個人的な登山記録

個人的な登山記録

自分用の記録です。
山に登って、その時思ったことを忘れないように書いていきます。

Amebaでブログを始めよう!

「北鎌やろう」

 

 

 

登山を始めて半年。呑み会で先輩にそう誘われた。

 

この先輩は新米だった僕を連れて

沢や岩に何度か連れていってくれていた。

酒の席、次はどこをやろうみたいな話になり、そう決まった。

 

予定は9月。

やりますと、意を決して返事をした。

 

「水俣乗越からやるのと貧乏沢からやるの、どっちがいい?

楽なのは水俣乗越だけど貧乏沢からで良いよね。」

 

はい、とよくわからず言った。

 

北鎌尾根というクラシックルートに対する憧れは漠然としていて

どちらかというと槍ヶ岳に初めて登るという事実の方にわくわくしていた。

自分でも、ミーハーだと思う。

やると決まったら、先輩から走り込みをするように言われた。

山歩きを始めたころ、腸脛靭帯炎によくなっていた。

半年で肥満気味の体重は10kg以上落ちたが、山登りの筋肉は足りてなかったのだろう。

下山時の膝の痛みは悩みの種だった。

きっと先輩はそれを知っていたから、

もっと脚力、体力をつけろとアドバイスしてくれたのだろう。

 

その日からエスカレーターを使うのを辞め、

階段をつま先だけで登るようになった。

帰宅ランを取り入れて、毎日5kmの距離を走った。

つらくなったら、お前は北鎌尾根でも疲れたら

もう歩けないと諦めるのか、と自分を鼓舞した。

単なる危ないやつである。

 

北鎌の予行で、鶏冠谷左俣から鶏冠尾根をやって、迎えた北鎌本番。

山岳遭難保険にも入ったし、やれるだけの準備はやったぜ、と挑んだ。

まずは合戦尾根を登って燕山荘まで。

燕岳も登っとく?と言われて往復した。

初めての北アルプス。自分の中で大きく捉えすぎていて、

思ったより普通の山々なんだな、と感じた。

山荘でコーラを飲んでから大天井まで。

この歩きは太陽が暑くて、のどがカラカラになった。

大天井から振り返った表銀座は雄大で、そこに爽やかな風が吹いてきた。

貧乏沢の下降口を探して右を気にしながら歩いていると、

すんなりと沢への踏み跡が見つかり、ハイマツを分け入っていく。

道中、蛇イチゴがなっていた。

 

貧乏沢の水量は結構なもので踏み跡を見つけるのも下手でこの沢の下降はてこずった。

一度など滑って転びそうになり、後ろから先輩にザックをつかまれてバランスを持ち直したこともあった。

なにやってんの、しっかり足元見ないと!と怒られたことを思いだす。

沢に降りきったら足裏はくたくたで、

天井沢のキンキンに冷えた水をいっぱい飲む。

味噌汁を飲んでアルファ米を食べてシュラフにもぐりこむ。

貧乏沢では誰にも会わなかったが、

沢床には10張り以上テントがあって、

明日、皆、北鎌を登るのだと思うとちょっと心強く感じた。

足裏が痛かったが寝入ってしまうまでひたすらにもんでマッサージした。

 

翌日の行動開始は5:20、北鎌沢をもくもくとあがる。

踏み跡があちこちにあるが、最初の分岐を右に行き、

後は左。右手の尾根に向かう沢に入らないようにすれば問題ない。

踏み跡だらけで迷いやすいのは確かである。

 

北鎌のコルまであがると、どかっと腰を下ろして休憩。

次々に後続が上がってくる。

この日はアンザイレンしたガイドさんが多かった。

先輩が

「3人以上のアンザイレンなんて、

落ちられたら絶対とめられないだろーけどああせざるを得ない。

勇気要る仕事だわ。」

とぼやく。

 

独標までの歩きは、鶏冠尾根と雰囲気が似ていた。

 

先輩がハイマツやシャクナゲは信用できる手掛かりだ。

躓いたらここからは致命的だ、しっかり歩け、と言ってくれた。

予行で鶏冠尾根をやっていて良かったとシンプルに思った。

今思えばそうした段階を踏む計画を考えてくれていたのだろう。

 

独標トラバース、コの字岩の通過は問題なく抜け、

独標へ階段状の岩を登ると、ドーンと見える大槍へと続く北鎌尾根の全容。

槍の穂先には雲一つない。テンションあがるぜ、と気合が入った。

でも北鎌はここからが長い。

北鎌は迷ったら稜線通しで行くのが良い。

 

