もしかしたら読み間違えてしまった方も


いらっしゃるかもしれませんが、


タイトルは「漢文」となっています(笑)



そうです。



「漢文を日本語ふうに読むことを訓読といふ」




一方、



英文を日本語ふうに読むことを



英文和訳または英文解釈といいますね。






ご存知の方も多いかと思いますが、



日本の英語教育は、漢文の教育と非常に密接な関係があります。






今日は、漢文の訓読の歴史について、Wikipediaを使って調べて、

簡単にまとめてみました。



・・・



漢文を日本語ふうに読むことを訓読という。




日本に初めて漢文が入ってきたのがいつかということをはっきり定めることはできない。


しかし、『後漢書』には、




57年に倭の奴国が後漢の光武帝に使して、

光武帝により、奴国の君主が倭奴国王に冊封され金印を綬与されたという記事があり、

江戸時代に発見された金印には「漢委奴国王」という漢字が刻まれていた。




この記事からすると、当時の倭国の人々が全く漢文が分からなかったとは考え難い。



漢文を日本人でも読み理解できるように、

漢文訓読の形にして読解したものを、

漢文訓読語(かんぶんくんどくご)あるいは単に訓読語(くんどくご)と呼ぶ。




時代が下るにつれて、


日本語を記すために漢字を用いようという動きや、


外国語として漢文を読むのではなく、


日本語として読めるようにしようという動きが出てきた。




おそらく漢文訓読自体は


漢文が中国大陸から入るようになった古代の段階で既に存在したと考えられているが、


その語形が表記されるようになったのは、9世紀頃とされている。




たとえば、春という漢字をそれまで中国語風にシュンと発音していたが、

この「シュン」と意味が近いやまと言葉である「はる」と発音するようになった。




さらに漢字も、書かれている順(中国語の文法に沿った順)にではなく、

日本語の文法に沿った順に読むようになっていく。



漢文訓読体は奈良時代頃の言葉を基本にした独特の文体であり、

日本語の書き言葉・話し言葉にも大きな影響を与えた。



またその後長きに渡り日本の公用語として用いられ、

特に上流階級や知識人(文化人)の教養として嗜まれ

一種のステータスシンボルとしての側面を持っていた。




江戸時代には武士や公家の子弟は漢文の教育をうけるようになっていた。


戦前の法律にも仮名交じりではあるが漢文訓読体的な文体が用いられた。



・・・・・





過去の長い日本の歴史を考えるとき、


日本人の教養として漢文の素養は今でも重要性を失わないでしょう。



なぜなら、日本人が過去を振り返ったとき、


ほとんどの書物が漢文で書かれているからです。




それらを、わけのわからん言葉で書かれている書、

ということで、過去の史実や英知を

投げ捨ててしまうのは、

愚かしいことだと思わないでしょうか?




しかし、一方で、

日本人が英語を習得してきた過程は、

漢文の方法そのもの

であるといっても過言ではないようです。



それは、今にいたるまで同じなのです。



その辺りのことは、

また次回以降に・・・



(つづく)