〜電車で書く日記〜通勤2時間半の現実逃避

〜電車で書く日記〜通勤2時間半の現実逃避

通勤時間にする事に悩んだ挙句、何か発信をしてみようと思いました。語彙力、文章力のなさを少しでも補えればいいなって思います。

様々な人とブログを通して色々話せればと思ってます。

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東日本大震災

今から約9年前の出来事です。

忘れかけている恐怖を綴り思い出しながらあの日を振り返ります。

まだ学生だった僕は学校が終わり自宅にいました。

その日は友達と出掛ける約束をしてました。
制服から着替え髪をセットしてる最中

突如揺れ始めました。

大丈夫だろうと止まって静まるのを待とうと思いましたが本棚から本が落ちて来て、やばいと感じ窓から外に出ました。

たしか今日のような穏やかな気温で寒くなかったと思います。

靴もなく、外に出ると園バスが外に止まって園児たちも外に出て先生と共に固まっていました。

幸いにも周囲の人は怪我もなく、良かったと安堵しましたが電気が使えない、ネットも繋がらない。

状況が全くわからず不安な気持ちになりました。

学生ってアホだなと思いだすのは、
何が起きたのか自転車で市内をまわりました。

すると、建物は被害はないものの
マンホールは外れ吹き出していたり、
電信柱は曲がっていたり
駅には帰れない人が溢れていた。

帰宅してテレビやネットが繋がり騒然とした。
津波の映像、混乱する情報
原発の被害、稼働状況は嘘ばかり

同じCMが流れ、ニュース一色のテレビ

計画停電で真っ暗になる家の中、街

もっともっと悲惨な思いをしている人が多くいて
なのに何もできない虚しさ

歳をとり色々な人と関わるようになり、被災地の人とも友達になり話を聞いた。

漁港は崩れ、家は崩れ、親戚は亡くなり、
何も無くなったと言っていた。

それでも彼は笑って話してくれた。
どんな顔で聞けばいいのか正直わからなかった。

地元でも被災地の人を受け入れていた。
閉鎖した学校に避難所が出来た。
学校の同級生に被災した子が来た。
仲良くしたくてもなんて声をかければいいかわからない。今思えば、たった一言の勇気だったのかもしれない。
動けなかった自分が情けないです。

社会人になっても震災の影響は大きかったんだと感じた。家を売る仕事をしてたのですがお客様の中には東北出身の人もいました。

話を聞くたびに、どう反応すればいいのかわからない。返りたくても帰れないと言う人もいました。家族が亡くなってしまった話も聞きました。
1度話しただけの自分には何も出来ないと思ってしまいました。

震災では給付金や補助も多く出て、
当時小学生だった子供が大学生になり、高校生になり友達は関東の方が多くなってるケースもあるんじゃないでしょうか。

東北に戻るよりも関東に住んだ方が家族にとっても幸せかも知れないと関東に移住を決めたり、その背中を押せた事は少しは助けられたのかなと思います。

そんな中、昨年ハワイアンズに遊びに行きました。
ハワイアンズの周辺も少し周りました。
整備されてきて、復興が進んでる感じがしました。人は強いなと灯台やイオン、港、水族館

人は少なかったですがキレイになってました。

これから、東北には旅行だったり東北の商品を買ったり少しでも力になれればと思います。

思い出す事が弔う事にもなります。
忘れないように心に刻みたいです。