株式会社セガの歴史は、常に「挑戦」と「背水の陣」の連続でした。ジュークボックスやピンボールマシンなど業務用アミューズメントマシンの販売から始まり、アーケードでの技術革新、任天堂とのハードウェア戦争、そして撤退と巨額赤字からの再生。
「セガなんてダッセーよな」――かつて自虐的なCMで世間を驚かせたセガの背景には、ゲーム業界で最もドラマチックな興亡を経験した歴史がありました。
本記事では、ジュークボックスから始まり、現在は『ソニック』や『龍が如く』で世界を席巻するIP(知的財産)企業へと進化したセガのビジネス史を紐解きます。
【セガ創業期】ジュークボックスの販売から、アミューズメント施設運営まで
セガの歴史は、第二次世界大戦後に日本で事業を始めたアメリカ人起業家たちに始まります。
1960年6月、主にジュークボックスやピンボールマシンなど業務用アミューズメントマシンの輸入販売を行う日本娯楽物産株式会社と、同じく業務用アミューズメントマシンの製造を行う日本機械製造株式会社が設立されました。このうち、日本娯楽物産が現在のセガへと発展していきます。
合併と製造業への転換
当時、国内の飲食店などで急速に浸透していたジュークボックスですが、海外製品には輸入制限がかけられていました。そのため、日本機械製造は独自にジュークボックスの研究開発を開始し、1960年7月に国産初のジュークボックス『セガ1000』を発売しました。その後、日本娯楽物産が日本機械製造を吸収合併し、1964年6月からアミューズメント機器の製造を開始します。
アミューズメント施設運営と世界への飛躍
1965年7月、日本娯楽物産はゲームセンターの運営業を営んでいた有限会社ローゼン・エンタープライゼスを吸収合併し、株式会社セガ・エンタープライゼスが誕生します。デイヴィッド・ローゼン氏がCEO兼代表取締役に就任したセガは、アミューズメント施設の運営を開始し、日本各地に店舗を拡大していきました。
そして翌1966年には、純国産の大型潜望鏡ゲーム『ペリスコープ』を開発。これが当時の最先端技術を使った画期的な製品として世界的な大ヒットとなり、セガは「アミューズメント機器の輸出企業」としても成功を収める、確固たる基盤を築きました。
【セガ発展期】アーケードの成功と家庭用ハード戦争
1980年代以降、セガはアーケードゲームと家庭用ゲーム機の両輪で業界を疾走しました。
アーケードの王者
鈴木裕氏らが開発した『ハングオン』『アウトラン』などの「体感ゲーム」は、当時のゲームセンターに革新をもたらし、セガの技術力の高さを世界に示しました。 さらに、1993年に登場した『バーチャファイター』は、世界初の3D格闘ゲームとしてゲームセンターの主流を確立。アーケード市場においてセガの技術力は圧倒的であり、莫大なインカム(収益)の柱となりました。
家庭用ハードへの挑戦と挫折
一方で、家庭用ゲーム市場では任天堂やソニーという巨人に挑みました。
1988年にメガドライブ(北米名:Genesis)を発売。発売当初は苦戦しましたが、1991年に発売した『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』が大ヒット。これによりセガは一時的に任天堂のシェアを逆転し、北米で50%以上のシェアを獲得する歴史的快挙を成し遂げます。
しかし、続くセガサターンでは、ソニーのプレイステーションとのシェア争いに敗れました。特に海外市場では、プレイステーションの3D描画性能や開発の容易さが優位となり、決定的な差をつけられました。1998年、社運を賭けた最後のハード『ドリームキャスト』を投入しますが、半導体チップの供給遅れや、強力なライバル機であるプレイステーション2の発表による買い控えなどが響き、販売は再び苦戦しました。
ハードウェア事業は莫大な在庫リスクと開発投資を伴います。ドリームキャストの不振により、セガは創業以来最大の危機に瀕しました。ここで救いの手を差し伸べたのが、当時の親会社CSKの会長、大川功氏です。大川氏は私財約850億円をセガに寄付し、その直後に他界。この資金によってセガは債務超過を免れ、2001年、家庭用ハードウェア製造からの「完全撤退」という苦渋の決断を下すことができました。
【セガの統合と現在】サミーとの統合、そして「コンテンツ・プロバイダー」へ
ハード事業撤退後、ソフトメーカー(サードパーティ)となったセガは、業績がゲームタイトルのヒットに左右されるという不安定な収益構造から脱却するため、収益の安定化を模索していました。
サミーとの経営統合
2003年に遊技機(パチンコ・パチスロ)大手であるサミーとの経営統合が発表され、2004年にセガサミーホールディングスを設立しました。この時のセガの社長は小口久雄氏でしたが、統合を主導し、新会社のトップとして君臨したのはサミー創業者の里見治氏でした。
ビジネス的意義:
・サミーの狙い:パチンコ・パチスロ市場の規制リスクヘッジとして、セガの持つグローバルな開発力と強力なブランド力が不可欠でした。
・セガの狙い: ヒット作の有無で業績が乱高下するゲーム事業に対し、サミーの持つ潤沢なキャッシュフロー(現金収入)が財務基盤を安定させました。
現在の戦略(2025年時点)
2025年現在、セガの代表取締役社長は内海州史氏、グループCEOは里見治紀氏が務めています。現在のセガは、かつての「ハード屋」から、世界屈指の「コンテンツ・プロバイダー」へと変貌を遂げました。
1.グローバルIPの拡大: 映画『ソニック・ザ・ムービー』シリーズの大ヒットにより、ゲームを知らない層にもファン層が拡大。IPの価値を再定義し、ゲームの売上にも還流させるサイクルを確立しました。
2.M&Aによるモバイル強化: 2023年、『アングリーバード』で知られるフィンランドのRovio Entertainmentを買収(約1,000億円)。モバイル市場でのグローバル展開を一気に加速させています。
3.構造改革: コロナ禍を受け、長年手がけてきた「ゲームセンター運営事業(セガ エンタテインメント)」をGENDAに売却(ブランド名がGiGOへ変更)。アミューズメント機器の開発は継続しつつ、固定費のかかる運営部門を切り離し、デジタルコンテンツへリソースを集中させました。
結論:業界への影響と今後の展望
セガの歴史は、業務用ゲームの黎明期における技術革新を主導し、家庭用ゲーム市場では任天堂やソニーに挑み続けた業界の挑戦者としての軌跡です。
巨額の負債から、大川功氏の支援とサミーとの統合を経て財務基盤を固めたセガは、現在、ビジネスモデルを完全に転換しました。ハードウェアという「箱」から撤退し、「世界的なコンテンツ・プロバイダー」へと進化。
『ソニック』や『龍が如く』といった強力なIPを軸に、映画展開やM&A(Rovio買収)を駆使して収益源を多角化。このIPの価値最大化とデジタルコンテンツへの集中戦略は、今後のゲーム業界の主流となる「IPエコシステム」の成功例として、業界全体への道標を示し続けています。セガの不屈のDNAは、今も「魂(ソフト)」に込められ、世界市場を戦い抜いています。
参考文献
・セガの歴史 1960-2020 | セガ
・【セガ】10分でわかる!歴史紹介動画 - YouTube
・サミー、セガと経営統合。里見社長はCEOに | P-WORLD パチンコ業界ニュース
