つづき・・・



22日からはダムのゲート操作により貯水した水をなくして
川底の捜索をする方法がとられ、転落現場下流の

上麻ダム・川辺ダム・今渡ダムの貯水量をなくし
川底にたい積した土砂を掘り起こして遺体捜索が行われた。



ブルドーザーなどの重機を使用したりスコップやクワなどを用いて
人力で掘り起こす必死の捜索が続けられた。



地元の消防団員らはポンプで水を吸い上げ

土砂に放水して遺体を探すという方法も行った。



発見された遺体の大半は激流にもまれ

押し流されたことから損傷が激しく、

8月という季節条件も重なり事故発生の2日目ごろから

腐敗の進行も激しく遺体の確認は困難を極めた。
そこで身元確認には指紋や歯型の照合が行われた。
しかし、それでも遺体を間違えて引き取るという事も何件か起きたとう。




遺体は飛騨川の激しい濁流ののまれ

事故翌日にはなんと伊勢湾で見つかるなど、
捜索範囲も現場周辺だけではなく、飛騨川、

木曽川水系、94キロメートル、岐阜・愛知・三重の

3県にまたがり、きわめて広い範囲にわたり発見された。



しかし、わずか3人が奇跡の生還を果たしただけだった。




それは5号車の運転手と添乗員、乗客(少年)であった。






つづく・・・