巻いたり、下ったりと思い思いのルートを歩くと、突如として思いもよらないガレやザレ場にいることが多かった。

めちゃくちゃ滑って焦る。落石だらけで焦る。

そうしたルーファイの難しさがここからはずっと続く。

北鎌の核心はP13とかP14の、このあたりだったと思う。

 

標高も高いので、ばてやすい。

それまで一度も自分から休憩を言い出さなかった先輩が、

この時の一回だけ、休憩しよう、と言い出した。

 

北鎌平まで来れば、穂先は近い。

大槍手前のチムニー。

がっしりと岩をつかんで足を上げると、

先輩から「ナイス」と声がかかる。

 

憧れだった槍。つらいことや苦しい事。

色々あって始めた登山。

 

去年の今頃の自分は、こんなとこにいるなんて

露ほども思って無かったろうな。

万感の思いが頭を過った。

ばれちゃいないだろうが、ちょっとだけウルウルしていた。

 

槍の穂先で記念撮影をして、

殺生ヒュッテまで降りてきて、

テントを張った。

 

余談だけど、先輩は、ロープをマット代わりにして寝るというのを実践したがった。

そこで、装備にはマットとロープを1つずつ持ち込んだ。

それぞれ初日は先輩が、翌日は自分がロープを敷いて寝た。

結論から言うと、ロープは寝られたもんじゃなかった。

殺生ヒュッテのテント内では、21時ごろ就寝したが、結局僕は0時に目が覚めてしまった。

それで泣きごとのようにもう寝られないので降りたいと訴え、

1時には下山を開始したのである。

 

連れていってもらう登山から脱却したのはこの頃からだったとぼんやりと思う。

この山行は紛れもなく先輩のおかげであった。

心に強烈な感動と達成感を植え付けて北鎌は終わった。

 

終えた後、きっと、次の目標が必要なんだろうな、と思った。

今度は、自分の力で。

自分の計画で。
クラシックなクライミングルートを、良い内容で登ってやる。
 

折しも、先輩はこの後から仕事が忙しくなり、一緒に登ることが減っていった。

 

僕はその後知り合った友人をザイルパートナーとして、

二人でステップアップをと登山を続けるのであった。

滝谷を登る計画を温めながら。

 

大切な思い出が槍ヶ岳のこのルートに詰まっている。

山を始めたきっかけは失恋である。
当時つきあっていて結婚まで考えていた恋人から別れを告げられたのがその年の暮れのことであった。

その時は随分と落ち込んだ。仕事に追われ、自由な時間も持てず、身を粉にして働いていたので、その境遇に精神が参ってしまって、夜も寝られなかった。じっとしていると悲しいから、要するに新しいことを始める必要があった。それで、仕事納めがあった大晦日に、旅行にいくことにした。

2013年のころである。既に廃れてしまっていたが、かろうじてチャットという文化がまだインターネットコミュニティには残っていて、僕はたまにそこで誰とも知らない人と会話に興じることがあった。

そこで栃木の人から旅行をするのならと「霧降高原」を薦められた。その人の名はもう思い出せない。
雪積もる年末に旅行で行く場所ではない。おそらくなにも考えず思いつくままに薦められたのだと思う。

僕はその霧降高原とやらを調べた。近くに女峰山という山がある。自棄になっていた僕は、誉められた話じゃないが、山登りでも何でもして途中で死んでしまっても良いと、本気で思っていた。そんな心境だから、熟慮せずにその霧降高原へ東武線の鈍行を使って行くことにしたのだった。

日光駅に鈍行で向かい、駅のホームに降り立ったのが16時頃だっただろうか。そのときの格好といったら上はジャンパー。下はチノパン。中にはセーターをきて頭にニット帽をかぶって、典型的な山を舐めた装備だった。一応というのも変だが、今は亡きニッピンでレインウェアとスノーグラバーという靴につける滑り止め、T字ストックだけは買っていった。

