司法書士のゲームブログ

司法書士のゲームブログ

大好きなゲーム等について長々と語るのが好きな司法書士のブログです

先月、月収(月商ではない)が100万円を突破した。

 

最初の頃は月30万をちょっと超える程度だったのだが、ある月を境にそれが60万になり、70万になり……と少しずつ増え続け、先月、とうとう100万の大台を突破した。

 

 

2024年9月が約82万、10月が99万、11月が89万、12月が98万(途中にある160,000は財布に入りすぎていた現金を預けただけで、収入ではない)、1月が58万、2月が74万、3月分はまだ反映されていないが約105万。

 

 

収入というのは自分が頑張った証のようなものだから、自慢したいのだが、知人や友人にこんな話をしても恐らく妬みや反感を買うだけで、あまりいい結果にならない。なので、ここでこっそり自慢することにした。

 

まあ、世の中にはもっと稼いでる人がごまんといる訳で、上を見たらキリがないのだが、会社勤めしていた頃はこんなに稼いだ事がなかったので、素直にうれしい。

 

これからも無理のない範囲でこの収入を維持、そして増やしていきたいと思う。

 

 

 

 

■最近欲しい物

 

せっかく金を稼いでも、使わなければ意味がない。

 

しかし、(自分で言うのもナンだが)自分はかなり金に頓着がないほうで、例えどれだけ貯金があっても欲しい物がなければ何も買わないし、逆に、どうしても欲しい物があると貯金がカツカツでもすぐ買ってしまう。

 

そんな訳でここ1年ぐらいは金が貯まる一方だったのだが、最近、ちょっと欲しい物が出てきた。

 

 

 

■スマホ

 

自分が今使っているスマホは5年前に買ったものなので、機種としてはちょっと古い。

 

SNSはやらない、ゲームはCS機かPC、ネットサーフィンもPCを使う。スマホが生活の中心に『ない』人間なので、古いスマホでも全然平気なのである。

 

そんな自分がスマホを欲しいと思ったのは、今年の正月。旅行で富山に行ったのだが、雪で覆われた見事な立山連峰が目の前いっぱいに広がっていた。

 

もちろんすぐ写真を撮ったのだが、自分のスマホが古すぎるせいで、撮った写真がなんかショボい

 

 

これが自分の撮った写真。山が遠すぎて何を撮ってるんだかよく分からない。

 

かといってズームすると余計に画像がボヤけるし、そもそも2倍ズームまでしかできない。


目の前いっぱいに広がる立山連峰は本当に素晴らしかったのに、この写真ではせいぜい「なんか遠くに雪山があるなあ」レベル。

 ⇒ 実際に生で見る立山連峰の美しさはこんなもんじゃないので、興味のある人はぜひ「立山連峰」で検索してみてほしい。

 

ところが隣の人を見ると、4倍、5倍ぐらいズームしていながら、自分よりクリアな写真が撮れているのである。

 

正直めちゃくちゃ羨ましかったし、悔しかったし、勿体ないと思った。せっかく富山まで来たのに、この絶景を記録に残せないなんて……。

 

自分はそんなに頻繁に旅行するほうではないが、旅行自体は好きだし、旅行先で美しい風景を撮るのも大好きだ。

 

だから、この正月旅行は終始自分のスマホの性能不足を痛感した旅行でもあった。

 

 

そういう訳で、今新しいスマホが欲しい。とはいえ特に最新機種へのこだわりはないので、カメラの性能さえ十分なら型落ちの機種でもいい。

 

あるいは、デジカメを買うという手もある。安めのデジカメなら5万前後で買えるし、性能もいい。

 

ただ、デジカメは荷物が1つ増えるというデメリットが痛い。外に出るときはなるべく身軽でいたい自分にとって、常にバッグに入れて持ち歩かないといけないのはけっこう面倒くさい。

 

それを考えると、「他の事にも色々使えて、ポケットに入れて持ち運べる」スマホはやっぱり強い。

 

そこで、最近ちょいちょいスマホの情報を集めているのだが、今いちピンと来ない。自分がスマホに対するこだわりが薄いせいか、正直どれも似たり寄ったりに見える。

 ⇒ あるいは、細かいところに拘らなければどのスマホも本当に似たり寄ったりなのかもしれないが。

 

最初に言ったように自分はスマホが生活の中心に『ない』人間なので、そんなに急いで買い換えたい訳ではない。

 

ただ、夏にはまた旅行に行く予定(今度は鳥取・島根に行く予定)なので、それまでには買い換えておきたいなあと思う。

 

 

 

 

■スイッチ2

 

4月2日、スイッチ2の情報が公開された。

 

 

 

 

発売早すぎじゃね?本体詳細とロンチ発表から2ヶ月後に発売って……今までこんなに早い事あったっけ?

 ⇒ もちろん、早く遊べるに越したことはないので、嬉しいサプライズではある。

 

 

開発者インタビューを見ると、今回は新しい操作体系の開発(DSのタッチパネルやWiiリモコンのような)よりも、性能の底上げを重視しているらしい。

 

スイッチの発売から約8年、当時ですら既に高性能なゲーム機ではなかったので、最近は流石に厳しいところが目立つようになってきた。なので、今回の「性能」に重きを置いた新ハードの登場は素直に嬉しい。

 

価格についても、「本当にギリギリまで頑張ったんだろうな」と思う。本当は多言語対応モデルの7万円が、海外と足並みを揃えた本来の値段だったと思うのだが、初代スイッチが元々3万円台だったことを考えると、いきなり倍以上の値段というのはハードルが高い。

 

日本語専用モデルを出すことで海外の転売ヤーを牽制しつつ、国内向けになるべく安価で提供する。頭いいなと思う。

 

まあ、自分はFEが出ることがほぼ確定している以上10万だろうが20万だろうが買うので、あまり関係ないのだが、安いほうが人にも勧めやすいし、自分も買いやすい。

 

抽選の応募条件も満たしていたので、早速マイニンテンドーストアで予約してきた。どうか当選していてくれ。

 ⇒ それにしてもこのサイトの重さは何なのか。予約するまでに数時間かかったぞ。

 

 

 

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自分含む多くのゲーマーから好意的に受け止められている(ような気がする)スイッチ2の値段だが、ゲームにあまり興味のない人からするとどうなんだろう。

 

ゲームに興味のある自分からすれば、今の状況、この性能でこの値段というのは「ギリギリまで頑張った」んだなと分かる。
 
しかし、ゲームにあまり興味のない人からすれば単純に「初代スイッチから2万近く値上がりした」という見方になる訳で、「安い」という印象にはなりにくい。スイッチ2が歴代の任天堂ハードの中でもかなり高めというのも、それに拍車をかけている。
 
それが顕著なのが自分の友人で、スイッチは買ったが、スイッチ2は「5万を超えたら買うことはない」と言っていた。
 ⇒ スイッチ2は49980円なので、本当にギリギリ。スイッチを買うときもかなり渋ってようやくという感じだったので、今回は買うかどうか……。
 
また、初代スイッチはLiteが2万円前後と安価な事もあって、子供が複数人いる家庭では「1人に1台」、親も遊びたければ「さらにもう1台」なんて事もあった。
 
しかし、5万円する玩具を「1人に1台」というのは、ハードルが高いだろう。
 
スイッチ2では、Liteのような廉価版を出し、さらにその値段を相当頑張らないと、初代スイッチのようにはならないかもしれない。

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ところで動画の中ではスイッチ2のソフトについても色々と紹介されたのだが…………個人的にはちょっとイマイチだったかもしれない。

 

任天堂のロンチタイトルがマリオカートとひみつ展しかない、というのも物足りないし、その他のソフトについても既に出ているゲームの移植やバージョンアップのような物が多く、「これは!!」と思わせてくれるようなタイトルがほぼなかった。

 

自分としてはFEの新作に期待していた訳だが、それはまあ希望的観測だったとしても、マリオ・ゼルダ・スプラ辺りが1つも新情報ナシというのは寂しい。

 ⇒ ここでいう「マリオ・ゼルダ・スプラ」とはもちろん「マリオカート」や「ゼルダ無双」の事ではなく。マリオオデッセイの発売が2017年、ティアキンが2023年、スプラ3が2022年。ゼルダはともかく、マリオとスプラは何か新情報があっても良かったんじゃないかと思う。

 ⇒ あと個人的に新情報を期待していたのは「世界樹の迷宮」。一体いつまで胎動しているんだろうか?

 

 

 

 

 

 

■ゲームキューブ特典配信

 

ゲームキューブLOVE勢としては、これが一番テンション上がった。

 

というか、GCタイトルの配信はWiiUの頃から言われていた(何ならWiiの頃から話は出ていた?ちょっと記憶が曖昧だが)ので、WiiU→スイッチ→スイッチ2と3世代も待たされた自分としては本当に、本当に、本当に待ち長かった。

 ⇒「加入者特典を新たに用意しました」と言われた時点で「GCか!?GCか!?」という状態だったので、紫の立方体が見えた瞬間「あ~~、やっと来た!」とリアルに声出た

 

 

この瞬間声が出た。

 

 

GCは名作ぞろいなので、これがあれば大分繋げる。久々に風タクも遊びたかったし。

 

逆に、任天堂のロンチタイトルが少ない分、こっちで数を稼いで欲しかった。これから増えていくとはいえ3つは少ない。

 

今後配信予定のタイトルに蒼炎の軌跡が含まれているのも見逃せない。今遊んだらすごいテンポ悪そうだけど……。

 

 

 

 

自分が一番好きなFEだし、アイクの名前は知っていても原作はやった事ないという人が多そうなので、この機会に遊んでくれる人が増えるといいなあ。

 

あと気になったのはポケモンコロシアム。これ、GBAに接続できないと遊べたもんじゃないと思うのだが、どうするんだろうか?

