・・・つづき


土石流は扇状形に国道に流れ出て道路を乗り越え

ガードレールを破って、3台のうち5号車6号車が土砂に押し流され

飛騨川に転落、濁流にすい込まれた。


天心白菊の塔2

現場には転落したバスの他にバス トラック 乗用車など約30台が
前後を土砂に阻まれて立ち往生していたが、

比較的安全な場所に車を移動しバスの乗客を下車させて

誘導するなどしてなんとか難を逃れる事が出来た。


事故の第一報は転落から難を逃れた他のバスの運転手ら4人が
道路上にたい積した土砂を乗り越え、対岸の下山ダム事務所に
駆け込み事態を知らせ事務所から上麻生発電所を通じて地元の
加茂警察署に通報された。


しかし当時は携帯電話 ポケットベルなどもちろん無く
公衆電話も設置されてなく、現場の悪天候と土砂で

行く手を阻まれていて街灯もなく深夜だった悪条件の為

加茂警察署に一報が入ったのは事故発生から

3時間29分後の午前5時40であった。


救助活動は、加茂警察署の4人と地元白川町の

派出所員3人たった7人で始めることしか出来なかった。


その後の捜索活動には加茂警察署隣接4署や

岐阜県警機動隊、自衛隊、地元消防団、

岐阜・愛知・三重の3県と地元市町村、

名鉄クループなどから大量に動員し
約50日間だけで延べ4万5千人が投入された。


バスは19日午前10時20分

転落現場から約300メートル下流で1台を発見・・・

天心白菊の塔1-1


車体は天井を逆さにして、車輪を上にして転倒したまま

岩に引っかかった状態で原型をとどめないほど完全に大破していた。 



車内には砂がいっぱい詰まりその中から3人の子供の遺体が発見された。





22日午前10時10分・・・

もう1台のバスも発見された。転落から4日目のことであった。





まだまだつづく・・・