昨日に引き続き、前田のえみ先生の『ポケモンみらくるワールド』です
【のえみ先生談】
週刊連載には及ばないと思いますが、毎月必ずフルカラーの漫画を1本描いて(小学一年生は必ずフルカラー。月によっては小二と2本)の月に3本の連載はかなりハードでした。『ドラクル』と『カービィ』2本の時は雑事も一人でこなし、食事も自炊や外食で何とかなっていましたが、それも厳しくなりました。
東京での一人暮らしで月3本の連載がキツくなり、この頃母が住んでいた大阪の家の近くに引越して、食事面の不自由を解消しようと引越す事に…。編集者達に大阪に引越す事を伝えても「僕達が大阪に行くので大丈夫ですよ」と言われて安心したのですが何故か結局、私が毎月東京へ通うことになりました。
大阪から東京まで毎月通って3人の編集者といっぺんに打ち合わせをして大阪に帰り、漫画を描く生活。若くて体力があったとはいえ漫画を描く仕事はキツいので辛かったですね。今は打ち合わせも原稿を送るのもメールで出来るようになり、地方で仕事がしやすくなりました。良い時代ですね。