 

ストーリーモードで遊んで欲しいという事かもしれないが、捕まえたポケモンを送るにもGBA接続が必要だし、スタジアムと違ってレンタルポケモンもいないし。

 

 

とりあえず、当時の感覚で遊ぶためにもGCコンの購入は必須かな。

 

 

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話は逸れるが、昨年、ペーパーマリオRPGのリメイクがスイッチで発売された。

 

GC版をさんざんやり込んだので自分は買わなかったのだが、売上もよく、また購入者からの評価も高かったらしい。

 

原作は間違いなく名作だったし、何なら自分はRPG系マリオの最高傑作だと信じて疑っていないので、1ユーザーながらこの評価はとても嬉しかった。嬉しかったのだが、心のどこかで「あんまり売れないで欲しいなあ」と思ってしまっている自分がいた。

 

元々、GCソフトの多くは完成度がとても高く、またグラフィックも現在のレベルにかなり近付いているので、今そのまま遊んでも楽しめるものばかりである。

 

特にペーパーマリオRPGのようなフォトリアルでない、デフォルメされたアートスタイルの作品は、GC程度のグラフィックでもほとんど古臭さを感じない。

 

そこにきてこのペーパマリオRPGがバカ売れしたとなると、任天堂が「なんだ、GCのリメイクでまだまだ擦れるじゃん!」と判断して、GCタイトルの配信がさらに先延ばしにされるのではないかと不安だったのだ。

 

だから、ペーパーマリオRPGのリメイクが売れた事それ自体は嬉しいけども、今後もずっとこの流れが続くのは嫌だなあ……と思っていた。

 

しかし実際はスイッチ2でGCソフトの配信が決定し、その不安は杞憂だったようだ。

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■カービィのエアライダー

 

エアライドが好きだったので、これも勿論注目タイトル。「エアライダー」がどういうゲームになるかは分からないが、初代エアライドはカービィとは思えないほどスタイリッシュなゲーム。知らない人がメニュー画面のBGMを聞いたら「え?これほんとにカービィの曲?」となるだろう。この辺の雰囲気はスマブラDXにも通じるものがある。

 

しかし、「カービィのエアライド」とは言うものの、自分の中でこのゲームは「カービィのシティトライアル」である。

 

3つのモード(エアライド・ウエライド・シティトライアル)が用意された「エアライド」だが、遊んだ時間は全く均等ではなく、恐らく9割以上シティトライアルで遊んでいる。

 ⇒ というかウエライドなんて明らかに「おまけ」みたいなモードだったのだが。ウエライドを一番遊んだという人を未だかつて見たことがない。

 

それぐらいシティトライアルが面白かったという事でもあるし、エアライドはマシン差が大きすぎてレースゲームとして遊ぶにはちょっと大味すぎたという事でもある。同時に4人までしか走れないので置いていかれるとすげー寂しいし。

 

「エアライダー」ではオンライン対戦にも対応するだろうから、この辺の調整にも期待したい。

 

そしてこのゲームのメインと言っても過言ではない「シティトライアル」だが、これもリメイクでどうなるんだろう。

 

もちろんこちらもオンラインに対応するとは思うのだが、あの面白さは、友人同士で遊ぶからこそだったとも思うのだ。

 

自分がコツコツ育てたマシンを破壊され、集めたアイテムを横取りされ、他のマシンを探して彷徨い歩き、挙句の果てに他人のマシンで吹っ飛ばされる……友人同士だから笑って済まされた事でも、オンラインだと冗談じゃ済まされない気がしてならない。

 

そんな訳で期待と不安が入り混じる新作エアライド。とりあえずルインズスターは絶対続投してください

 

 

 

■Drag×Drive

 

任天堂から発表された完全新作タイトル。

 

スイッチ2のJoy-Conにはマウス機能が搭載されているので、それを最大限利用したゲーム……だと思うのだが、うーーん、正直あんまり面白そうに見えなかった

 

操作方法がかなり独特(マウス2刀流)なので上手く扱えるのか?という事は一旦置いておくとしても、絵面が地味すぎたのが個人的には致命的。

 

フィールドが妙に暗いし、ゲームにスピード感がないし、操作するキャラもあんまり可愛くないし。初めてスプラを見たときのような「これ、面白そうじゃん!?」感が全然ない。

 

というか、今までの任天堂だったらそれこそスプラのように自機にキャラクター性を持たせ、独自の世界観を構築し、新しいIPにまで昇華していたと思うのだが、本作にはそれがないので本当に地味。なんか試作品っぽさがある

 

いや、完全新規タイトルなのでできれば期待したいのだが、でも本当に……。

 

 

 

■ストレージ容量

 

ソフトではないが、個人的にちょっと気になった点。

 

スイッチ2のストレージ容量は、初代スイッチの8倍に増えているらしい。32 × 8でなんと256GB!!……って少ないじゃん

 

そもそも、スイッチの32GBはあまりにも少なすぎた。ちょっと大きめのソフト2~3本入れたらもうパンパンだった。だからそれが8倍になったとしても、やっぱり少ない。

 

考えてみれば、PS4proのストレージは1TBあったが、それでも全然足りず、ソフトをいちいち削除したりダウンロードしてやりくりしていた。32GBで足りる訳がないのである。

 

ただ幸い?な事にスイッチはサイズのデカいソフトがそんなに多くなかったので、512GBのMicroSDを買えば、何とか事足りた。

 

しかし、スイッチ2は性能の大幅アップを謳っている以上、ソフトのサイズも相応に大きくなっているだろう。256GBなんてあっという間に使い切ってしまうに違いない。

 ⇒ 例えばスイッチ2ではエルデンリングの移植が発表されたが、PC版エルデンのサイズが60GB。

 

それを見越してか、任天堂も自社のストアで公式のMicroSDカードを販売している。お値段6980円で、256GB……ってやっぱり少ないじゃん

 

256GBが512GBになったところで、相変わらず少ない。というか、スイッチのデータを「お引越し」したらもう一杯になってしまう。

 ⇒ スイッチ2では、スイッチで使えていたMicroSDが使用できないというのが痛い。

 

スイッチ2で増大するであろうソフトのサイズを考えたら、ストレージ容量は最低2TB欲しい

 

ただ全員が全員、自分みたいに大容量を必要とする訳ではないから、本体の価格を抑えるためにも本体の内蔵ストレージは最低限の256GBで、というのは理解できる。

 

しかし追加で購入するストレージに関しては、様々なニーズに応えるためにも、よりサイズの大きなものが出てきてほしいと思う。

 ⇒ 調べたところ、現状1TBが最も大きいサイズらしい。でもそれすらどこにも売ってない……。

 

 

 

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元々、自分がダウンロードソフトを購入するのは「入れ替えの手間がないから」である。

 

中古にゲームを売るという事をしない人間なので、DL版のほうが色々とメリットが大きい。

 

ところがMicroSDのストレージ容量が小さいと、1つのカードに全てのゲームを収めることができず、やりたいゲームに応じてカードを入れ替えなければならない。これでは全く本末転倒である。

 ⇒ しかも、カードの枚数が増えると「どれに何を入れたんだっけ?」というのが一目で分からなくなり、その確認のためにカードを入れ替えなければならないという有様。

 ⇒ だから、PS4proでやっていた「ソフトを削除したりインストールし直したりしてやりくり」というのも、本当はしたくない。ソフト入れ替えの手間がないのがDL版のメリットなのに、遊ぶたびにソフトをインストールし直したりしたら、これまた本末転倒である。

 

だから、理想を言えばデータは容量の大きなものに、1つにまとめて管理したい。

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■PS5

 

は、もういいかな。以前ちょっと欲しいと思っていた時期もあるのだが、結局本体を買うには至らず。

 

「ハードというのはどうしても遊びたい『ソフト』を遊ぶために仕方なく買う箱」という言葉があるが、これは本当にその通りだと思う。

 

どんなに「性能の高さ」や「コスパの良さ」をアピールしたところで、遊びたい「ソフト」がなければハードを買おうとは思わない。ゲームは生活必需品ではないのだし。

 

それこそ自分でいえばFEのような。今ある大抵のゲームはスイッチかPCで遊ぶことができ、「本体ごと買おう!」と思わせてくれるだけのパワーがあるソフトがPS5にはなかった。せめてブラボ2でもあれば全然話は違ったと思うのだが。

 ⇒ とか思っていたら、スイッチ2のほうにブラボみたいなゲームが発表されてるし……。

 

そうこうしている内に、本体がどんどん値上げ。最初は5万5千円だったPS5が、気が付けば8万円。最初の値段より2万5千円も高い。

 

ふつう、こういうハードというのは時間が経つごとに「型落ち」になるのだから、安くなるものである。それをどんどん値上げしていくとは何事か。

 

もちろん、色々な事情が絡み合っての値上げだという事は理解している。理解はするが、消費者からすればそんな事は知ったこっちゃないわけで、上乗せされた2万5千円のぶんだけ純粋に心理的ハードルは高くなる。

 