登山口までのアプローチはノープランでとりあえず近くにある日光東照宮にお参りに行った。大晦日の夜の境内は、明日の準備に宮司さんや職員の人たちが忙しそうだった。

別れた恋人とよりを戻せますようにとお参りしてから道路をとぼとぼ登り始めた。いったい、その晩はどこで過ごすつもりだったのだろう。

幸い、登山口までの道中にペンションが立ち並んでいた。年末に予約もしないで素泊まりで宿泊しようとする客をスタッフの人も不審に思ったにちがいない。

朝は0400に出発した。
都会を離れ真っ暗な道を一人で登ると初日の出を見ようと車がスピードを出して僕のすぐ横を走りあがっていく。持ってきていた懐中電灯を握り締めて車に自分の存在をアピールしながら雪解けた道路を息を切らして登った。

頂上で朝日を拝もうという思いとはうらはらに、登山口手前で日はあがってしまった。そもそもが出発時点で間に合う時間ではない。計画からして無茶苦茶だったが僕には関係のないことだった。

 

登山道に入った。トレースはしっかりと踏まれているが、周りの積雪は40cmぐらい。履いているスニーカーはすぐに濡れてしまうだろう。それでもそんなことでさえ僕には関係のないことだった。

社会人になってからまともに運動をしてこなかった体は70kgを越えていて腹肉はベルトラインにしっかりと食い込んではみ出していた。脚の力は自分の体重を持ち上げるのすら頼りなく、膝は痛み、雪に足を取られた。

自分の耳に大袈裟でうるさい自分の息づかいが響く。対照的に、雪山の中は信じられないぐらいの静寂に包まれていた。

山の中でひとり。久々に自分の声を聞いた気がした。心の苦しみを押さえ込んで人は毎日働かなきゃいけない。恋人を失っても日常は巡るから、辛いことを辛くないと思い込んで、機械のようにならなければ、動けなくなってしまう。

でも今は。

単純に苦しくてつらかった。急な斜面を喘いで、喘いで、今僕は自身の肉体のきしみを、悲鳴を聞いている。辛い!今までの僕は、その叫びをきちんと受け止めてあげられなかった。だから余計に辛かったのだろうか。山を登っていると、自分の身体は悲しいくらいに正直に、ダイレクトに、怖いことを怖いと、辛いことを辛いと主張した。

気付くとスノーグラバーの片方が靴からはずれてしまってなくなっていた。しばらく悩んで30分くらい付近を探し回った。多分、割と早い段階で、足を滑らせて取れてしまったのだろう。

諦めて、前進。この時の判断は今となっては間違いだらけだが、幸運にもその日の天気は僕に優しかった。

もう女峰山まで行くことは無理だとわかった。行き当たりばったりに近くにある1600mぐらいのピーク、丸山までと決めたが、トレースがなく、ラッセルなぞできるわけがなかった。そこでトレースのある道先にある赤薙山までをその日のゴールに決めた。

樹林帯をあくせく登るとやがて稜線にでた。白いスポンジのような新雪にウサギかオコジョのものらしき

小さな足跡が見えた。後少し。黙々と、内心戻れるのだろうかと思いながら足は止まらなかった。


11:30 赤薙山登頂。変な叫び声がでた。今の苦しみ、抱え込んできた今までの苦しみ、不純物のように、心に出来た染み澱んだものが、絞って、絞られて出てきた声だったのだろう。

木々に囲まれた山頂は、眺望はなかった。
しばらく頂上で座り込んで休憩した。随分長いこと居たような、でもほんの少しの間のことだったのかもしれない。

立ち上がったら右膝がひどく痛んだ。まだこの頃はちょっと歩いただけでランナーズニーになっていたから、階段を降りるときには文字通りカニのように歩かなきゃ降りれなかった。樹林帯の山だからまさか滑落するとまでは思わないが尻餅をついて滑るようにしてゆっくりと下った。

登山口までの下山時間は1600。こうして幸運にもピークが踏めて、怪我もなく無事に山を下りてこれた。登ったなら降りなければ帰れない。朝、登ってきた道路を、今度はゆっくりと下る。

駅に向かう道路から、赤薙山を振り返った。
振り返った山は、とても大きく見えた。
何も残っていない、デブな自分でもあのてっぺんに立つことは出来たのか・・・。

そう思うと妙な自信がでて、もうちょっと生きててもいいのかな、そう思えたのだった。

 

 錫杖岳登攀を一緒にしたA岡さん、A木さんと2人と別れた後、新穂高行きのバスに乗り込んだ。バスに揺られること10分、登山指導センターに到着。昨夜は錫杖岳からの下山に手間とりBCへの戻りが遅く、当夜から早出を諦め、出発は予定よりも5時間遅れていた。そのため当初予定では一気に北穂まで行くことにしていたがそれは無理と判断して南岳までの工程とすることにした。

