「北鎌やろう」
登山を始めて半年。呑み会で先輩にそう誘われた。
この先輩は新米だった僕を連れて
沢や岩に何度か連れていってくれていた。
酒の席、次はどこをやろうみたいな話になり、そう決まった。
予定は9月。
やりますと、意を決して返事をした。
「水俣乗越からやるのと貧乏沢からやるの、どっちがいい?
楽なのは水俣乗越だけど貧乏沢からで良いよね。」
はい、とよくわからず言った。
北鎌尾根というクラシックルートに対する憧れは漠然としていて
どちらかというと槍ヶ岳に初めて登るという事実の方にわくわくしていた。
自分でも、ミーハーだと思う。
やると決まったら、先輩から走り込みをするように言われた。
山歩きを始めたころ、腸脛靭帯炎によくなっていた。
半年で肥満気味の体重は10kg以上落ちたが、山登りの筋肉は足りてなかったのだろう。
下山時の膝の痛みは悩みの種だった。
きっと先輩はそれを知っていたから、
もっと脚力、体力をつけろとアドバイスしてくれたのだろう。
その日からエスカレーターを使うのを辞め、
階段をつま先だけで登るようになった。
帰宅ランを取り入れて、毎日5kmの距離を走った。
つらくなったら、お前は北鎌尾根でも疲れたら
もう歩けないと諦めるのか、と自分を鼓舞した。
単なる危ないやつである。
北鎌の予行で、鶏冠谷左俣から鶏冠尾根をやって、迎えた北鎌本番。
山岳遭難保険にも入ったし、やれるだけの準備はやったぜ、と挑んだ。
まずは合戦尾根を登って燕山荘まで。
燕岳も登っとく?と言われて往復した。
初めての北アルプス。自分の中で大きく捉えすぎていて、
思ったより普通の山々なんだな、と感じた。
山荘でコーラを飲んでから大天井まで。
この歩きは太陽が暑くて、のどがカラカラになった。
大天井から振り返った表銀座は雄大で、そこに爽やかな風が吹いてきた。
貧乏沢の下降口を探して右を気にしながら歩いていると、
すんなりと沢への踏み跡が見つかり、ハイマツを分け入っていく。
道中、蛇イチゴがなっていた。
貧乏沢の水量は結構なもので踏み跡を見つけるのも下手でこの沢の下降はてこずった。
一度など滑って転びそうになり、後ろから先輩にザックをつかまれてバランスを持ち直したこともあった。
なにやってんの、しっかり足元見ないと!と怒られたことを思いだす。
沢に降りきったら足裏はくたくたで、
天井沢のキンキンに冷えた水をいっぱい飲む。
味噌汁を飲んでアルファ米を食べてシュラフにもぐりこむ。
貧乏沢では誰にも会わなかったが、
沢床には10張り以上テントがあって、
明日、皆、北鎌を登るのだと思うとちょっと心強く感じた。
足裏が痛かったが寝入ってしまうまでひたすらにもんでマッサージした。
翌日の行動開始は5:20、北鎌沢をもくもくとあがる。
踏み跡があちこちにあるが、最初の分岐を右に行き、
後は左。右手の尾根に向かう沢に入らないようにすれば問題ない。
踏み跡だらけで迷いやすいのは確かである。
北鎌のコルまであがると、どかっと腰を下ろして休憩。
次々に後続が上がってくる。
この日はアンザイレンしたガイドさんが多かった。
先輩が
「3人以上のアンザイレンなんて、
落ちられたら絶対とめられないだろーけどああせざるを得ない。
勇気要る仕事だわ。」
とぼやく。
独標までの歩きは、鶏冠尾根と雰囲気が似ていた。
先輩がハイマツやシャクナゲは信用できる手掛かりだ。
躓いたらここからは致命的だ、しっかり歩け、と言ってくれた。
予行で鶏冠尾根をやっていて良かったとシンプルに思った。
今思えばそうした段階を踏む計画を考えてくれていたのだろう。
独標トラバース、コの字岩の通過は問題なく抜け、
独標へ階段状の岩を登ると、ドーンと見える大槍へと続く北鎌尾根の全容。
槍の穂先には雲一つない。テンションあがるぜ、と気合が入った。
でも北鎌はここからが長い。
北鎌は迷ったら稜線通しで行くのが良い。
巻いたり、下ったりと思い思いのルートを歩くと、突如として思いもよらないガレやザレ場にいることが多かった。
めちゃくちゃ滑って焦る。落石だらけで焦る。
そうしたルーファイの難しさがここからはずっと続く。
北鎌の核心はP13とかP14の、このあたりだったと思う。
標高も高いので、ばてやすい。
それまで一度も自分から休憩を言い出さなかった先輩が、
この時の一回だけ、休憩しよう、と言い出した。
北鎌平まで来れば、穂先は近い。
大槍手前のチムニー。
がっしりと岩をつかんで足を上げると、
先輩から「ナイス」と声がかかる。
憧れだった槍。つらいことや苦しい事。
色々あって始めた登山。
去年の今頃の自分は、こんなとこにいるなんて
露ほども思って無かったろうな。
万感の思いが頭を過った。
ばれちゃいないだろうが、ちょっとだけウルウルしていた。
槍の穂先で記念撮影をして、
殺生ヒュッテまで降りてきて、
テントを張った。
余談だけど、先輩は、ロープをマット代わりにして寝るというのを実践したがった。
そこで、装備にはマットとロープを1つずつ持ち込んだ。
それぞれ初日は先輩が、翌日は自分がロープを敷いて寝た。
結論から言うと、ロープは寝られたもんじゃなかった。
殺生ヒュッテのテント内では、21時ごろ就寝したが、結局僕は0時に目が覚めてしまった。
それで泣きごとのようにもう寝られないので降りたいと訴え、
1時には下山を開始したのである。
連れていってもらう登山から脱却したのはこの頃からだったとぼんやりと思う。
この山行は紛れもなく先輩のおかげであった。
心に強烈な感動と達成感を植え付けて北鎌は終わった。
終えた後、きっと、次の目標が必要なんだろうな、と思った。
今度は、自分の力で。
自分の計画で。
クラシックなクライミングルートを、良い内容で登ってやる。
折しも、先輩はこの後から仕事が忙しくなり、一緒に登ることが減っていった。
僕はその後知り合った友人をザイルパートナーとして、
二人でステップアップをと登山を続けるのであった。
滝谷を登る計画を温めながら。
大切な思い出が槍ヶ岳のこのルートに詰まっている。