まして、自分のように今PS5を持っていない人というのは最初5万5千円だった時に買おうとしなかった「PS5欲の低い」人なわけで、そんな奴が8万円になったPS5を欲しいと思うかと言えば、まあ思わないよね

 ⇒ PS5は初期に転売が横行しすぎて全く手に入らなかったという事情はあるにせよ。

 

 

 

 

■欲しいゲーム

 

欲しいゲームはある。というか、「ちょっとやってみたいなあ」程度のゲームであれば常に、大量にあるのだが、それらを全て買っていたら積みゲーがどんどん増えてしまうので、気になったものを少しずつ買っている。

 

最近、ちょっと文字読むゲームやりたいなという欲求が強くなってきたので、スイッチでオススメのADVを検索してみた

 

で、2つのゲームを買ってみた。1つは「グノーシア」。もう1つは「ファタモルガーナの館」。どちらも人気上位(1ページ目)に表示されていたゲームである。

 

 

 

■グノーシア

 

 

いわゆる人狼ゲーム。人狼はボードゲームで遊んだことがあるのだが、自分は演技が下手すぎて面白さがよく分かっていなかった

 

人のときと狼のときで反応が違いすぎて、一瞬で見破られる。「矛盾のないよう相手を騙す」とかそういうレベルに達していない。喋ったら即バレる。

 ⇒ でも、(人狼をやった人なら分かると思うが)黙っててもバレる。

 

しかし、ゲームならコマンドを選べばいいだけなので、演技の下手さは関係ない。

 

正直、推理ゲームとして人狼を楽しめたのはこれが初で、「人狼ってのはちゃんとやるとこんなに面白いのか!!」と感動した。150周ぐらい一気に遊んだ。

 

 

絵はけっこう癖が強めだが、作品の雰囲気に合っていると思う。

 ⇒ 周りのほとんどが宇宙人なので、極彩色のハデハデな服装なども「そういうもん」としてすんなり受け入れられる。

 

合間合間でイベントが挟まれたり、ストーリーが進行したりするものの、ノベル系というよりはがっつりゲームなので、「文字読むゲームやりたい」という自分のニーズに合っていたかと言われると微妙だが、面白かったので無問題。

 

唯一の不満は、イベント回想がないこと。CG回想はあるのに。

 ⇒ しかも、そのCG回想を見る方法が妙に手間い。

 

自分はイベント回想があると頑張って埋めようとするタイプなので、これがあったらもっとやり込んでいたと思う。そうでなくても、ゲーム中に色々と印象的なイベントが起こるので、クリア後にもう一度振り返りたかった。

 

 

そしてこのゲーム、2019年に発売されたものなのだが、なんと今年10月にアニメ化するらしい

 

 

 

 

たまたま買ったゲームが、6年越しにアニメ化。そんな偶然ある?と思ったが、もしかするとアニメ化すると聞いて「原作もやってみよう!」という人が増え、その影響で人気上位に表示されていたのかもしれない。

 

自分もPVを見てみたのだが、これ他のキャラもちゃんと出てくるんだよね??

 

PVには5人しか出ていないが、他にも個性的なキャラが多いし、5人だけだと話が広がらないし(まさか1ループだけやって終わりって事はないだろうし)、多分それはPV第2弾以降で発表されるのだと思う。

 

放送はまだ半年先だが、早くも楽しみが1つ増えた。

 

 

 

■ファタモルガーナの館

 

 

こっちは現在進行形でプレイ中。以前友人から勧められたことがあるので、タイトルだけは知っていた。

 

また、こちらはいわゆる「ビジュアルノベル」なので、がっつり文字読む系のゲームである。

 

いま進行度何%なのか分からないが、多分3~4割ぐらいだろうか?

 ⇒ 分からないのだが、マルチエンディングが8つあってその内3つが埋まったので多分。

 

物語もそろそろ佳境に入り始めている頃だと思うのだが、今のところあんまりハマれていない

 

暗かったり、グロかったり、胸糞悪い話が続いていて、単純に読んでいてあんまり楽しくない。

 

「序盤は退屈」みたいな話も聞いていたので、一応我慢して読み進めてはいる。が、ここから雰囲気がガラッと変わるようにも見えないのだが、大丈夫だろうか……。

 

まあ、クリア前にあんまりああだこうだと言っても仕方ないので、とりあえず進めてみようと思う。クリアしたら印象が180°変わるかもしれないし。というか、そうであってくれ。

 

最高でした

 

 

ハリウッドのギャレゴジから始まり、シン・ゴジラ、キングオブモンスターズ(KoM)とここ10年で次々と傑作を生みだしているゴジラシリーズだが、間違いなくここに並ぶ作品の1つだったと言えるだろう。

 ⇒ ちなみにその1段下にゴジラVSコング、さらにその1段下に映画アニゴジ1・2が位置している。アニゴジ3はさらにその3段下ぐらいか。

 

 

この映画で印象的だったのは、自分が「こういう映画になったら嫌だなあ」と思っていたものがそのまま出てきて、しかもそれがどういう訳か滅茶苦茶面白かったという事である。

 

自分の中で何となく出来上がっていた「面白くないタイプのゴジラ」像。そこに属するはずの映画なのに、そのマイナスイメージを覆すほどの面白さ。「こういうゴジラ映画でも面白くできるのか」と、認識を改めさせられた。

 

 

 

 

本作は一言でいえば、史上最も人間ドラマ部分の完成度が高かったゴジラである。

 

もちろんバトル面での面白さ・迫力も十二分にあり、「とにかくゴジラが大暴れしてくれればそれだけで満足!」という自分のような人間もキチンと楽しめる内容なのだが、それだけではない。

 

むしろ普段ゴジラを観ないような人、「ゴジラが暴れて何が面白いの?」と感じる人にも勧められる内容で、より懐の広い作品になっている(実際、自分も普段ゴジラなど全く興味のない母に勧めた)。

 

 

また、本作はゴジラ映画で最も海戦に力を入れている作品でもある。

 

ゴジラといえば、海からやってくる事こそ多いものの、基本的に海では足止め作戦ぐらいしか行われない。

 

本格的なゴジラ迎撃作戦は陸に上がってからであり、ゴジラの大暴れも、上陸以降が本番というものが多い。

 

ところが本作はガッツリ海戦メインであり、最終決戦も海上で行われる。陸上での大暴れもあるにはあるが、そんなに尺は割かれていないし、ゴジラも気が付くと海に帰っている。

 

 

立案されたゴジラ討伐作戦が割と現実的ですんなり納得できたのも印象的か。

 

ヤシオリ作戦のようなぶっ飛んだ内容でもなく(いや、あれはあれで非常に面白いのだが)、科学的な考察はともかく理論的には「確かにこれなら人間の力でも何とかなるかも」と思えるもので、作品のリアリティ向上に一役買っている。今回ゴジラの戦闘力がデフレ気味なのも、それに拍車をかけている。

 ⇒ 水島四郎(小僧)が出てからの展開はちょっとご都合感強めだが。とはいえ彼の見せ場を作る必要もあったし、これぐらいはご愛嬌だろう。

 

 

 

さて、そんな「傑作」評価の本作ではあるが、初めて予告動画を観たときの期待度は決して高くなく「期待半分、不安半分」という感じだった。

 

 

***【余談】**************************************

 

しかし思い返してみると、ゴジラって予告動画を観た時点ではいつも不安を抱いている気がする。

 

シン・ゴジラの時は人々がギャーギャー騒ぎながら逃げ惑うだけで「これで一体何を期待しろと?」と言いたくなる内容だったし、

 

KoMの時も(20年前にはとっくに語り尽くされたような)古臭~い思想を学者がペラペラと語り続けて「ひょっとしてゴジラが環境保護団体のプロパガンダにされちゃうんじゃ……」と嫌な予感しかしなかった。

 

しかし蓋を開けてみればどちらも名作だったわけで、ゴジラ映画の面白さは予告だけでは判断できない、という事だろう。

 

まあ、予告で抱いていた不安がそのまま的中してしまった「ゴジラVSコング」やアニゴジという作品もあるので、打率100%という訳ではないのだけど……。

 

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自分が抱いた不安、それは一言でいえば「感動路線だけは止めてくれ」という事である。

 

本当に、それだけは絶対に避けてほしかった。

 

というのは、「ゴジラ」と「感動」という2つが、それこそウナギと梅干しレベルで食い合わせの悪い、最悪の組み合わせだと思っていたからである。

 

まあこれは、邦画全体のレベルの低さというか、「微塵も面白くないお涙頂戴映画」に辟易されられている事による一種の被害妄想、偏見も含まれているかもしれない。

 

本当に、安易な感動路線に走ろうとする、安っぽくて退屈な邦画の何と多いことか。

 

そういった映画の共通項として、まず脚本も演技も「わざとらしい」。そしてその手の映画を見分けるのも簡単である。そういった映画は大抵において「叫びすぎ」だからだ。

 

作り手側は盛り上げるつもりで叫ぶシーンを入れているのだろうが、ちょっと考えれば分かるように、日常で叫ぶ場面などそうはない。大人なら年に1回あるかないかだろう。

 

それなのに安易に叫ぶシーンなど入れるものだから、「なんでこいつはこんなに叫んでるんだ?」と、盛り上げるどころか逆に白けた空気が漂う。酷い場合は薄ら寒さに鳥肌が立つ。

 

その点、予算が潤沢にあるハリウッド映画はちゃちな感動話で尺を稼ぐ必要もないので、退屈せずに済むことが多い。せいぜい申し訳程度のラブシーンが挟まれる程度で、その意味では見ていて「安心できる」。

 

 

いい加減脱線しすぎなので話を戻すが、そんな「お涙頂戴映画」に嫌気が差している自分としては、ゴジラとそれを組み合わせることだけは止めてほしかった。

 

だいたい、前提として自分は「ゴジラを観に」来ているのである。俳優を観に来ているのでも、感動話を観に来ているのでもない。

 

それなのに、しょーもない人間ドラマでゴジラの尺が奪われようものなら「そんな話はど~~~でもいいからさっさとゴジラを見せてくれ!」と思うのも当然である。

 ⇒ また、そういった邦画にありがちな要素を悉く排除した映画がどれだけ面白くなるかは、シン・ゴジラの例を見れば明らかである。

 

 

だが、本作の予告を見ると嫌な予感しかしない。いかにも感動系になりそうな「きな臭さ」を感じる。

 

 

 

 

そもそも舞台が戦後すぐの日本である。シン・ゴジラやハリウッドと違って、ゴジラに対抗できる戦力がほとんど残されていない。という事は、必然的に人間ドラマに割かれる尺が長くなるのではないか?