 林道から途中、穂高平小屋へ向かうショートカットの道がわからず少し行き過ぎたりして時間を無駄に食う。それにしても退屈な道だ。一人で歩いていると余計にそう感じる。この林道は上高地よりも更につまらない。重たい縦走の荷物にジワジワと体力を奪われ、退屈な気分がそれを加速させる。

 

 連日の登山の疲れ、前日の長すぎる行動時間、熊笹の結露に藪漕ぎで全身びしょびしょ、一向にスピードが上がらない要因はいくつでも思いついた。天気は空からは晴れ間も見えていたが途中でぽつぽつと降ったり止んだりとしはっきりとしない。晴れ間が見えた時には昨夜の沢下降でびっしょりと濡れてしまっていたウェア類をバックパックの後ろに結んで乾かそうと試みたが結局乾くことはなかった。

 白出沢は林道沿いでは既に枯沢となっておりそのまま渡ることができる。チビ谷にも特に問題なく渡渉。滝谷の水量は気になっていたが、昨夜から降っている雨が小降りということもあり水量自体は大したことがなかった。ふと見上げると雪渓がブドウ谷に残っていた。雨の量が少々増えてきたこともあり避難小屋で一旦雨具を着る。結局槍平小屋に着いたのは12時50分。槍平小屋まで歩いてきてコースタイム通りのペースでしか歩けていない。やはり疲れているようだ。或いは単純に長距離の山歩きが久しぶりなので体力が落ちているのだ。



 南岳新道への道に入る。コースタイム通りに時間がかかると考えると南岳新道から南岳小屋までは4時間はかかることになる。休憩する時間はないなと思いながらキットカットとカロリーメイトをそそくさと口に入れてすぐに出発した。あまり調べていなかったが、南岳新道は木道やはしごが崩落している箇所が多々あり楽な道ではないのだとか。実際のところ、よく整備が行き届いた登山道とは言いがたいが、木道や木バシゴが腐り落ちていると言うだけの話であり、踏み跡が不明瞭だとか、倒木で荒れているとか、そういうことではなかった。

 

 標高2400メートルまで上がったところで、突然90ミリを超える大雨が降ってきて、雨合羽を慌てて着るが、体中がびしょびしょになる。道筋が沢のようになってしまった。特に岩場をトラバースするところでは滝が出来上がってしまっており、これには少々閉口した。ウェアを乾かすことなどとうに諦めていたがこの雨はダメ押しでザックの中、靴の中をすっかりと濡らしてくれた。げんなりしながらゆっくりと歩を進める森林限界が近づき、やっとハイマツ帯に入った。稜線まで上がってきたのだと思われ幾分か風も感じる。

この日は無風だったのが幸いだった、これが風が強ければ体が冷えてしまい、下手していたら撤退していたかもしれない。ハイマツ帯を抜けるとガレ場に入る。辺り一面の霧で岩についたペンキを探してゆっくりゆっくりと登る。時刻は4時前、結局コースタイム通りの時間でここまで登ってきてしまった。感覚的には登っているうちに体の調子も幾分か取り戻せ少しはスピードが上がると思っていたのだが。

この時は濡れた体を乾燥室で乾かしたいとそれだけを考えていたが、あくせく登って南岳小屋に着いたところで小屋泊まりをしない人は乾燥室は使えないのだと聞いた。この時点で明日の天気は決して良くはないと予報を確認していたため散々悩んだが、せっかくテントを担いできたこともあるし小屋泊まりはやめてテントを張ることにした。テント場には先客が1張りあるだけだった。

テントを張り終えて中に入り装備を確認したところ、寝袋は湿っていて持参した防寒着はずぶ濡れになっており昨日の沢下降で使った下着やシャツズボンは結局乾かなかった。ここから先は稜線歩きとなるので今までよりも風にさらされる時間が長くなる。そう考えて、防寒対策をどうするか検討することにした。

天気をチェックしたところ明日はいつのまにか午前中は晴れ予報に変わっていた。そこで天気が良い内に距離を稼ぎ、行けるところまで行こうと考えた。どちらにしろあさっての朝には帰りのバスに乗り込まなくてはいけない。そこで用意していた着替えをもう明日の時点で着てしまうことにした。テントの中にタオルをぶら下げ、終盤バテバテになってしまった体に温かいスープ、アルファ米のご飯を流し込んで明日以降の計画を考える。


