ご無沙汰しております。


ふとしたきっかけでこのブログの存在を思い出して、

今すべての記事を振り返ってきました。


最後に記事を書いたのが2017年なので、約6年ぶり?

時間の流れの早さを感じたのと同時に、

当時の出来事や感情、周りの人との関係性などを思い出しました。


よく言うことだけど人は忘れる生き物なので、

こういうリアルな感情って、綴っておかないと絶対忘れますね。


印象に残った出来事などはなんとなくふわっと覚えていることもあるけど、特に感情は残さないと記憶できなくて。

今を生きる!今が大事だ!

という考えももちろんあるし、俺もどちらかというとそういうタイプの人間ではあるけれど、

その時の自分が何を感じてどう考えてどう動いたか、

というのを後から振り返るということの大事さを、

今改めて実感しました。



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ということで、

最後に記事を書いてから今日に至るまでの間、

めちゃくちゃ色々なことがありました。


多分死に際に人生を振り返ったときにも最大の失敗として思い出すであろうこと。

1番大事で守らなければならない大切な人に一生消えない傷をつけ、

地の底に突き落としてしまったこと。

自分自身もこれ以上下がないくらいのところまで落ちました。


そんな出来事があったのが2017年。

何も知らずに呑気にふらふらしていたあのときの自分に言いたい。

大事なものを見失うなと。


それから5年の歳月が経ち、

なんとか平穏な日々は取り戻してきたようにも思いますが、

心の奥底にその出来事が魚の骨のようにひっかかり続けています。

もう何もなかったもとの人生には戻れない。


この先の人生もずっとそれを背負い続けて生きていきます。

自分の人生、楽しく明るい人生になると信じてやってきたんだけどな。

一見それなりに楽しくはあるのだけれど、

自分の人生にテーマをつけるのであれば「謝罪」とか、「見せかけの幸せ」とか、そんな感じだろうな。


そんな酸いも甘いも見えてきた36歳の夏。

次の更新がいつになるかわからないけど、

気付いたときにはその時のリアルを残し続けて行きたいと思います。

こんにちは。

今日は負の日記を書きます。
嫌な方は飛ばしてください。



うちの嫁は、タイトルの通り、
「ありがとう」を強要してくる。


料理つくったら「ありがとうは?」
掃除したら「ありがとうは?」
洗濯したら「ありがとうは?」
何か家事をやる度、「ありがとうは?」

確かに、感謝されたい気持ちはわかるよ。
でも、俺も意識してちゃんと「ありがとう」って伝えようと努力しているつもりだ。
それでも伝わってないのは俺が不器用で伝えきれていないから。
それが悪いのもわかってる。

でも、「ありがとう」って、強要されると、
途端にそれは空っぽの言葉に変わる。
汲んでくれ、とは言わないけれど、
そっちからわざわざ言葉にして「ありがとう」を求めてくるのはほんとにやめて欲しい。
俺が純粋に感謝している気持ちすら薄れてしまう。


そもそも、根本的な考え方が丸っきり違う。

俺は、誰かに感謝されるために行動を起こしてるんじゃない。
誰かにとってそれがいい結果や影響をもたらすであろうから、行動を起こす。

対して嫁は、誰かに感謝されたいがために行動している。
つまり、一見誰かのために何かをしているように見えて、結局は自分が人から感謝されていい気持ちに浸りたいがために起こしている行動。
これは偽善的で、自己中心的なエゴそのものだ。

そしてその感謝されたい欲求が満たされないと、不満が溜まり容量を越えたとき爆発する。
ほんとに迷惑極まりない。

少し考えればわかりそうなものだが、嫁は一向に理解しない。
そして悪者はいつも俺。
俺がこういう事を思っているなんて伝えようものならば、さらに被害が広がる事が予想されるため、俺は絶対に口にしない。
めんどくさいし、
俺さえ我慢していればとりあえず乗り切れるから。

だからいつもとりあえず謝って、
怒りが鎮まるのを待つ。
ほんとにやめて欲しい。

自由気ままな独り暮らしに戻りたい。
目の前をパッツパツのきっつきつのパンツにお尻を包んだ
若くて綺麗そうな女性が歩いています。

歩く度に右に左にお尻がぷりっぷりっ。

なんでああいうパンツを履くのか、
すごく不思議。

目の前に揺れるお尻をガン見しながら、
どんなに綺麗な女性なんだろうと
想像を膨らませる。

そんな火曜日の朝。
今日も1日頑張りましょう!