 

しかも監督はあの「ドラ泣き」で有名な山崎監督である。

 

友人は、同監督の「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の評価がすこぶる悪かったらしく、そこも不安に繋がったようだ。

 

自分はドラクエを観ておらず、「鎌倉ものがたり」が好きだったのでそんなに悪印象はないのだが、とはいえやはり「ハートフル系に強い監督」のイメージであり、ゴジラとの相性は良くないのではないかと思っていた。

 

予告にはバッチリ叫ぶシーンも映っているし、「またこういう映画かよ……」と嫌な予感がヒシヒシした。

 

 

 

それが、蓋を開けてみればこれほどの傑作なのだから、本当にゴジラ映画は分からない。というか、ゴジラと感動系って実はそんなに相性悪くないのか?

 

元々、自分も感動系の映画が嫌いではない。涙腺ユルユル人間だし、いい映画を観るとボロボロ泣いてしまう。

 

このマイナスワンでも何度も「うるっ」ときたし、終盤では「ほろり」とさせられた。というか、人間ドラマのシーンでは基本泣いてたと思う(笑)。


例の叫ぶシーンも、「確かにこの場面なら叫んでもしょうがないよな」という納得度の高いもので、観客側の空気を白けさせるものではない。

 

どうやら、自分の中で凝り固まっていた「ゴジラと感動系は相性が悪い」というイメージは、「日本のお涙頂戴映画はつまらない」という先入観から生まれた偏見に過ぎなかったようだ。

 ⇒ まったく関係ないが、先の「ウナギと梅干し」の食い合わせも、昔から言われていて何となく悪いイメージがあるが、最近は考え方が改められていて医学的・栄養学的にも全く問題ないらしい。いや、まったく関係ないのだが

 

いやしかし、まさか、ゴジラ映画でこんなに感動してしまうとは。今までゴジラ映画に人間ドラマなんて蛇足なだけだと思っていたのに……。

 

まあでも、今後もゴジラ映画を感動路線にして欲しいかと言われたら、今回が奇跡の完成度だっただけで、やっぱりそれはご免被りたいと思うのだが(笑)。

 

 

 

その他、色々な感想。

 

 

■熱線

 

シン・ゴジラともハリウッドともアニゴジとも異なる、また新しいタイプの放射熱線である。火炎放射でもレーザービームでもない、単発型の熱線とでも言うべきか。

 

最近、ゴジラの熱線シーンが「映像屋の腕の見せ所」「最大の見せ場」のような立ち位置になりつつある気がするが、それはともかく、さすがVFX制作者として名高い山崎監督であり満足度は非常に高い。

 

海中が青白く光っただけでワクワクするし、陸上での熱線シーンはしっかり尺を割いて観客のテンションを否応なしに高めてくれる。

 

歴代でも間違いなく上位に入るカッコよさの熱線だと言えるだろう。

 

 

 

■ゴジラの弱さ

 

先ほども言ったが、今回、戦後すぐの日本という舞台の戦力不足を鑑みてか、ゴジラの戦闘力が大幅にデフレしている。

 

まずスペックから言って、身長50.1m・体重2万トン。KoMのゴジラが身長119.8m・体重約10万トンであった事を考えると、半分以下の体躯でしかない。

 ⇒ ちなみに、序盤では放射性物質を浴びて巨大化する前のゴジラも出てくるのだが、こちらはもっと小さく、最初見たとき「ゴジラ小っちゃ!!」と思ってしまった。

 

耐久力も正直高くなく、人間の武器が割とふつうに通用する。

 

ゴジラ討伐までを描く作品としてはあまりゴジラのスペックを盛るわけにはいかないし、デフレも止む無しだろう。

 ⇒ たとえば今回の海神作戦でギャレゴジを倒せるかと言われたら、それは無理だろう。

 

最近のゴジラは作品を重ねるごとに設定がインフレしていったが、そこに歯止めがかかった形とも言える。


 

もちろん、歴代ゴジラと比べて弱くなったからといって、作品がつまらなくなった訳ではない。

 

むしろ戦後日本という乏しい戦力で立ち向かうには「ベストな強さ」であり、作中では紛れもなく圧倒的な脅威として描かれているので、「弱っちいゴジラ」という印象はない。


やはりその作品に応じて「ちょうどいい強さ」というのがあるのであり、適当にゴジラのスペックだけ盛れば映画が面白くなる訳ではないという事である。どの作品がとは言わないが

 

また、マイナスワンのゴジラの特徴として人間をハッキリ認識し襲い掛かってくるというものがあり、ゴジラの「恐ろしさ」という点ではむしろ従来作より強化されている。

 

 

***【余談】**************************************

 

これと対称的な映画に「ゴジラVSコング」がある。

 

ギャレゴジ、KoMの続編であり、この2作を愛してやまない自分としては、もちろん公開してすぐ観に行った。

 

観に行ったのだが、なぜか前2作ほどハマれなかった


映像は相変わらずド迫力のハリウッドクオリティだし、実際自分も字幕と吹き替えで2回観に行ったにも拘わらず、である。

 

2回観ておいて何故かレビューを書く気にもなれず、自分でも不思議だったのだが、最近ようやく理由が分かった気がする。

 

要するに、自分が観たかったのは「圧倒的に強い主人公としてのゴジラ」だったのだ。

 

ギャレゴジ、KoMのゴジラは間違いなくこの条件を満たしている。

 

しかしゴジラVSコングはどうか。あれはどちらかというと「コングが主人公」だったと思う。女の子と意思疎通ができるヒーローポジションだったし、地底探索など明らかにゴジラより活躍シーンが長い。

 

一応、「ゴジラVSコング」というカードだけを見ればゴジラの勝ちと言えなくもない展開だったが、出番や描写の質、最後の美味しいところもコングが持っていくなど、「試合に勝って勝負に負けた」ような内容だった。

 

「圧倒的に強い主人公としてのゴジラ」を求めて映画を観に行った自分としては、これでは到底物足りない。

 

ゴジラがメカゴジラ相手に苦戦する展開も気に入らない。メカゴジラといえばシリーズお馴染みのキャラクターであり、ゴジラを圧倒する事も多いのだが、やはりあまり好きになれない。

 

他の怪獣相手ならいざ知らず、メカゴジラに苦戦するという事は「人間の技術でも割とどうにかなってしまう」という事に他ならないからだ。

 

スペックはマイナスワンのゴジラより上でも、コングに苦戦するわメカゴジラに苦戦するわで、到底「圧倒的に強い」とは言えないゴジラだった。

 

しかも(メカゴジラを出すためとはいえ)人間側の技術力は明らかに現実離れしているし、作品のノリは悪い意味でハリウッドらしい軽薄さ、俗っぽさが出てしまっているし、ギャレゴジの時の静謐さやリアリティはもはや欠片もない

 ⇒ 予告映像で「イェーイ!カモーン!」とやたら軽い音楽が流れ始めた時点で嫌な予感はしていた。

 

まあ、映像は豪華なのでポップコーンムービーとしての優秀さは相変わらずなのだが。

 

ギャレゴジやKoMのような「滾らせてくれるもの」は全くない映画だった。

 

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ただ、ゴジラの強さがデフレしている事自体はいいとしても、ゴジラの強さの質に多少「う~ん」となってしまったのも事実。
 
まず、今回のゴジラの一番の強みは「再生能力」だと思うのだが、「強い主人公ゴジラ」を求める自分としては、再生能力が強みのゴジラはちょっと微妙。どちらかというとキングギドラっぽい。
 
また、(先ほども少し述べたが)ゴジラがはっきりと人間を認識し、殺しにかかってくるというのも近年のゴジラでは珍しい。
 
ギャレゴジやKoMのゴジラは人間など全く意にも介さず、それがまたゴジラの超越的な存在感、王者の風格を引き立たせていて良かったのだが、マイナスワンではかなり積極的に人間を殺しにくる。その分、ゴジラの脅威や恐ろしさが増しているのだが、引き換えに小物感もちょっと増したかな……。
 