 濡れたザックは重くまた体の調子も絶好調とはいかず明日も今日と同じぐらいのスピードか、それよりちょっと早いぐらいのスピードしか見込めないと考えた。そこでコースタイムを逆算すると西穂高に行くのはどうにも難しそうだ。予備日を使うかも考えるがバス代がもったいない。A木さんが新穂高に来るついでに自分をピックアップしようかと行って来てくれたのでその線も残しつつ、あさっての朝のバスには必ず乗って帰るという線で、今後の参考計画を考えた。

 この時期の下山に白出沢が使えそうだ。穂高小屋に到着した時点で下山をするかどうかをジャッジすることにする。ただしジャンダルムまでは行きたいと思っていたので穂高小屋に着くのが午前中なのであればジャンダルムまでは足を運ぼうと考えていた。
朝は4時に起床した。テントの中でお湯を沸かしアルファ米を2パック食べる。昨日降られた雨で濡れた装備は、やはり乾いていない様だった。

 トイレに行くためにテントから出ると満天の星模様だった。雲が低く立ち込めていて山腹に見事な雲海を作っていた。間違いなく今日はいい登山日和になるはずだ。テントの中も外も丁寧にタオルで結露を拭いて、手早く畳んで幕営地を後にする。出かける前にもう一つだけドーナッツを山小屋で買って食べる。さあ、初めての大キレット越えだ。
 

 

 大キレットに向かって歩き出す。一度大きく高度を下げてから北穂高岳に向かってギザギザに伸びるその稜線はなかなか見ていて壮大で面白い。信州川にはハイマツがあり飛騨側には切れ落ちたガレ。遠くから見ていても難易度が全く想像がつかないのでとりあえずは何も考えずに進んだ。

 南岳からの大キレットは急峻な岩場を下っていくところから始まる。鎖やはしごは随所に設けられている。鎖場を下りきると痩せ尾根の歩きが始まる。突入前に見た限りでは、さほど切れ落ちている様にも見えなかったが、確かにこの尾根道も、そうやって眺めた時のイメージを越えてナイフリッジであるとか通過しづらいポイントと言うのはなかった。
 

 長谷川ピークも飛騨泣きもそういった意味ではテクニカルな難易度というのは感じなかった。が北穂への登り返しはやはり体力がいる。出発が5時と少し遅くなってしまったのだが7時45分には北穂高岳に着いた。東稜をやった時と、滝谷ドームをやった時に、北穂高岳は何度も登っているのでそのまま通過。小屋で水分補給だけを行った。

 南岳から奥穂高岳までの工程に個人的に核心部のポイントをつけるのだとしたら、まさに北穂高岳から涸沢槍までの工程が一番スリリングだったかと思う。大キレットよりもむしろ鎖が整備されていないポイントがある分こちらの方がきわどいのではないかと思う。また登り返しの標高差もこちらの方が大きい。朝の元気もどこへやら、10時過ぎに涸沢岳に到着した時にはそこそこの疲労がすでに体を蝕んでいた。涸沢岳から穂高小屋までは20分ほどで到着、時刻は10時半。午後から天気が悪くなる予報で西穂まで時間通りに辿り着けるか自信がなかった。

 昨日のテントの時点で翌日の朝のバスに確実に乗るには白出沢を下降することだと考えていたので、予定を変更して白出沢方面に降ることにほぼ心中は決めていた。穂高小屋で白出沢の雪渓の状況を小屋番の人に聞くと特に問題はないとのこと。まだ時間が早いのでザックを空身にして、ジャンダルムまでは進むことにした。


 穂高小屋から奥穂高岳までは数年前のゴールデンウィークに登ったことがあり、その時の印象からも大してピークは遠くなかったように思う。そして奥穂高岳から見えるジャンダルムも近くに見えた印象があった。奥穂高岳から1時間程度で行けるようだ。であれば、1時半頃ぐらいまでには穂高小屋へ Uターンしてこれる。夕方下山は難しそうだが、日が落ちる前までには林道に降りられるだろうと目算して、重たい荷物を小屋でデポして、奥穂高岳まで登った。

