誰のせいでもありゃしない。
善いことも悪いこともみんな自分の行いの結果だ。
どんなに悪い結果だとしても受け入れるしかない。
今の自分の全ては全て自分の歩んだ道だ。
良い悪いと考える前に肯定する、納得するしかない。
自己とは肯定するところから始まる。
バカの壁は自分の壁だからね。
自分のほとんどは遺伝で出来てるのだそうな。
それに気づきあがらうこと、
父親の壁に気づきあがらうこと、
これが思春期、反抗期とよばれる。
あがらった挙句に作り上げてきたはずの自分も
老いれば子どもに戻る。
努力という化けの皮がはがれるのが老いるということなんだそうな。
何のことは無い。
努力して上げた偏差値も本来の自分の偏差値に戻ってしまうという。
本来の遺伝が後天的な資質を消してしまうのだそうな。
遺伝は人を支配する、人はそれから逃れられることは無いという。
なるほど昔の人が血筋というものを大事にしたのは
それが分かっていたということだな。
百姓の出身者は百姓に戻り、
武士の出身者は老いても武士で在り続けるということだ。
時代遅れの偏見と云われるだろうがこれが真実だという。
どんな功なり富を築いたものも最後は出自が現れるということだね。
老いて先祖からの血に気付くことは自分が何物でも無い、
遺伝子の乗り物だと気付くこと。
自分があるのは何億人もの先祖の営為のお陰で在ると知ること。
文化伝統というものは自分の血肉のなかに在ることを知ること。
自分の壁は自分の人生で作り上げてきたものかも知れないが
老いてはその壁が低くなる、
壁は自分を守る鎧でもあり、自分を閉じ込める牢獄ともなる。
これが低くなるということは丸くなる、
我が取れるということなんだろうね。
老いても我がとれない僕はまだまだ修行が足りないのか、
お迎えはまだまだ来ないということなんだろうか。
自分が自分でしかないという悲哀は充分に味わっているんだがねえ。
朝っぱらから情けないことを書いてる僕なのです。