また、今回は人間ドラマに重きを置かれているため、ゴジラが若干舞台装置と化している感も拭えない。
 
他の映画のゴジラは、紛れもなく「主人公」であり「物語の軸」である。他の登場人物や怪獣は、すべてゴジラというキャラクターを引き立たせるために存在する。
 
これに比べるとマイナスワンはまず「物語ありき」であり、ゴジラというキャラクターもその物語を動かすために存在する。実際、本作の主人公が「ゴジラか敷島か」と尋ねたら、けっこう意見が割れると思う。
 
 
 
■オチ

 

結末は予想しやすい。というか、かなり早い段階でオチが読めてしまった。

 

元々、結末が予想しやすいよう作られている作品だと思う。丁寧に伏線も張られていたし。

 

それでも、ラストを観るまでは監督の「ひねくれ」が発動して、予想を裏切ってくるんじゃないかとハラハラしたのだが、きちんと着地を決めてくれて一安心。

 

そもそも、今回のテーマ的に終わり方はあれしかない訳で、そこを裏切ったらこの映画そのものが無意味なものになってしまうのだが。

 

でも、たまに安易な感動に走ろうとしてそういう事をする監督がいる。でも、この監督はそんな事はしない。

 

観客が観たいものをちゃんと見せてくれる。大事なことだろう。

 

 

 

■登場人物

 

良キャラクター揃いである。特に「新生丸」のメンバー達は、ともすると陰鬱なだけになってしまいかねない本作の雰囲気を、大幅に中和する役割を担う。

 

「敗戦直後の日本をゴジラが蹂躙する」という、あまりにも凄惨な舞台設定の本作において欠かせないキャラクター達である。

 

主人公も、(当時の価値観だと非国民呼ばわりされるのかもしれないが)現代人には感情移入しやすい造形になっていて、好感度が高い。

 

あと、太田澄子(敷島のお隣さん)は聖人すぎると思う(笑)。

 

 

 

色々書いたが、とにかく多くの人に観てもらいたいと思うし、実際太鼓判を押してオススメできる作品である。

 

というか、感想を書いていたらまた観たくなってきた。あの熱線シーンももう1度拝みたいし、とりあえず来週もう1回観に行こうと思う

 

■終末のワルキューレ

 

「終末のワルキューレ」、という漫画がある。

 

自分は初めてこの作品を知ったとき「なんて安直な漫画だろう」と思った。

 

史上最強の13人を集め、人類の存亡を賭けた神々との戦い「神VS人類最終闘争(ラグナロク)」が勃発。

 

その対戦カードは全て神と人。1回戦は呂布VSトール、2回戦はアダムVSゼウス……まるで中学生が考えた黒歴史ノートではないか。

 

そんな、手に取るのに恥ずかしさすら覚えるような漫画でありながら、いざ読み始めると止まらない。悔しいけど、面白い。

 

 

 

なぜこの漫画はこんなに面白いのか。1つは企画の勝利だろう。

 

呂布とトールの戦いを見たいか?と聞かれたらそりゃ見たいよ。夢のカードじゃん。それが終わったら次はアダムとゼウスである。たまらない。

 

世界中の誰もが知っている歴史上・伝説上の人物と、これまた世界中の誰もが知っている神々が、異能タイマンガチンコバトル。
 

もうこの時点で掴みとしてはバッチリである。どれほど「安直」と言われようとも、気になって読んでみたいと思わせた時点で企画側の勝ちだ。

 ⇒ 実を言うと、神側はともかく、人類側は「なんでこいつが?」「戦うタイプじゃないだろ」みたいな奴がチラホラいる。しかし、それはそれで「こいつはどんな戦い方をするんだ?」というのが気になって楽しみだったりする。

 

 

もちろん、どれだけ夢のカードを思い描いたところで、それを作品として落とし込めなければただの黒歴史ノートである。

 

だが、そこに作者の高い画力、魅力あるキャラクター造形が加われば黒歴史ノートも立派な「作品」となる。終末のワルキューレという作品は、作者の力量なしには成立しない。


特にキャラ造形に関しては、たった1度戦っただけのキャラクター(呂布やジャック・ザ・リッパー)が外伝として単体のスピンオフ作品を成立させてしまうなど、高い人気を誇る。

 

例えるなら映画「パシフィック・リム」のような。子供のころ思い描いていた夢溢れる妄想を、大のオトナが大真面目に具現化させてしまうロマン。

 

自分のような初めは否定的だった者ですら、掌を返して食い入るように読んでしまう。それだけの魅力がこの漫画にはある。

 

アニメ化もされ、間違いなく今最も勢いのある作品の1つだと言えるだろう。

 

 

 

 

■魔女大戦

 

で、本題の魔女大戦である。友人から勧めてもらった漫画だ。

 

「終末のワルキューレを読んでるなら、これも読んでみるといいよ」

 

最初はその言葉の意味が分からなかったが、少し読んでみてすぐ合点がいった。あまりにも内容が終末のワルキューレすぎる

 

設定や展開、細かい描写に至るまで………いや、ちょっと、ここまでワルキューレと丸被りでいいの??

 

 

歴史上・伝説上の著名な人物を集め、異能タイマンガチンコバトル。

 

バトルの最中にはこれまたワルキューレ的な回想シーン。

 

表紙の構図もワルキューレとまったく一緒。

 

闘技場の客席に、対戦者にちなんだ人物(たとえば呂布戦なら関羽とか)が出てくるところまでワルキューレと同じ。

 

見開きにデカデカと描かれたトーナメント表を見て、ワルキューレの「あのシーン」を思い浮かべなかった読者はいないだろう。

 

 

これが他社作品なら「パクリ」の誹りはまず免れなかったところであろう。しかし、この魔女大戦、実はワルキューレと同じ雑誌の掲載作品なのである。

 ⇒ どちらも月刊コミックゼノンという雑誌に連載されている。

 

同じ雑誌の作品なら「パクリ」じゃないのかと言われると微妙だが、単行本の帯を見ても分かるとおり、この魔女大戦はワルキューレの公式ライバルという位置づけであり、コミックゼノンが大手を振ってワルキューレを模した作品だという事が分かる。

 

つまり、言い方は悪いが、この魔女大戦という漫画は「終末のワルキューレ人気」にあやかって二匹目のドジョウを狙って作られた作品なのである。

 ⇒ というか、二匹目どころじゃないかもしれない。コミックゼノンについて調べてみたところ、他にも「ワルキューレ」的な作品を1、2つ見つけた。

 

出版社としてより売れる作品を、というのは理解できるのだが、しかし、これはいくら何でも露骨すぎやしないだろうか。

 

そもそも、元が「安直」なワルキューレである。それがウケたからって、それと同じような作品を乱発するなど安直の上に安直を重ねたようなものではないか。

 

とはいえ、一度「ワルキューレ」で掌返しを経験している自分である。これだってワルキューレと同じようなドンデン返しを見せてくれるかもしれないと思い、試しに読んでみる事にした。

 

 

 

この魔女大戦、ベースはほぼ「ワルキューレ」と同じだが、あちらとの差別化を図るため以下のような違いが存在する。

 

 

■①対戦者がすべて女性である

 

最大の違いだろう。魔「女」大戦のタイトル通り、対戦者は全員女性。そしてその全てが魔女という設定である。

 ⇒ この漫画では紫式部だろうとキュリー夫人だろうと魔女である。いわゆる一般的なイメージの魔女ではなく、能力バトルとして魔法を使うので「魔女」という呼称なのだろう。

 

「ワルキューレ」が神VS人類最終闘争(ラグナロク)なら、魔女大戦は魔女千夜血戦(ヴァルプルギス)

 

また、「ワルキューレ」のような神側は存在せず、ほぼ全員が歴史上の人物である。

 

 

 

■②トーナメント形式である

 

「ワルキューレ」はいわば神側と人類側の「団体戦」であり、1人につき1回しか戦わないが、魔女大戦はトーナメント形式なので、勝ち上がりがある。

 

ちなみに対戦者は全部で32人。グラップラー刃牙の最大トーナメントに匹敵する規模である。

 

 

 

■③「魔女階位」の存在

 

「ウィッチズ・オッズ」と読む。出場する魔女の中から「推し魔女」を選び、誰が優勝するかを賭けるというもの。

 

「オッズ」の名が示すとおり倍率と人気は反比例し、「倍率が低い」ほど「人気が高い」。

 

ちなみに魔女階位が一番高い(倍率が低い)のはクレオパトラで1.8倍。一番低い(倍率が高い)のはジャンヌダルクで1065倍である。

 

むろん(作中でも語られているが)、これはあくまで魔女の「本命度」を表したものであって、強さを表すものではない。

 

しかし、次に出てくる魔女がどれぐらい有力な存在であるかを示す指標にはなる。

 

これは「ワルキューレ」にはなかった(というか、「優勝」の概念がないワルキューレには存在し得ない)システムであり、作中の観客と読者の視点をシンクロさせる、面白い試みだと言えるだろう。「では読者の皆さん、貴方なら誰に賭けますか?」という訳だ。

 

 

 

さて、ここでもう勘のいい人なら気付いたかもしれないが「女性限定、歴史上の人物32人」という厳しい制約のために、魔女大戦では登場キャラクターに対する「誰?」が頻発する

 

というか、歴史に疎い自分など半分ぐらい誰が誰だか分からない。八百屋お七って誰?ボニー・パーカーって誰??

