1825年に開通したエリー運河は、エリー湖とハドソン川をつなぐ運河で、この運河によりニューヨークと五大湖が船で行き来できるようになりました。
エリー運河
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エリー運河(エリーうんが、英: Erie Canal)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州にある運河。エリー湖からハドソン川上流までを繋ぎ、ニューヨーク港に注ぐハドソン川を通じて五大湖と大西洋の間の舟運を可能にした運河である。東部と中西部の運搬を一気に容易にした最初期の交通革命となった[1]。
最初に提案されたのは1699年だったが、1798年になってやっとナイアガラ運河会社が設立され建設の準備が始められた。最初にその一部が開通したのは1819年で、全通は1825年10月26日。全長363マイル(584キロメートル)、幅40フィート(12メートル)、深さ4フィート(1.2メートル)で、閘門は83箇所あり、それぞれ幅90フィート(27 メートル)、高さ15フィート(4.5メートル)となっている。通航可能な船の排水量は75米トン(68メートルトン)。
長さ584km、幅12m、深さ1,2mをただ掘るわけではなくこの間には原生林を伐採することや、83箇所の閘門と複雑な水道橋も作らなくてはなりませんでした。
建設では石灰岩と山を切り開くことはとても困難でした。 蚊が媒介するマラリアにより 1 シーズンに 1000 名以上も死亡しました。 運河はオランダの最も最新の工学技術の幾つかを使用して建設された。 1823 年には工事はナイアガラ急斜面に到達したとき、 石灰岩でできた高さ80フィート(24m)の壁をダイナマイトがまだ発明されて無かったので黒色火薬で爆破し、運河が急斜面を越すために、 3 マイル (4.8 km) の回廊沿いに 5 基の水門を作ることが必要となりました。
運河は全長363マイル(584キロメートル)これを8年以上かけて建設されました。
これは平均して8日ごとにに1マイル(1,6km)が工事完了したことになります。
電気ドリル
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電気ドリルとは、穴あけが主目的の電動工具である。モーターと減速機・ドリルチャックからなり、JISC9605では「携帯電気ドリル」(英文:Portable Electric Drills)となっている。名称は、動力の「電気」と穴あけ工具の「ドリル」を合成した俗称が正式名になったもの。機能的には「ボール盤」を携帯化したものである。現在では、機械本体も絶縁体で構成された二重絶縁の機種が主流である。携帯用電動工具としては一番普及しているものであり、電動ドリル又は単に 電ドリ、電ドル、ドリルとも呼ばれる。世界最初の電気ドリルは、アーサージェームスアーノット(Arthur James Arnot)[1]とウィリアムブランチブレイン(William Blanch Brain)[2]が1889年にオーストラリア・メルボルンで発明している。携帯式電気ドリルは、1895年にFein(ファイン)のヴィルヘルムファイン(Wilhelm Fein)[3]がドイツ・シュトゥットガルトで発明。
携帯式の電気ドリルは1895年にドイツで発明されている、これが世界最初の電気工具です。
ダイナマイト
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ダイナマイト(英: dynamite)はニトログリセリンを主剤とする爆薬の総称。アルフレッド・ノーベルが最初に発明したのはニトログリセリンを珪藻土にしみ込ませたもの。現代の日本においては、社団法人火薬学会の規格では6%をこえるニトロゲル(後述のブラスチングゼラチン)を含有する爆薬の総称と規定されている。
1846年に発見されたニトログリセリンは、鋭敏な爆発物で爆薬としての実用は困難であった。実用できる爆発物には、多少の衝撃に反応せず、経時劣化を起こしたり化学変化を起こしたりしない安定性が必要となる。アルフレッド・ノーベルは1866年にニトログリセリンを珪藻土にしみ込ませ安全化し[† 1]、さらに雷管を発明して爆発のコントロールに成功した。1875年にはニトログリセリンと、同様に爆薬である低硝化綿薬(弱綿薬)を混合してゲル状とし、珪藻土を用いたときと同様に安定化するのに成功した。これはブラスチングゼラチン(英語版)と呼ばれる発明品であり、不活性物質である珪藻土の使用をやめ、爆薬の威力を高めるものであった。彼はこれらの製品を事業化し、多大な利益を得た。ダイナマイトという名前は「力」を意味するギリシア語δύναμις(dunamis)に由来する。
1846年にニトログリセリンが合成により発見されて、このままでは安定してないので、爆薬としては使えなかった。
1866年に、珪藻土に染み込ませて安定させることができ爆発のコントロールが可能となったが、珪藻土は不活性物質で、爆発力には不利でした。
1875年にニトログリセリンと低硝化綿薬を混合してダイナマイトが発明された。
建設当時の1817年には、電気工具も、ダイナマイトもこの世にはまだ存在しなかった。
しかも計画を立て工事を監督した者は、測量でも土木工事でも素人であった。当時のアメリカ合衆国には土木技師がいなかった。