●スイス・「アスコナ・コロニー」
 70 年前後のヒッピーが、アムスとカトマンズをメッカとしたことを思い起こせば、当時のボヘミアンにとってのアスコナを理解できるだろうか。スイス東南端、マ ジョーレ湖をのぞむ寒村アスコナには、19世紀末から資本主義と工業文明に反発するボヘミアンらが集まり始める。そして1900年、この地の「モンテ・ ヴェリタ」(真理の山)という山に自然療法のサナトリウムがつくられると、ここに芸術家や心理療法家らが集まり、一種のサナトリウム文化が生まれ、コロ ニーが形成されてゆく。それがアスコナ・コロニーであった。
 バクーニン、クロポトキン、レーニンといった革命家をはじめ、ヘルマン・ヘッセ、カフカ、D・H・ロレンスといった作家、さらにはC・G・ユング、詩人 フーゴー・バル、モダン・ダンスの創始者イサドラ・ダンカンまでもが、この地に参集したのである。それは誇大な言い方をすれば20世紀文化の見取り図が、 ここで描かれたようなものだった。
 革命と精神分析とダダイスムとモダン・ダンス。
 1916年、フーゴー・バルはチューリヒの「キャバレー・ヴォルテール」で、ダダイスムの狼煙をあげ、イサドラ・ダンカンは20年代ベルリンやパリで、ダンスを革新する。
 もっともそうした有名人ばかりがアスコナを特徴づけていたわけではない。1855年にスイスのリクリが始めた裸体大気療養は、この地で市民権を得て、の ちにドイツへと広まり、「自由肉体文化」(フライケルバー・クルトゥーア)として「反文明」的先鋭性をもつことになる。全裸で日光浴、水浴する健康法、あ るいは菜食主義こそアスコナを特徴づけるもので、ここではそれは一種の精神性を帯びた文化といえるものであった。
 レーヴェントローにアスコナを教えたのは、シュヴァービンガーの友人エーリヒ・ミューザムであった。彼は1904年にアスコナを旅し、そのボヘミアン生 活をドイツに紹介するが、20年代ドイツでヌーディズムが流行ったのも、早くはこのミューザムの紹介の影響だったと思われる。もっとも彼は「菜食主義者の 歌」という詩でアスコナでのサラダ食療法と全裸日光浴を相当に皮肉っている。「野菜を食うのさ、野菜を。朝も晩も……」と。
http://www.linkclub.or.jp/%7Epckg21c/land/salon.html
長澤均評論_パピエ・コレ サロン的磁場としての都市・アスコナ・コロニー