 

調べてみたところ、八百屋お七は恋人に会いたい一心で家に火を付けた放火魔、ボニー・パーカーは銀行強盗や殺人を繰り返した犯罪者らしい。なんかどっちもあんま応援したいタイプじゃないが

 

まあ、「なんでこいつが?」という意味なら「ワルキューレ」のジャック・ザ・リッパーなんかも同じタイプだが、それでもあちらは、少なくとも名前を知っているぐらいの知名度はあった。

 

それに対して魔女大戦は、戦うタイプじゃない上にそもそもの知名度が低い、という謎チョイスが大量に紛れ込んでいる。

 

しかしそれも仕方ないだろう。歴史上で、女性で、戦う人物と言われたら自分はジャンヌダルクぐらいしかパッと思い浮かばない。

 ⇒ 実際、魔女大戦ではジャンヌダルクが主人公的な扱いを受ける。

 

一応、魔女大戦には「魔法」の概念があるので、戦うという点については(戦闘タイプの人物でなくとも)何とでもなる。

 

しかし「女性限定、32人」という厳しい制約で選ぶ以上、登場キャラクター(元ネタとなった歴史上の人物)の知名度の低さはいかんともしがたい。

 

この点、魔女大戦は「ワルキューレ」に比べ、大きなハンデを負っていると言えるだろう。

 

 


で、実際のところこの「魔女大戦」は面白いのか。

 

実をいうと、はじめはあまり面白くないと思っていた。

 

絵は綺麗なのだが、そのぶん荒々しさもなく、バトルものとしては「ワルキューレ」ほどパワーを感じない。

 

何より致命的な問題として、主人公(ジャンヌ)に魅力がない。もっと言えば、トーナメント形式のバトル漫画で主人公を設定したこと自体が失敗だとすら思う。

 

元から主人公がいる漫画なら別として、魔女大戦は「歴史上の有名な人物を集めて対等に、タイマンで戦わせる漫画」である。

 

誰が勝ちあがるか分からないワクワクがトーナメントの醍醐味なのに、主人公なんて設定してしまったら、もうそいつの勝ち上がりは約束されたようなものである。

 ⇒ そういえばグラップラー刃牙の最大トーナメント編も、刃牙の試合が一番つまらなかった。理由はもちろん「勝敗が見えているから」である。

 

魔女階位が一番低いなんてのも正直前振りにしか見えんし、1話からメインを張ってきた主人公が1回戦で負けてしまう訳もない。

 

しかもそのジャンヌ戦が無駄に長い。刃牙ですら1回戦のアンドレアス・リーガン戦はサクッと終わらせたというのに。

 

結果が見えているのにダラダラと長い試合など最悪である。ジャンヌ戦は1回戦の第2試合だが、今のところ、魔女大戦の全カードの中でもこの試合が断トツで評価が低い。

 

 

正直、この1回戦第2試合で読むのをやめようかと思ったほどである。

 

 

 

 

■卑弥呼 VS クレオパトラ

 

(ここから先、ネタバレを含むので注意してほしい)

 

 

ここからが本題である。1回戦第3試合。卑弥呼 VS クレオパトラ。

 

魔女大戦屈指の注目カードである。魔女階位の高さから言っても、卑弥呼が4位、クレオパトラが1位。1回戦にして本命 VS 本命の対決である。

 

しかも卑弥呼とクレオパトラといえば、ほとんどの人が知っている人物だろう。そういう意味でも、2人がどんな戦い方をするのか興味が沸く。

 

 

そんな読者の期待を裏切らず、2人は初登場シーンからして印象的である。

 

 

 

 

まずは卑弥呼。第3試合が始まろうとする直前、単行本3巻の第12話にて初登場する。

 

もうすぐ自分の試合が始まろうというのに、なかなか闘技場に現れない卑弥呼。案内人が控え室に向かうと、どうやら中で何かやっているらしい。

 

業を煮やした案内人がドアを開くと、そこには壁全体に怪しげな紋様が描かれていた。

 

案内人が困惑する中、さらに卑弥呼は続ける。

 

 

「魔女千夜血戦は100%確実にワシが優勝する。キミは、信じるかなァ?」

 

 

なかなか自信ありげな発言である。魔女階位1位のクレオパトラ戦を前にこうも言い切るあたり、彼女なりに何か作戦があるようだ。

 

※ ところで、表紙を見れば分かるとおり卑弥呼の髪は銀髪である。作中の印象で黒髪だと思っていた人も多いのではないだろうか。というか、銀髪を黒塗りで表現するのって珍しい気がする。

 

 

 

一方のクレオパトラもインパクトでは負けていない。卑弥呼に先駆けること第6話、そこには案内人の生首が転がっていた。

 

 

 

 

何事かと思えば、どうやら案内人がクレオパトラの姿を見ただけで惚れてしまい、襲い掛かってきたため返り討ちにしたようだ。さすがは世界三大美人の1人。

 

闘技場の観客たちも、絶世の美女クレオパトラが見られると知って大盛り上がり。対戦相手ばかりが注目され、卑弥呼としてはちょっと面白くない展開である。

 

 

「ウォォーー!待ってましたァ!!」

「この魔女が見たかったんだよ!!」

 

 

そんな観客たちを横目に、こっそりと不服そうな表情を浮かべる卑弥呼が面白い(笑)。

 

 

 

あらゆる人が一目見ただけで虜になってしまうクレオパトラの美貌だが、同じ魔女である卑弥呼には通用しないようだ。

 

クレオパトラの顔を覗き込み、面と向かって「ワシの好みとはちょっと違う」と言い放つばかりか、あまつさえこんな暴言まで。

 

 

 
 
絶世の美女たるクレオパトラに対し何とも大胆不敵な発言だが、実際これはその通りだと思う。そもそもクレオパトラは可愛い系じゃないしな。
 
だが、そんな卑弥呼の挑発を前に、クレオパトラはこの態度である。
 
 

 

 

一蹴。これは決して相手を煽っているのではなく、対戦相手にまで惚れられてしまっては勝負にならないという「本心」から出た言葉である。

 

さすがは魔女階位1位というべきか、そう簡単にペースは握らせない。この返しはさすがに卑弥呼も予想外だったようで、不満げな表情を浮かべる。

 

 

まず前哨戦はクレオパトラが一歩リードか。そう思わせたところで両者は互いに「魔装」を身にまとう。

 

「魔装」とはこの漫画に出てくる造語の1つであり、戦いの際に魔女が身に付ける戦闘服のことだと思えばよい。

 

つまり、この作品に登場する魔女は「通常モード」と「戦闘モード」、2つの衣装を併せ持つのだ。

 

クレオパトラが魔装「命冥加たる艶美」によって観客たちを一層釘付けにする中、卑弥呼も遅れて魔装「日出処鬼巫女」を身にまとう。

 

 

うーん、カッコいいじゃないか。魔装をまとった卑弥呼の不敵な表情がイカす。二振りの刀を携え、さらに頭部には角に見立てた仕込み短刀を装備し、その外見はさながら鬼のようだと評される。

 

 

まずは卑弥呼が自慢の仕込み短刀で一歩リード………したかに思えたが、その時、卑弥呼の腕を掴んだクレオパトラが一言、こう言い放つ。

 

 

 

 

次の瞬間、卑弥呼の左腕が文字通り「ねじれ」、もの凄いスピードで折れ曲がっていく。

 

クレオパトラの腕を振り払ってもねじれは止まらず、卑弥呼は咄嗟に自分の左腕を切り落とすことで難を逃れる。

 

これこそがクレオパトラの「魔法」であった。あまりの美貌を持つクレオパトラは、願いさえすれば誰もがその願いを叶えた。クレオパトラが欲しいと言えば与え、憎いと言えば人さえ殺したのである。

 

そんなクレオパトラの魔法は、「自分の右腕が触れた相手に何かを『願う』ことで、それが叶う」というまさにチート級のものであった。

 

右腕で触れるという条件はあるものの、「願えば叶う」というあまりにも強力なクレオパトラの魔法。しかも卑弥呼は既に左腕を失っているという大きなハンデ。

 

卑弥呼は絶体絶命のピンチを迎えた状態で、魔女大戦第3巻、終了。

 

 

 

 

 

うがあ続きが気になる


ちなみに自分は、この時点でだいぶ卑弥呼派に寄っていた。卑弥呼のほうがキャラが立ってると思ったし、「100%確実に優勝する」と豪語していた根拠も気になる。それに、卑弥呼はまだ自分の魔法を明かしていないのだから、少なくとも1回は卑弥呼のターンがあるはずである。

 

じゃあ続きを買って読めばいいじゃん、と思うかもしれないが、本屋に3巻までしか置いていなかったせいでまだ3巻しか出ていないと勘違いしてしまったのである。

 

続きが出ていると知ったのは、友人(例の、魔女大戦を勧めてくれた友人)と遊びに行ったとき。

 

「早く卑弥呼戦の続き見たいんだけどさ~次の単行本出るのいつなんだろうね~」みたいな話を振ったときに「は?何言ってんの?」みたいな反応を返された(笑)。

 ⇒ ちなみに、この時点で6巻まで刊行されていた。


この時の自分の衝撃たるや。「え、さすがに卑弥呼が勝つでしょ?だって100%勝つって言ってたじゃん?まさか負けたりしないよね?卑弥呼が勝つよね?」とだいぶ興奮気味にまくし立てる自分に対し、結果を知ってる友人は「いや~それは読んでからのお楽しみだから……」とはぐらかすばかり。こんニャロウ(笑)

 

何しろ、しばらく待たされると思っていた作品の続きが今すぐ読めると分かったのである。家に帰ったら絶対魔女大戦の4巻を買うんだと心に決めた。

 

