2023年 6月 28日(水)
2016年の事
かなり久しぶりにアメブロに来てみました。
昔の記事を改めて読むと、当時の自分の気持ちが蘇ってきます。
これからも、時々、思った事を綴っていきます。
前回は、2016年、実父が亡くなった年でした。
父は、2010年9月から吐血で意識がなくなり3ヶ月入院、その後、自宅で主に母が介護し、2015年11月からは類天疱瘡がひどくなり入院、2016年7月13日から、転院し、7月15日正午に亡くなりました。
看護士が消毒液を点滴して、患者を何人も殺害した病院でした。
7月13日夕方に、お願いします、と頭を下げて、
翌14日夕方に、私ひとりで病院に行ってみたら、
ベッドの位置が変わっていて、
看護士さんがいらっしゃらないから、何故場所が変わったのかを聞く事も出来ず、
父も、やっと来た、ずっと待ってたんだ、ここは昨日までと違うね、どうなってるの?と
前の病院では一言も話さない状態だったのが嘘のように、ペラペラとおしゃべり。
レビー小体性認知症の父は、私には見えない相手に私を紹介したり、私ともおしゃべりして、
40分間ずっと話して、疲れたのか、もう帰っていいよ、と言いました。
明日また来るからね、と言い置いて、看護士さんを探したけど見当たらず、明日来るまでお願いしますと挨拶が出来ないまま帰宅、
翌日正午に心肺停止ですと電話があり、職場を早退して駆けつけたところ、既に息をしていませんでした。
類天疱瘡で入院した実家近くの病院へは、毎日夕食介護に通っていたので、転院先へも、私は毎日通うつもりでした。
丸2日経たないうちに亡くなり、前日が元気だった事で、何か変だ、とは思いました。
死因を尋ねると、医師は、私達にもよく分からないが11時45分に同室の患者を診ていた時には、父がちょっときてなどと騒いでいたので生きていたが、
12時に隣のベッドの患者の昼食介護に入室した看護士(介護士?)が、父が動かなくなっていて息をしていないのを発見したから、
15分間に何かが起きた、心臓か脳かいずれかに何かが起きたとしか考えられない、と言いました。
ところが死亡診断書には、心不全ではなく、
急性肺炎と書かれていました。確かに、誤嚥性肺炎で片肺がレントゲン画像で真っ白になっていたから、肺炎はひどかったですが。
闘病期間が長く、家から出られなくなったのも、吐血での入院の、何年も前からでしたし、
70代は前立腺がんで築地のガンセンターで治療を受け、糖尿病もひどく何度も入院していましたから、
亡くなった時には、医師や看護士さんへ、寿命だったのだと思います、と言い、死因を問い詰める事はしませんでした。
同じ年の8月下旬に不審死となった患者さんのご家族が声を上げて、社会で大問題となり、看護士が殺害した事が判明しましたが、
私のように、闘病が長くて亡くなったのも寿命だった、父は今は楽になったのだ、と無理にも納得した遺族も、何人もいたのではないかと思います。
お骨になってからでは、死因の特定はできないでしょうし。
母も80歳から8年間ずっと、父の介護生活で、自由に出掛ける事も出来ず、お友達と会う事も、お稽古事も諦めて、最後の8ヶ月半は、毎日病院へ通い、体力的にも大変な日々でした。
家族みんな、父にはできるだけの事をしたので、
苦しんだ表情もなく穏やかな死顔を見て、
病院で殺されたかも知れないとは、全く想像もしませんでした。
今も真実は分からないまま。
他の患者さんを何人も殺害した看護士は、
看護の生活を離れて、現在は何を思っているのでしょうか。

本文テキスト