奥穂高には11時20分頃到着。そこからジャンダルムに向かって足を伸ばす。奥穂高から見えていたジャンダルムはうっすらとガスを被っていたがそこまで遠くには見えなかったのだが馬の背を超えると随分と上り下りが多く向かうのが億劫に思えた。大キレットと比べてもこの道は普通に技術的にも危険箇所が多く、大キレットで鎖がついているところより、むしろここにつけるべきだと感じた箇所は多かった。岩はしっとりと濡れており、RCC グレードで言うのであれば、鎖に頼らないと言う前提でIII級はつけても良いという感じ。

 ロバの耳をこえてジャンダルムを登ろうと近くまで来ると巻道しか見当たらない。実際にはここは信州側を巻いて、西穂高の側から登れる道が付いているそうなのだが、奥穂高からの壁は垂直で立ってはいるものの、III+~IV- 級程度の岩に思えたのでザックを下ろして空身で直登した。

ジャンダルムに到着して記念撮影を済ませるとそそくさと穂高小屋へ引き返す準備を始めた。今度は西穂高側からの道を下っていたが、この時、焦りから痛恨のミスをしてしまった。行きで巻道を通ってこなかったので、軽く道をロストしてしまい、30分ほどデポしたザックの場所探し回ることになってしまった。何のことはなく、明瞭な巻道を、奥穂高岳方面に向かって少し歩けば良いだけだったのだが、感覚的に直登したこともあり、もっと近くにザックがあるはずだと無駄に探し回ってしまったのだった。


 西穂高から奥穂高方面のジャンダルムの道はそこまでわるさは感じずすぐに穂高小屋へ戻ることができたが穂高小屋へ戻った時点で、時間としては既に2時を回っており、下山が夜になる事は確定的であった。夕方にA木さんが車を取りに来るのでタイミングが合えば乗せてもらえることになっていたがこれは無理だなと思いA木さんへは白出沢を下降するつもりであることと、間に合いそうにないとLINEで伝え、ピーナッツを腹に流し込んで下山を開始。

白出沢ガレ場をただひたすら降る道で全く面白みがない。またそのガレ場が安定しているわけではなく結構浮石も多いので気を使う。さらにはぐじゅぐじゅに濡れた靴でずっと歩き続けた成果足に水泡ができてこれがまたとんでもなく痛かった。スピードも相変わらず上がらず遅々として高度は下がらず、足裏の痛みにやや顔をしかめながら荷継沢分岐に着いたのはすでに4時を回っていた。分岐から1時間ほど歩くと白出沢の渡渉地点重太郎新橋なのだが、その前に荷継沢でも渡渉があり、その渡渉が結構悪かった。また渡渉を終えた後、岩切道を進むのだが、これが下の廊下や水平歩道のようなつくりで左側に落ちたらほぼ助からない高さの嫌らしい道だった。

 滝谷大滝の 轟音にビビりながら重太郎新橋を超えると後は安定した下山道をひたすら降るだけ。長かったがいよいよフィナーレが近くなり足の痛みをごまかしながら降る。林道に出た時点で6時を回り徐々に暗くなる時間と差し掛かっていたのでヘッドランプをつけて最後の林道歩きを開始した。林道の歩きは10km ほどまだ残っている。新穂高温泉口までのいわゆる完全な下山は20時を回ってしまうだろう。雨と沢の音が耳に響く。ヘッドランプの光に向かって羽虫が突進してくるのが鬱陶しかった。

 毎週の様に沢登りをしてバリエーションをして雪山でラッセルを漕いでいた様な一昨年とは状況が違い、結局のところ、体力が自分の思うレベルではなかった。マラソンなどでも一度ブランクを作ってしまうと、心肺を元に戻すには2ヶ月から3ヶ月はかかると言う。事前に突貫で自転車に乗ったり低山のハイキングを2回行っただけでは、満足のいくレベルでの山行など不可能だということだ。色々と反省しながら歩く真っ暗な林道はひたすらに退屈で自分の体を心身ともに鞭打つのだった。

単独で沢をやりたい

 

突如思い立ったのは3日前。
もうちょっと厳密に言うと

「山に行きたい、どうせ行くなら沢を独りでやりたい。」

ということになる。

 

 この日の一週間前、那須の井戸沢に6人で入渓した。8月も7月もまともに山登りをしていなかったから体力が落ちてることは容易に想像できた。井戸沢はそれはもう美渓だったし、距離は短い、詰めは簡単と言うこと無い沢だったが、それでも詰めあがりで傾斜が立ってきたときは正直結構ばてていたのをポーカーフェースでごまかしていたのだ。

 

