幕末を駆け抜けた偉人、坂本龍馬氏は
「日本の夜明けは近いぜよ」と
後世まで語り継がれる名言を遺して
もう何年もの月日が経過したであろうか。
私は、彼を羨望の眼差しで見つめる者のひとりである。
龍馬氏のゆかりの地である
高知県の桂浜に赴き
そこらへんの売店に立ち寄り
1000円で購入した木刀を懐に携え
荒々しく波立つ太平洋と対峙しつつ
私の口から発せられた
「日本の夜明けは近いぜよ」は
幕末を彷彿させるかの如く
龍馬氏に瓜二つの語気で
場をどよめかせたほどである。
あれから早いもので、2年もの月日が流れ
その間に私はというと
1000円で購入した木刀を振りかざし
己の未来を、この手で切り開いてきた結果
ついに、念願の選挙権を獲得したのである。
これが意味していることというのは
龍馬氏と私は、志を同じくして
新しい日本を構築していこうとしているところである。
ここで大事なことは
龍馬氏と私を
天秤で計っては決してならない。
龍馬氏の圧倒的人間的質量の重さと
私の圧倒的人間的質量の軽さとでは
北と南の関係のように
犬と猿の関係のように
入来とアリアスの関係のように
小林幸子と前事務所社長の関係のように
対極に位置する関係性なのである。
つまりは、比較すること自体が間違っているのであり
一緒のカテゴリーで包括することが許されないのである。
ここで大事なことは
気持ちの問題であるのだ。
3歳の子供がママの誕生日に
くしゃくしゃの似顔絵をプレゼントとして贈る際に
それを嬉しく思わないママなど
この世には存在しないのである。
ママは似顔絵のリアリティーを求めているのではなく
一生懸命描いた、その気持ちが
何よりも嬉しいのである。
つまりは、私が主張したいこととは
そういうことであることを理解していただきたい。
日本の夜が明けてから、暫く経つが
さすがに地球の自転活動には逆らえず
夜が明けて、朝を迎え
昼が過ぎて、カラスが鳴きはじめ
そうするうちに
日本はまた夜を迎えてしまった。
龍馬氏ではなくても
「日本の夜明けは近いぜよ」と叫べる時が
まさに、今なのであり
龍馬氏が存命しないからこそ
それを叫ぶべきなのは、私達なのである。
大切なのは、その気持ちである。
偉大なる龍馬氏の想いを引き継ぐべく
明日は選挙へと足を運ぶことを
声を大にして求める意向である。