水に流す
便利ですよね。
『無かったことにする』ってこと。
何もなかったように振る舞うって、物事の問題が根本的に解決にいたってないのに、ただごまかすようで、ずっと、ずるいことだと感じてました。
会社で、上司のずるさにムッとして、相手のずるさがたまらなく嫌で、きまずいムードなんかおかまいなしで攻撃的に過ごすわたしは、正義にみちてとても潔いじゃないかって思ってたりもしました。
相手がずるくて悪いんだから、仕事のこと解決できずに逃げるなんて、ましてや上司のくせに、って。
でも、そのひとが、気まずいムードをなかったことにして、次の日には話かけてきます。
『なんやねん。問題解決する責任感もやる気もない上司、上司である前に人間としてもどうなん?』
って思ってました。正しい気分です。
でも、つられて話するうちに、あれれ、気分が普通に戻り始めてます。
これって、わたしもずるいやん、一緒に問題が無かったことにし始めてるような会話、あかんやんって思ってました。
でもね。
『水にながす』
って言葉をある日見つけたんです。
知ってましたけど、改めて響いたんですね。
正義には、ものごとの一面しか見えてないんです。
ずるいことはだめかもしれないけど、だめなことが、いいことを連れてくることもあるんですね。
ああ、これが人間の幅なのかと、やっと気付ける私になれたんですなあ。たぶん。
この上司の、ある意味のずるさが、お互いにまた楽しく会話する時間を修復してくれたんですね。
どんなに正しさに怒ってても、結局は怒りの感情に呪縛されてしまって、自分自身がだんだん元の問題とはかけ離れて、ただ怒りの呪縛だけが残ってツライ思いをしてしまう。
それならば、問題は冷静に自分のアプローチを変えるなど、おおらかな解決を試しつつ、呪縛から自分自身を放してあげるほうが、ずっと自分自身のためにいいですよね。
怒りだけでは、問題など、どちらにせよ解決しませんから。
これって自分自身に向き合う時にもつかえて、いい人になろうとしたって、やっぱり難しい。
でも間違ったら、問題を見つめなおしたあとは、できなかった自分を『水にながす』。
ちゃんと悪かったと思ったら、それ以上責めない。
だめなこと感じた自分、あ、だめじゃんって思ったら、自分に謝って『水に流す』
ずるいと責めることなかれ。
時には、人間には柔軟性が救ってくれることもあるんです。
ずるさって言葉は、なんだか嫌だけど、柔軟性ならOKでしょ? ![]()
いいじゃないの。幸せならば( ´艸`)![]()