 おまけにこの山行は色々とめんどくさいことにメンバーの軋轢がでた。下界の嫌なことを捨てに山に行っているのに、その山でなんで嫌な思いをせにゃならんのだ、という気持ちが残ると、せっかく楽しい沢だったのに心にしこりが残る。

 

それで心が山を求めていた。

それも独りで没入できる山。

前回の鬱憤をはらしたいがための、孤独なやつ。

 

ただクライミングの勘も2ヶ月近く休んでいたので、

一本沢をやったきりで戻るわけもないし、

体力だって落ちてるので難しいところは行けない。

RCCグレードでIII級ぐらいの滝があってコンパクトに登れて、

公共交通機関でアプローチできる沢という条件で探すと真名井沢になった。

 

 前々日の夜中適当に計画書を作っておいたが、

前日は仕事で接待があり、パッキングすらせずに就寝。

3時頃目が覚めてから遡行図と地形図を印刷するという突貫な決行経緯だった。

 

0700 奥多摩 川井駅着
 実はこの時点でビニールチャックの袋に入れた遡行図と計画書、地形図を紛失していた。電車の中で落としたのか、完全にアホである。仕方ないのでスマホに写真でとっておいた地形図から地形と標高を頭の中に叩き込んで、そのまま行くことにした。

 

 駅前のトイレでたっぷり時間を使って、そこからアスファルトの坂道を歩き出した。真名井沢の出合いは駅から一時間ほど歩いたところで、真名井林道との分岐にさし当たる。そこから入渓するのは早すぎて、林道をそのまま歩いて真名井沢から林道がそれる手前の細い作業道に入り、丸太橋を越えたあたりで着装し入渓した。

 装備は30mダブルロープ(撤退用)と登攀具一式、靴はフェルト底(フェルトしか信用できない)、ハンマーとハーケンは使わないだろうと置いてきた。

この他沢にはたわしを必ず持って行くことにしている。

 

0830 入渓
 

水は冷たすぎず、天候が思いのほか晴れたためアプローチで熱を持った体に気持ちがよかった。このぐらいならシャワークライミングだってやったっていい。わさび田の跡を小砂利が堆積した浅瀬をジャブジャブ突っ切って歩く。途中、堰堤が3度ほど。岩を積んで作った堰堤で隙間を手がかりに巻かずに直登できる。

 手に金具の錆がべったりと付いてあまりいい気分ではないが

巻くのも面倒なのでそうやって突破した。しばらく歩くとゴルジュの渓相となり、

3mぐらいの滝が現れる。

 

 

右壁から容易に巻けそうだが左は垂直。

だが細かいのを足で拾ってへつっていけばいけなくもなさそうだ。
釜は深く、自分の背丈ほどある。
落ちて怪我はしなそうなのでトライすることにした。沢だから遊ばなくちゃ。
慎重にへつっていくが終盤両手をサイドプルで引いて、

右足をスラビーなフットホールドにおいた瞬間、足が滑った。
そのまま釜に落ちて肩までじっくり流水につかる。

冷水に体温が一気に奪われ、変な声がでた。

岸に捕まり脱出する。息を整えながらぼんやりと思う。例えば仲間と来ていたらこれはきっと笑い話だ。でも独りだと誰も笑ってくれない。何やってんだよと一人ごちた。2度目のトライで抜けたが、山行をひとつの作文と例えるならば、安全を確かめてからやったとはいえ、単独の身でありながら落ちたという事実が、消しゴムでカスをまきちらして作文用紙を汚したような気分だった。

 

0940 魚留めの滝

平凡な沢を黙々と遡行していくと、630m地点で分岐が現れる。ここを左に進路を取ると、6m魚留めの滝が出現した。今日は全体的に水量は多めだ。右壁がガバだらけに思えたのでそこから取付く。体感III級だが、もうちょっと水流に近いラインを辿るのが理想だった。ともあれ釜もないこんなところで落ちるわけにもいかないのでさっさと登りきる。クライミングの難易度は、実際に登る壁を見てみれば(取付いてみればもっとだが)、なんとなくわかる。だが、単独の場合は、「絶対に落ちられない」のであって、「技術的に落ちようがない」とはベクトルがまったく違う。やたらと今回緊張したのはそれが原因だろうか。

 

 

この滝を超えると、後はもう小滝の連続といった体で、コンパクトな滝を気分によって色々なところから登ってみるという感じだった。一方で、歩いてみてなんかつまらないと思ったことも覚えている。良くも悪しくも、ザ・奥多摩の沢 であって、源流になるにつれて倒木が増え、滝に丸太が詰まり気味で、豪快さに欠けた印象だった。

