ジェフリー・チョーサー

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ジェフリー・チョーサー
ジェフリー・チョーサー
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ジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer, 1343年 頃-1400年 10月25日 )は、イングランド詩人 である。当時の教会用語であったラテン語 、当時イングランドの支配者であったノルマン人 貴族 の言葉であったフランス語 を使わず、世俗の言葉である中英語 を使って物語を執筆した最初の文人とも考えられている。

[編集 ] 来歴

ロンドンのワイン 商 人の家に生まれる。彼の家系はもともとイプスウィッチの商家の出で、名前の『チョーサー』はフランス語の『靴職人(chausseur)』から来ていると 言う。父親ジョンは叔母に自分の娘と結婚させようと強制的に連行、叔母は投獄の上に250ポンドの罰金を支払う事となったと言う。結局父親ジョンは娘と結 婚、叔母の所有するロンドンの店舗を受け継ぐ事になる。このようにチョーサーの出自は当時のイングランドの上流あるいは裕福な中産階級の出自だったと思わ れる。チョーサーは1357年エリザベス・ドゥ・バーグ (ウルスター伯爵夫人)の台帳にその名が見られる事から父親の縁故を使い貴族社会の仲間入りとなり、廷臣、外交使節、官吏としてエドワード3世リチャード2世 に仕える。エドワード3世に仕えていた時にウルスター伯爵夫人の夫であるライオネル・アントワープ (第1代クラレンス伯)とともに敵国フランス へ渡航、ランス にて捕虜となり獄につながれたが、エドワード王が16ポンドの身代金を支払い釈放される。

それ以降しばらくの間チョーサーの消息は歴史から消える事となるが、恐らくは使節としてフランス、スペイン、フランドルに赴いていたものと思われ る。またこの間サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼の旅を行っていた可能性もある。1366年になると彼の名が再び現れ、エドワード3世妃フィリッパ・ エノー(Phillippa of Hainault)の侍女であったフィリッパ・ドゥ・ロエ(Philippa de Roet)と結婚する。そして後に王妃の妹の夫であったジョン・オブ・ゴーント が彼のパトロン となる。

この頃のチョーサーは法律を学んでいたと思われるが、資料にはそれを示すものは残ってはいない。1367年 6月20日 に彼は側近、ヨーマン 、あるいは騎士 に次ぐ身分である郷士 の身分となったと記録されている。彼は何回も海外へ出かけていたが、その中の何回かは側近として赴いたものであった。

チョーサーは外交使節としてイタリア を訪問、この時イタリアの人文主義者 ・詩人のペトラルカ と親交を結ぶ事になるが、この2人を結びつける事例として1368年 に主人であるライオネルがガレアッツォ1世・ヴィスコンティ の娘ヴィオランテと再婚した事が指摘されている。ミラノ で行われたこの婚儀にペトラルカは出席しており、この時チョーサーも出席していた可能性がある。そしてペトラルカの影響からチョーサーは彼が用いたソネット 形式を英文学 に導入する。 多彩な学歴を持ち、学識が豊かで、"The father of English poetry"(英詩の父)と呼ばれる大詩人となった。

また1370年 には軍事出征の一環としてジェノア1373年 にはフィレンツェ に赴いている。また1377年 にもチョーサーは旅に出かけているが、この内容は分かっていない。後世の書類から、百年戦争 の終結を図るためにジャン・フロワサル とともにリチャード2世 とフランス王女との婚儀を進める密命を帯びていたと思われる。後世の我々から見た場合、現実には婚姻はされていないのは分かっているので、もしそうであったのなら、これは不成功に終わった事になる。

1378年 にチョーサーはリチャード2世の密命を帯びて、渡航。ミラノのヴィスコンティ家 と傭兵隊長ジョン・ホークウッド と接触、傭兵を雇い入れるために交渉する。この時チョーサーと出会ったホークウッドの井出達がカンタベリー物語の「騎士 の物語」への影響が見られる。ホークウッドの井出達は騎士というより14世紀傭兵 そのものであった。

なお、彼を称えて、小惑星(2984)チョーサー が彼の名をとり命名されている。

[編集 ] 著作

主著『カンタベリー物語 』はボッカッチョデカメロン 』の影響を受けた作品で、カンタベリー大聖堂へ向かう巡礼者たちが語るという体裁の説話集。未完ながら中英語 を代表する文学 作品のひとつである。

[編集 ] チョーサーを題材にした映画

2001年 製作のアメリカ映画『ROCK YOU! (ロック・ユー!)』は、チョーサーが何をしていたか不明とされている1370年頃のヨーロッパを舞台とした物語で、チョーサーはジュースティング(馬上槍試合)に挑む主人公の仲間となる、重要なキャラクターとして登場。ポール・ベタニー がチョーサーを好演した。