既にこの日は0時を回っていたので、家に帰り電子書籍版の魔女大戦4・5・6巻を購入。

 

「頼む!卑弥呼が勝っていてくれ!!」と祈るような気持ちで4巻のページをめくった。

 

 

 

 

いきなり左手を失うという大きなハンデを背負った卑弥呼ではあるが、その戦意はいまだ衰えていなかった。

 

 

「でもまぁ、ギリ想定の範囲内かなぁ──…」

 

 

 

左手を失ってなおこの威勢。これが虚勢なのか、それとも何か根拠があっての発言なのかは分からないが、少なくともまだ卑弥呼には「逆転の一手」の用意があるらしい。

 

事実、この後卑弥呼はあの手この手で巻き返しを図るのだが、やはりクレオパトラの魔法は強力で、悉く潰されてしまう。

 

それどころか、戦いの中で手の内を晒すうち、とうとう卑弥呼の魔法の正体が暴かれてしまうのだった。

 

 

 

「”相手の信じた嘘を真実に変える魔法

 それが其方の魔法ではないか?」

 

「一度術に嵌れば実に恐ろしい魔法。だが…

 ネタが割れればまるで意味を成さぬな」

 

 

文字にすると少し分かりづらいが、要するに、卑弥呼が相手に「毒を盛った」と言い、相手がそれを信じれば、本当に毒を盛った効果が表れる。それが卑弥呼の魔法である。

 

口八丁でペースを有利に運ぼうとする卑弥呼には、まさにうってつけの魔法と言えるだろう。

 

しかしクレオパトラが言うとおり、ネタが分かってしまえば対策するのも簡単である。要するに、卑弥呼の言うことを信じなければいいのだから。

 

仕込み短刀による最後のあがきも失敗し、とうとうクレオパトラに捕まってしまう卑弥呼。

 

 

 

 

まさに絶体絶命、この状態でクレオパトラが願えばそれでジ・エンド。自分も「え……?まさかこれで終わり?卑弥呼ここで終わり?」と内心穏やかではない

 

だが、これこそが卑弥呼の用意した「逆転の一手」であった。

 

クレオパトラの背後から忍び寄る1つの影。何とそこにもう1人の卑弥呼がいるではないか。

 

 

 

 

訳が分からず観客が騒然とする中、クレオパトラの胴体には刃が深々と突き刺さっていた。

 

一体何が起こったのか。それは遡ること試合前。控え室内の異様な雰囲気に困惑する案内人に、卑弥呼は「魔法をかけた」のである。

 

 

「ワシの魔法とは…『卑弥呼を増やす』魔法。

 その魔法にかかった者は…”卑弥呼”に…なる」

 

 

もちろん、これは卑弥呼が吐いた嘘である。だが、案内人はその嘘を信じてしまった。そしてその瞬間、案内人の姿は「卑弥呼になってしまった」のである。

 

 

 

 

どんなに信じがたい嘘でも、巧みな話術と布石づくりで相手に真実だと信じ込ませる。それこそが卑弥呼の真骨頂である。

 

それが見事に嵌った今、形勢は完全に逆転したと言ってよい。片や胴体を刃で貫かれたクレオパトラ、片や全くノーダメージの卑弥呼。

 

 

 

 

これはもはや勝負あったか。いや、勝負あってくれ。どうかこのまま終わってくれ

 

そんな自分の祈りも虚しく、策に嵌ったクレオパトラの反応は、卑弥呼もまったく予想だにしないものであった。

 

 

「フ… 良いのう… 愛せるぞ

 見事じゃ… 妾と戦うためにここまで策を練り上げてくるとは」

 

 

 

卑弥呼の策に嵌り、立腹するでも、悔しがるでもなくなぜか興奮するクレオパトラ

 

この状況でもまだまだ敗色を匂わせないあたり、さすが魔女階位1位は伊達じゃない。というか、全く予想外の反応に卑弥呼も若干引いてる(笑)

 ⇒ でも、読んでいて自分は気が気じゃなかった。「げぇっ!?まだ終わらないのかよ!」「え、まさか卑弥呼負けるのか……?」と内心ドキドキである。

 

 

 

思えば、クレオパトラの生涯は一方的な愛を受けるだけの人生だった。

 

あらゆる者が一目見ただけでクレオパトラの虜になり、絶対的かつ一方的な愛を捧げた。しかしそれは、「愛」というより「盲信」に近いものだったのだろう。

 

美貌だけで人々を魅了してしまうクレオパトラだったが、しかしそれ故に、誰も彼女の心の中を知ろうという者は現れず、そしてそれ故に、彼女自身も心から人を愛したことがなかった。

 

しかし、今こうして目の前に、生まれて初めて自分の事を知ろうとする者が現れる。

 

卑弥呼がクレオパトラを倒すために積み上げてきた策や布石、それらが全てクレオパトラにとっては自分を知ろうとする行為、すなわちだというのである。

 

 

「その眼でしっかりと妾を見ておる。妾を知ろうとしている。

 全身全霊で妾を感じている!!

 こんなにも妾を感じようとした者はいない!

 そして妾も全身全霊で其方を感じている。

 

 あぁ…!

 これじゃ…

 これこそが妾の欲した… ”愛”じゃ…!!」

 

 

戦いの中で、ついに探し求めていた「真愛」を見つけたクレオパトラ。そして、なおも彼女を打ち倒そうと向かってくる卑弥呼に対し、クレオパトラは全身全霊をもってそれに応える。

 

 

戦いの最中、折れてしまった左腕で卑弥呼の顎をかすめるクレオパトラ。

 

折れた腕で攻撃してくるとは卑弥呼も思わなかったのだろう、モロに受けて脳震盪を起こしてしまう。

 

膝から崩れ落ち、動けなくなってしまう卑弥呼。クレオパトラに「あの魔法」がある以上、動けなければ決着は一瞬である。

 

卑弥呼に歩み寄り、その身体に触れたクレオパトラは、恍惚とした表情でこう囁くのだった。

 

 

「愛し… 愛される…

 それこそが 『愛』

 

 其方じゃ

 全部 其方が叶えてくれた」

 

 

 

凄い描写だ。愛を囁くクレオパトラと、死の恐怖に怯える卑弥呼の表情。「愛しておるぞ、卑弥呼」「『爆ぜよ』」というクレオパトラの台詞。互いに矛盾した相容れないはずの要素が隣に並び合い、アンバランスきわまった極限の対比を生んでいる。

 

って、今だからこそ落ち着いて文章を書いているが、正直最初に読んだときはこの辺もう「うわあああああ!!ぐわああああああ!!」と頭の中がグラグラして、ページをめくるのが辛かった

 

 

卑弥呼VSクレオパトラ、いよいよ決着の時である。

 

口から激しく吐血し、倒れ込む卑弥呼。そしてそれを優しく抱きかかえるクレオパトラ。

 

 

 

 

「ガッ アッ… アア…

 ア…

 アガッ… アリッ ガ…

 

 

 アリガ… ト… ウ…」

 

 

 

「信じてくれてありがとう」

 

 

 

さて、ここから先の展開は、ぜひ単行本を読んで確認してほしい。

 

ここまで語っておいて今さらネタバレもへったくれもないのだが、それでもここだけは、是非原作を読んでほしいと思う。

 

ただ、1ヶ所だけどうしても語っておきたいところがある。クレオパトラの最期だ。

 

地面に倒れ込むクレオパトラの生命はもはや風前の灯火。目も虚ろで、視力を失ってしまっているようだ。

 

 

 

 

最後の力を振り絞り、手を伸ばして卑弥呼の姿を確かめようとするクレオパトラ。だが、彼女の右手の「魔法」については、既に皆が知っての通りである。

 

誰よりもその恐ろしさを知るはずの卑弥呼。しかし、彼女は一瞬クレオパトラの姿を見据えたかと思うと、そっと自分の顔に手を添える。

 

 

 

 

右下で「危ない!」と叫ぶのは台与(卑弥呼の宗女)であるが、これは実質、読者の気持ちを代弁したものと言って差し支えないだろう。

 

ここで改ページが入るというコマ割りがまたニクい。クレオパトラは一体何をするつもりなのか。この状態でもう1度彼女が「爆ぜよ」と願えば、今度こそ卑弥呼は死ぬ。

 

自分など「お、おい……まさかここに来てまだどんでん返しがあるのか!?」と思いながら読んでいた。頼むからこれ以上ヒヤヒヤさせないでくれ

 

だが、クレオパトラの願いはそんな事ではなかった。

 

 

「まだ… 返事を聞いておらぬぞ」

 

 

そう、クレオパトラは「あの言葉」に対する返事を知りたかっただけなのである。

 

卑弥呼から答えを聞き、腕の中で塵となって消えゆくクレオパトラ。

 

 

卑弥呼 VS クレオパトラ、決着。

 

 

 

 

■全体の感想

 

なんだ、この終わり方の美しさは。作者天才じみてるよ

 

これは勝手な想像だが、この卑弥呼VSクレオパトラ戦は、連載前から作者が既に構想を練り終えていた話なのではないだろうか。そうでないと、ここまで綺麗に着地を決めることはできないと思う。

 

終わりの美しさだけでなく、全体で見てもこの卑弥呼戦は抜群に完成度が高い。その理由をいくつか挙げてみよう。

 

 

 

① 最後までどちらが勝つか分からなかった

 