 

1040 分岐~詰め

 

沢の終盤を意識して詰めのタイミングをはかるため、左を眺めながら遡行を続ける。

相変わらず倒木が多くげんなりする。くぐったり、またいだり、こういうのはあまり楽しくない。枝沢が多くなり、現在地を掴むためコンパス片手に携帯を取り出した。画像をもとに位置の同定すると、そこそこ詰めあがれるポイントに近いようだ。遡行図を見ると、植林帯から傾斜が緩むらしく、そこから詰めるのが一番楽なようだ。


やがて、石積みの枝沢が左手に見え、正面に植林された尾根、右手に倒木だらけの枝沢という分岐に到達した。どちらに進むか迷ったが、腹が減っているのに気づき、ここでピザサンドを食べて休憩を入れる。汗をかいた体に、塩分のきいた食事が染みわたってとてもおいしい。ふと、こんな時間に、こんな沢床で、サンドイッチを食べてるのは自分だけ、という感覚に陥って、感慨深くなる。今自分は山に独りでいる。自分だけの時間の使い方をして、こんなところでご飯を食べていると思うと、得も言われぬ幸福を感じる。この感覚は中々山をやらない人には理解されないだろうが、山を登る人なら誰だってこんな気分になったことがあって、この気持ちを共有できると思う。

 

20分ほどのんびりして、11:00から正面の植林帯に突っ込むことにした。斜面は傾斜30度ほどで、泥と軟土にこの傾斜は中々疲れる。詰めはいつだってこんな感じだ。できるだけ樹木の根を足掛かりにするようにして、ジグを刻んで登っていく。足が沈むと疲れが倍増する。脹脛の筋肉の負担が、しっかりした足場でないと大きいのだろう。詰めはどのぐらい長くなるのか読めないため、できるだけ脚力を温存しながら息を切らしてじりじり上がっていく。

 

当初、沢床から見えていた稜線らしきものまで15分ほどあくせく登り、傾斜が一気に緩んだが、まだ登山道からほど遠いことに気付いた。がっかりしながらまた苦闘すること15分、ようやく登山道に出る。

 

それにしてもブヨやアブが多い。絶えず周りを飛び回っていて、うるさくてたまらない。登山道脇の岩に腰かけて、解装。沢靴もNBのミニマスに履き替える。その間ずっとこいつらに悩まされた。ハナアブだろうか。

 

1130 登山道~1345下山

荷物をまとめて南に進路を下ると、丁度エビ小屋山への岐路になった。詰めあがったところから1分も歩いていないので、結構いい精度で詰めあがれたようだ。奥多摩の無名のピークにさしたるこだわりもないが、一応元々ピークハンターの気質があった人間としては、行っておくかと思い、山頂への道を登る。奥多摩らしい、眺望も何もない山頂であった。

 

引き返して下山路を下ると、すぐに砂利道、アスファルトになった。これには驚いた。

意識せずに下り続けると、真名井線を下ってしまっていた。本来赤杭尾根を下るつもりだったので、これはいけないと登り返すが、どこで分岐を間違えたのかさっぱりわからない。今歩いている道路のすぐ隣に、登山道があるはずで、途中で分岐まで戻るのがめんどくさくなり、藪に突入して登山道まで藪漕ぎをした。

 

赤杭尾根はところどころ荒れているが、まだしっかりと道はついている方で、注意しなければ迷うような箇所はなかったように思う。道中、やたらときのこが目に付いた。登るときは良いのに、下山はいつだって退屈だ。イライラしたのか、きのこが許せなくなり、立派な傘の開いたきのこを見るや蹴飛ばして降りた。

↑シロオニタケ

 

今回は沢を降りたら温泉に入ろうと思っていたのだ。でも赤杭尾根から下れる古里駅付近には、どこにもそんな温泉が無いことを悟り、また残念だった。

 

 

 

この趣味を見つけなければどうなっていたことかわからないほどに、

あるいは、登山をやってない自分の姿が想像つかない程度には、

山が好きです。

 

写真を撮るのが好きでたまに登山アルバムを眺めますが、

その時どんなことを考えていたのかをもっと具体的に記録に

のこしたくてブログを5年ぶりぐらいに始めました。

 

それではよろしくお願いします。