父様は、

武者小路千家 の現宗家のかたのお父様が、


慶應大学茶道部で、生徒?だったそーな。


そして、


美術のお弟子サン達がいらして。


第二次世界大戦が始まる前、


日本から出る最後の船で

祖母様と、


オイラのお袋と、


オイラは最近まで存在知らされなかった、


祖父様が後々勘当したオイラの叔父さんだった人、

を残し、





ドイツに絵画留学しに行ってしまったそーな!(ノ゚O゚)ノ


ヒットラーにも会ってるんかな?





まー、スゲー人。  f^_^;




お袋は、戦争おっ始まるのに、

家族みんな置いて、

ドイツ行っちゃった祖父様が嫌いだったそーな。


まー、そりゃそーかも。( ̄▽ ̄;)



んで、


多分、チャキチャキの江戸っ子で、

こちらは海軍の


日本帝國海軍軍医、中佐かな?の娘の

すーぱー箱入り娘だった(と昔言ってた)


お手伝いサンと一緒に嫁入りしてきた(ノ゚O゚)ノ

守屋春子 祖母様は、



生前、


「カソリックは、日本国の宗教ではなかったから、


 おじいちゃんの実家の人達には隠していたんですよ!」


と、

明治時代から


キリスト教カソリック信者だった守屋祖母様の影響?で、


最後あたり?、キリスト教カソリックになった、

仏教、哲学、日本画、西洋美術、とかとかを研究してた、

守屋祖父様。



守屋祖母様も、今は、守屋祖父様と一緒なんで、


オイラ1人、墓参り行くたびに、



  平 心



「 って、、、いったいなんじゃいな ??(゜Q。)??

 どーーーゆーーーぅ、事なん。。。(┬┬_┬┬) 」


、、、考える訳です。m(__)m


ですが、


「、、、、、まっ、いっか♪ (^_-)-☆ 」


と、帰る訳です。(^O^)/







この世の中に、




存在してた事、

生きていた事、

社会と、どんなしがらみがあったか、

どーゆーイキザマだったか、


 なんて、


時間が、だーーーっ(ノ゜O゜)ノと経てば、


いつか、

忘れ去られてしまうけど、




オイラは、

墓石創ったら、

       墓石正面に、 何描くのかな?



もしくは、



オイラは、墓石創るのかな?





もし、


墓石に生きた証(あかし)を刻むんなら、


蒲生義直 でも、

言葉でも、

絵画でも、



いつかの日に、

この世の中にあらわれる、

オイラの、孫や、曾孫や、曾曾孫あたりまでが観てくれりゃいいかな?




オイラは、


楽しんだし、

悩んだし、

愛したし、

苦しんだし、

怒ったし、

喜んだ。

無も、全も、あった。



沢山の事があった。

そして、

しあわせだった。



お前らは、

お前らの人生を、

お前ら次第、

自分次第で、しっかりと、生きろ!



っと! (^_-)-☆




オイラから、

次の世代への Message は、



蒲生家や、守屋家や、

祖母様家や、祖祖母様家や、祖祖祖母様家

蒲生家に養子に出した他の家や、

オイラに続く、先代以前の

血が繋がってたり、

血が繋がっていなくても、



スゲー沢山の御先祖様達から、


オイラへの ツヅクミライへの Message なのかもね。(^_-)-☆




私は、


楽しんだし、

悩んだし、

愛したし、

苦しんだし、

怒ったし、

喜んだ。

無も、全も、あった。



沢山の事があった。

そして、

しあわせだった。



お前らは、

お前らの人生を、

お前ら次第、

自分次第で、しっかりと、生きろ!




日本国快晴○(^O^)/


ちきゅう快晴○(^O^)/