これが大きい。1回戦のカードを振り返ってみると、第1試合は「善」vs「悪」の対比が露骨すぎたし、第2試合は主人公補正マシマシの出来レース。そして、結果の見えているバトルほどつまらない物はない。

 

そこにきてこの卑弥呼VSクレオパトラは、最後までどちらが勝つかマジで分からなかった。

 

いや、自分は卑弥呼が勝つだろうと信じていたのだが、対戦相手のクレオパトラは全然格を落とさないし、終盤は卑弥呼が負けることを本気で覚悟していた。

 

二転三転とする展開はまったく先が読めず、有利不利が流動的に変化する戦いは、いわゆる「ターン制」と揶揄されるような退屈なバトルとは一線を画している。

 

つまり、まず「バトルとしての完成度が高い」のだ。

 

 

 

② 能力バトルとしてレベルが高い

 

加えてこれである。これまでの試合は、何のかんのと言っても「結局最後は力押し」であった。

 

魔女ごとにそれぞれユニークな魔法が与えられていると言っても、互いの実力が拮抗していくれば、最終的には「どちらのパワーが上か」という展開に収束しがちだったのである。

 

だがこの卑弥呼VSクレオパトラ戦は違う。

 

卑弥呼の魔法は、そのままでは直接戦闘を有利にするものではない。また、卑弥呼自身もたまに仕込み短刀が活躍していた程度で、特に武術面で優れていたという描写はない。

 

つまり、ただ魔法を使うだけで超人的な能力を発揮できた他の魔女と異なり、卑弥呼の場合、そのままでは凡人レベルの戦闘力しか持ち合わせていないのである。

 

そこにきて相手はあのクレオパトラであり、相手に触れられれば即・ゲームオーバーという一触即発の危険な状況。

 

そんな状況を打破すべく卑弥呼は布石を打ち、策を積み上げ、口八丁で自分のペースに持ち込み、己の魔法を最大限に活かす。

 

そうそう、これだよこれ。単なるパワー勝負ではない、自分の特性を活かしたトリック・プレー。これこそが能力バトルの醍醐味ではあるまいか。

 

 

 

③ キャラが立っていた

 

魔女大戦のような漫画では結局これが一番大事なように思う。どうでもいいキャラ同士が戦って、バトルが面白くなる訳がない。

 

もちろん展開の面白さも大事だが、自分の「推しキャラ」が戦い、応援し、勝ってほしいと思ったとき、バトル漫画は何倍にも面白くなる。「展開」と「キャラ」は車の両輪なのである。

 

だから、魔女大戦という漫画が面白くなるかどうかは「魅力的なキャラクターを生み出せるかどうか」とほぼイコールである。そしてそれが、キャラ造形力という名の作者の「力量」という事になる。

 

ごく個人的な感想だが、卑弥呼はこの漫画の中でも圧倒的にキャラが立っていた。「バトルとして完成度が高く」「能力バトルとしてもレベルが高く」「キャラは魅力的」ときているのだから、これはもう面白くならない訳がない

 ⇒ 最初はどうでもいいと思っていたクレオパトラも、試合が終わる頃には好きになっていた(特に散り際の美しさが大きい)し、やっぱり名試合はキャラの魅力を引き立てるよなあ。

 

 

漫画を読んでいて緊張で手に汗握るなんて一体いつ以来だろうか。マジでデスノートの最終巻を読んだとき以来かもしれない。

 

もちろん、それは自分が卑弥呼を気に入っていて、入れ込みながら読んだのも大きいのだが、読者にそう思わせるだけのキャラクターを生み出したのは、紛れもなく作者の「力量」である。

 

 

さて、初めは「なんて安直な……」と思いながら読み始めた本作であるが、気が付けばどっぷりハマっていた。終末のワルキューレに続き、2度目の掌返しである。

 

これほどの名試合を描ける作者ならば、今後も期待できる。魔女はまだ半分以上も残っており、卑弥呼と同等、あるいはそれ以上に魅力的な魔女が今後も登場するかもしれない。

 

読者のそれぞれに「推し魔女」がいることと思うが、とりあえず自分は魔女大戦の卑弥呼を応援します

 

 

 

 

■ところで

 

いま自分は、魔女大戦に対して抱いている懸念が2つある。

 

1つは最後までトーナメントを描いてくれるかどうか。途中で打ち切られたり、突然別の展開が始まったりしないよね?

 

 

特に前者については、漫画自体が打ち切られてしまったら応援もヘッタクレもない。

 

そもそも、トーナメントの規模を大きくしすぎではないだろうか。今更言ってもしょうがないのだが、32人は多すぎる。

 

ざっと計算しても、トーナメントが終わるまで31試合かかり、今のところ1試合1巻程度のペースなので、完結まで最低でも31巻はかかる。2回戦以上はもっと長引くだろうから、実際はそれ以上だろう。

 

31巻も続いたら相当な長期連載の部類だと思うのだが、本当に、コミックゼノンはそこまで続ける覚悟の上で連載を始めたのだろうか。

 

 

グラップラー刃牙ですら最大トーナメント編が始まったのは21巻以降、確固たる人気を得てからであった。しかも1回戦はサクサク進むので、31試合を20巻程度でまとめている。

 

これに対し魔女大戦は1回戦からじっくりページを割いて描くので、相当な長期連載になる事が予想される。

 

魔女大戦のようなオリジナルの新作が、こんな長期プロットで連載を始めてしまうのはけっこうな博打ではなかろうか。

 

まあ、そんな事は自分が気にしてもしょうがないのだが、だからといって途中で打ち切られてしまうのは困る

 

1回戦ぐらいもっとサクサク進めればいいのにとも思うが、そのお陰で卑弥呼VSクレオパトラのような名試合も生まれたわけで、一概に時間をかけるがダメとも言えない。

 

というか、試合に時間をかける事自体は全然構わないのである。そのほうが長く楽しめるし。兎にも角にも自分が心配しているのは「こんなに巻数の必要そうな設定を作って、本当に最後までやり切れるのか?」という事である。

 

 

トーナメントが途中で中断されて、別の展開が始まってしまわないかも心配である。

 ⇒ しかもトーナメントの主催者アグラットが何か目的を持って動いているようであり、いかにもあり得そうな展開なのが怖い。

 

グラップラー刃牙の最大トーナメント編が偉大なのは、内容の密度もそうだが、まず何よりあれだけの規模のトーナメントを「きちんと完結させた」点にあると思う。

 

魔女大戦も一度トーナメントとして始めたからには、まずきちんとトーナメントとして完結させてほしい。

 

 

ただ、本屋で7巻の帯をみると「100万部突破!」と書かれており、売れ行きは順調なようなので、すぐに打ち切られるという心配はなさそうだ。そうであってくれ

 

というか、7巻で100万部って普通に凄くないか?最近の漫画事情はよく知らないが、1巻あたり10万部以上売れているなら相当な人気漫画と言って差し支えないレベルだと思う。

 

単行本が売れればアニメ化などのメディア展開も期待できるだろうし、今後も魔女大戦の人気がどんどん盛り上がってくれるよう、応援したいと思う。

 

 

 

もう1つの懸念はもっと切実である。2回戦で卑弥呼が負けたりしないよね?

 

卑弥呼の2回戦の相手はマタ・ハリという魔女なのだが、こいつがまた曲者で、複数の魔女たちで結成された「魔女の鉄槌」という集団の、頭目のような位置に君臨している。

 

 

 

そんなポジションのキャラが1回戦で消えてしまうはずもなく、魔女大戦でほぼ唯一の瞬殺劇を繰り広げ、相手を寄せ付けない圧倒的な強さで初戦を勝ちあがった。

 ⇒ ちなみにこの対決のせいで、対戦相手のメアリー・リードは自分の中で「残念な魔女ランキング」の断トツトップにランクインしている(笑)。

 

仮に2回戦を勝ち上がったとしても、その次の相手は主人公補正マシマシのジャンヌ・ダルク。いくら何でも鬼ブロックすぎんだろ

 ⇒ まるでもう巴御前に勝ったかのような物言いではあるが。というか、巴御前が勝ってくれて全然構わないのだが。でもジャンヌが勝つんだろうなあ。

 

 

 

まあ、と言っても魔女大戦自体まだまだ始まったばかりなので、これから先の展開がどうなるかは分からない。

 

そもそも作中でジャンヌが主人公だとは一言も言われてない(言われてないよね?)ので、実は卑弥呼が主人公でしたぐらいの大どんでん返しを見せてくれると、個人的には大変嬉しい。

 ⇒ あっ、でもWikipediaを見てみるとジャンヌの項目に「主人公」って書いてある……。

 

あるいは卑弥呼がマタ・ハリもジャンヌも蹴散らしてサプライズ優勝してしまうとか。ここまでくると予想というよりただの願望だが(笑)。

 

 

あと、これは友人と話す時よく話題になるのだが、1回戦が終わったタイミング(つまり、全ての魔女が出そろったタイミング)でリアル・魔女階位を実施してほしい。

 

要するに、人気投票である。1番人気の魔女を2回戦で負けさせるなんて事はまさかしないだろうから、投票する側も俄然気合いが入ろうというものである。

 

推し魔女の順位を少しでも押し上げるべく、己が熱意を全て注ぎ込んで優勝してほしい魔女を選ぶ。まさにリアル・魔女階位である。

 

自分?もちろん卑弥呼に全ツッパですよ。