ずっと昔の話、何度も書いてるがフィリッピンで考えた。

フィリッピンでは女は自立を目指し、

男の仕事は種付けに尽きる、どうも男女ともにそー考えているようだ、

で、男は自由に遊んでいる。

一緒に遊ぶならフィリッピンの男が一番だ、と云われるが

彼らは遊ぶ時は底抜けだ。

 

 彼らを見て、これがスペインアメリカによる500年の奴隷教育の

成果だなと思った。

その時考えたのは最高の奴隷の条件は逃げないことだと。

昔の日本なら男はみな山に逃げ込んだ、

どんな天災があっても山に行けば生き延びられると云われた。

山で水を得て、衣食住を得る方法を日本人なら身に付けていた。

フイリッピンの男はその術を持っていないから逃げないのだと。

タイやベトナムはせいぜい100年の植民地、その彼らとは魂が違う。

 

フイリッピン人は高校まで出ても読むのが苦手、書くのが苦手、

計算できないと三拍子揃っている。

家には読み書きそろばんの道具が無い、聖書すら無い。

教育は奴隷売買を生業としていたイエスズ会などが今なお

牛耳っている。

彼らの家をずっと泊まり歩いたこれは僕の偏見だ。

 

 手に職を付けろ、芸を身に付けろとは昔から云われてきたこと。

これは奴隷にならない法でもある。

日本の乞食は外国の乞食とは違う、メクラでもオシつんぼでも

片輪ですらも自立を仕込まれる。

川原乞食は芸で身を立てる。

現在のホームレスだって廃品を拾い、ネコババはしないという規律を

保っている。

パラリンピックだって世界を制する。

ジプシーやクルドが盗みをするのは彼らの文化だ。

 

僕はサラリーマンを経て、サラリーマンが務まらず仕方なく

自営業で生きてきた。

どこでも生きていけると思っていたがフィリッピンで少し人生観が変わった。

僕の生きる術は任侠、つまり人の間で生きる術でしかない。

 

今年は都心の先輩のマンションでしばらく暮らした。

周りには名だたる企業の本社ばかり、便利で優雅に暮らした。

サラリーマンが出世を目指せば本社に行かなければならないという。

 

本社とは何も生み出さないもの、手足を操り金を稼がせるのが機能の全て。

そのくせ働く者の所得は東京は地方の倍以上だ。

日本は国譲りの昔からモノつくりの国だ。

国譲りで日本は大国主の商業国から産業を生む国に生まれ変わった。

お金を動かすのが本社機能ならば本社はお金に依存する存在だ。

お金はお金以外を生み出さない、実業では無く虚業だ。

 

現在ほど雇われ人、サラリーマンが大勢を占める時代は無い。

投票による民主主義のもと投票率が低いのは彼らが会社に依存して、

国という概念を捨てた結果であろう。

 

このブログで日本人のフィリピン人化を何度も書いているが、

日本のサラリーマンは只の読み書きのできるフィリピンの男になるだけでは

ないのかしら。

サラリーマン根性が奴隷根性に歩み寄る。

 

僕はフィリッピン人は好きだがサラリーマン根性は嫌いだよ。

昔は似顔絵を描いて、子どもをあれこれ手なづけてフィリッピン暮しをしたが、

ぎりぎりコロナ前に行った時はたくさんの民家のかまどの改造をして喜ばれた。

フィリッピン人はいつも疲れている。

仕方ないねが口癖だが、哀しきフィリッピン人は好き。

でも日本人は違うだろ。

 

 

フィリピンにはなぜ子供が多いの?! | 誰でもヒーロー

サラリーマンがコストになった時、

奴隷にずいぶん近づいたと思わないか。

そういう思考を進めちまうと家族だってコストになっちゃうぞ。

子どもはお金がかかるから生まないなんていってるのも

コストパフォーマンスだろ。